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すけさん日誌

杜の都で気ままに暮らす、管理人さんの日記です。
備忘録を兼ねた記録として使えれば、野望達成。

ビオランテの秘密

2014年12月15日 | 日記とか

もう72歳だったのですね。ご冥福をお祈りいたします。

平成ゴジラ特技監督・川北紘一さん死去 72歳 肝不全のため
平成『ゴジラ』シリーズなどの特技監督として知られる川北紘一さんが5日、肝不全のため都内の病院で亡くなっていたことがわかった。72歳だった。川北さんが代表取締役を務める、株式会社ドリーム・プラネット・ジャパンがFAXを通じて発表した。
1942年12月5日、東京生まれ。東宝株式会社に入社後、円谷英二氏、有川貞昌氏、中野昭慶氏に師事し、1989年の『ゴジラVSビオランテ』をもって平成「ゴジラ」シリーズの特技監督に就任。日本の特撮界をけん引した。
2000年代には、特撮ドラマ「超星神グランセイザー」シリーズを担当したほか、2013年より大阪芸術大学の客員教授として教壇に立った。今年に入ってから体調不良のため入院。治療を続けてきたが、5日午後、家族に看取られながら息を引き取ったという。通夜・告別式は近親者のみで営まれ、2015年にお別れの会が開かれる。(編集部・入倉功一)



釣りのコーちゃんが逝ってしまいました。

1984以降の復活ゴジラの中で『ゴジラVSビオランテ』は、出色の出来だったと思います。
あれって レオゴンじゃね とか、最後の沢口靖子に違和感とか、あのレポーター 相楽晴子 だよねとか、いろいろ言う人はおりますが、個人的には すぎやまこういちのサントラ も微妙だった気もしますが、それでも出色の出来でした。

その魅力は、やはり敵役の怪獣ビオランテさん。
触手をウニョウニョさせながら、ゴジラさんに向かって突進してくるシーンは、特撮史に残る名シーンでした。

そのポイントは、タイミングとか構図とか、いろいろあるのでしょうが、やはり 吊り ッ! おもに触手ッ!
今はただ、その名人芸を惜しむのみです。

貧乏だった高校生のころ、母に握ってもらった巨大オニギリを持参して、朝から晩まで映画館に籠もって、繰り返し繰り返し『ゴジラVSビオランテ』を見ていた時間は、まさに 至福 でした。
今さらですが、ありがとうございました。



土曜には恩師を追慕する会などもあり、センチメンタルな週末となりました。
いろんな人に支えられて、今の自分が存在することを、あらためて感じた次第です。

_○/\_ハハァー! ...











鉄道科学基地

2014年11月17日 | 日記とか

6月に急病で行けなかった東京方面に、あらためて調査に行ってまいりました。
結論としては、今後しばらくは 新聞ライブラリー 一択で考えたいところです。

(・`ω´・) キリッ!



なお、「一択」って、最近できた 造語 らしいね。

(´・ω・`) ショボーン



写真は、じゃすぱー先輩とレビル後輩と行ってきた 鉄道博物館 の様子。
天気にも恵まれましたし、展示もかなーり面白かったので、またムスメーズとでも来たいものです。


というわけで、今回もお世話になった方々に、あらためてお礼申し上げます。

_○/\_ ハハァー!











肉まん頂きます!

2014年11月02日 | 日記とか

天津で研究会に出席しまして、それから天津の歴史的施設を案内していただきました。

古くからの町並みが残されている 天津古文化街
1863年に開業し、伊藤博文や孫文も宿泊したホテルである 天津利順徳大飯店 Tianjin Aster Hotel
1929年に故宮を追われた溥儀が、1931年まで住んでいた屋敷である 静園
そして夕食は、中国を代表する老舗である「狗不理」で、大量の肉まんをゲット。

Wikipedia「狗不理包子」 によると
1858年に創立された、中国で最も歴史の古いブランドのひとつである。
「狗不理(コウプリ)」とは「犬もかまわない」という意味。食品を扱う店名としては「犬も食わない」という意味に解釈される。この変わった名前の由来に関してはいくつかの説があるが、最も一般的なものは、幼少時に不運から守るため「狗子」と呼ばれていた創設者の高貴友が、包子作り・売りに精を出し、それ以外の事に一切構わなかった(不理)ことに由来するという説である。
ある役人が天津から持ち帰った狗不理包子を西太后が食べ、美味であると賞めたために、名声が一気に広まったとされる。



_"〆(・ェ・o) セッセセッセ。

ウィキに載っているって、どんだけ有名なのか。
というわけで、宿に持ち帰って食べた分を合わせると、10個以上いただいた気がします。
味は勿論最高級でした。ありがとう中国。

最後まで北京ダックには出会えませんでしたが、貴重な経験となりました。ありがとう中国。

北京ダックはともかく、お世話になった皆さまに、あらためてお礼申し上げます。

_○/\_ハハァー! ...








