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五島列島を飛ぶ (4) - 久賀島・奈留瀬戸

2010-07-13 | 九州


日本に初めてキリスト教が伝えられたのは、1549年、カトリックの修道会である「イエズス会」の創設メンバーであったフランシスコ・ザビエルが来日したことが最初とされている。

信長、秀吉による天下統一の過程で一時容認された時期もあり、その教えを広めて行く。

1587年、秀吉が伴天連(バテレン)追放令を出した後、1596年「日本二十六聖人殉教」等の苦難の中でも、伝導は続けられた。

しかし1614年、家康は、増えるキリスト教の信者の力をおそれ、キリスト教の信仰の一切を禁止する「禁教令」を発令する。
以来1626年からは踏絵による「宗門改め」が行われるなど、厳しい迫害は、1873年(明治6年)に解禁されるまで続いた。


この激しいキリスト教徒への迫害と探索の結果、キリスト教徒は日本から姿を消したと言われたが、長崎では秘かに信仰を続ける「隠れキリシタン」の存在があった。表向きには仏教徒を装い、潜伏したのである。



隠れキリシタンが見つけられ処刑されたできごとを「崩れ」と言う。

中でも長崎浦上村で起きたものが、浦上一番崩れ(1790)、浦上二番崩れ(1842)、浦上三番崩れ(1856)と呼ばれているが、浦上四番崩れ(1867)の弾圧はとりわけ悲惨なものであった。