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初秋の佐渡を飛ぶ (7)

2011-10-22 | 関東



祖父の伊右衛門が卒中でたおれたという急報をうけた。
伊之助は届を出すとすぐさま駆けた。中山峠を駆けのぼり駆けくだって、ふもとの沢根につくと駕籠をやとった。あとは真野湾ぞいを駆けさせた。
すでに暗かった。
(生きていてほしい)
駕籠のなかで何度も合掌した。この若者に信仰心などあるはずはなかったが、今は駆けすぎてゆく野の石地蔵も祠の氏神もみな祖父のそばにあつまってほしいとおもった。
身がしきりにふるえた。恐怖の一種かもしれない。
(孤児になった)
三十にもなって孤児でもなかったが、祖父がいない自分の人生など考えられもせず、このあとどのように生きてゆけばよいかわからない。
幼いころは祖父に監視されて漢籍を学び、そのあと祖父につれられて江戸へゆき医学修行の道に入った。たまたま勝手に平戸で入婿していたときも祖父がやって来て引き離され、佐渡につれもどされた。

一面では祖父が伊之助を抑圧してきたのだが、伊之助はべつだん反発もおぼえず、自分のしたいことをしたいとは思わなかった。元来、伊之助には本然の願望とか志とかいうものがないのではないか。
(司馬遼太郎著 『胡蝶の夢』より)





祖父伊右衛門が亡くなった。
伊之助はすでに30歳になっていたが、孤児になった気分がした。

やがて松本良順の父泰然が横浜にいることを知り、伊之助は再び佐渡を出ることになった。