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初秋の佐渡を飛ぶ (2)

2011-10-08 | 関東


佐渡という島には大佐渡山脈と小佐渡山脈が並行して走り、その中間が国中とよばれる平野になっている。大佐渡山脈の最高峰が金北山という1,172メートルの峰で、十歳の脚ではさすがにつらかった。登りながらこのときも波の上にこだわり、「佐渡はこれっきりか」と念を押した。
これっきりだ、と質屋をいとなむ伊右衛門は品定めでもするように答えた。伊之助はこのとき肝の冷えるような心細さを何とか噛み殺すために、帰宅してから七言絶句の登高の詩をつくった。四百余州という大きな唐土にうまれても、絶海の孤島にうまれても、人間には変わりがないというのはどういうことか、という奇妙といえば奇妙な詩だった。
(司馬遼太郎著『胡蝶の夢』より)






島倉伊之助(後の司馬凌海)は、1839(天保10)年、佐渡島真野新町に生まれた。

小説の伊之助は、祖父伊右衛門に5歳のときから論語や孟子を学ばされ、わずか十一歳で江戸へ出て幕府の奥御医師松本良順に弟子入りする。しかし奔放な伊之助は、幾度となく問題を起こして、やむなく下総佐倉の順天堂に学ぶ。

佐倉順天堂は藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然(松本良順の実父)が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾。西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。