天津チャンネル

2014年11月01日 | 日記とか

春ころに「北京ダック 食べたことある? 食べたい?」とか聞かれまして、いろいろ 言いなり になっているうちに、またまた中国にやってまいりました。

(∩´∀`)∩ ワショーイ



夜中に北京に到着し、翌朝から夕方までシンポジウムに出席し、それから車で移動した結果、天津にやってきましたよ。

(∩´∀`)∩ ワショーイ



というわけで、鳥の丸焼きやナマコ料理などをいただいたのでした。

(∩´∀`)∩ ワショーイ



あれれ? これじゃ 天津チキン ですよ。

。・゜・(ノД`)・゜・。 ウワチャー




写真は、天津飯っぽい卵焼き。
ちなみに、天津飯って料理は、中国にないらしいですね。

(; ・`д・´)なんだってー!!


Wikipedia「天津飯」 より。
天津飯(てんしんはん)は、日本の中華料理。天津市のみならず、中国には相当する料理がない。芙蓉蟹(かに玉)、芙蓉蛋をご飯にのせて、タレをかけたもの。

(; ・`д・´)ななな、なんだってー!!










広瀬川の誘い

2014年10月18日 | 日記とか

久しぶりに秋の48号線をドライブしていたところ、急に広瀬川が気になったので、みんなで降りてみました。

広瀬川は、以前の住まいからすぐ近くで、今も、その周辺で暮らしているのですが、こんなに上流に来たのは初めてでした。
大きな川魚(イワナかな?)も見かけたし、紅葉も奇麗だったしで、なかなか良い記念になりました。

そしてランチは、天童イオンの ひな野 となりました。
天ぷらやソバがおいしいバイキングでしたが、食べ過ぎには注意が必要ですな。

てへぺろ☆(・ω<)







2大ムスメ 何かを運ぶ!

2014年09月29日 | 日記とか


地区の運動会、というものに初めて参加してまいりました。

(∩´∀`)∩ ワショーイ

その前日に、某研究会で 駆逐艦の活躍 について語り合って疲れていたお父さんは基本的に見学でしたが、幸い天気にも恵まれたこともあって、大いに盛り上がったようでした。

いろいろお世話いただきました地区の皆さまに、深くお礼申し上げる次第です。

_○/\_ハハァー! ...



写真は、2人で何かを運んでいるムスメーズ。

姉妹で一緒に競技に出られるのも、地区運動会の魅力ですね。














まぼろしの満洲国⑧

2014年09月20日 | 日記とか

約1週間にわたる調査旅行は、羽田空港にて解散となりました。

いろいろな方にお世話になりまして、貴重な経験を積むことができました。
この知見を今後の研究、そして人生のなかで活かしていきたいと思うばかりです。

_○/\_ハハァー!...


写真は「翼よ、あれが チバの灯 だ!」的な景色。
なお、恥ずかしながら東京の地理にはきわめて疎いので、もしかすると、川崎とか横須賀かも知れません。

てへぺろ☆(・ω<)


なんとか仙台まで辿り着いたら、ムスメーズが ちょこっと 大きくなっていた気がしました。

もう秋だな-。

(´▽`ポワーン








まぼろしの満洲国⑦

2014年09月19日 | 日記とか

いよいよ旅も終わりに近づいてまいりました。

最後は北京に戻って、中国人民抗日戦争紀念館 などを見学いたしました。

以前にも来られた先生の話では、国民党や台湾の扱いが、かなり変化していたとのこと。
どこの国も、いろいろ事情があるんですね。

というわけで、写真は盧溝橋。日中戦争が始まった場所ですな。











まぼろしの満洲国⑥

2014年09月18日 | 日記とか

ハルビンに戻りまして、侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館、つまり日本の731部隊の博物館を見学いたしました。
この博物館の中には中国人養父母に関する展示スペースなんかもあったりして、それはそれで心温まるものがありましたが、731部隊については、もう・・・何も言えません な。
戦争は良くないです。

9月18日、すわなち満洲事変が起こった記念日の前後に こういう施設 を見て歩くツアーを乗り越えられれば、だいたいの苦行は耐えられるのではないか、とも思った次第です。

そして、こんな日に現地の先生方から 促された乾杯 を断るのも、やっぱり無理だよね。
みんな強いわー。










まぼろしの満洲国⑤

2014年09月17日 | 日記とか

いよいよ満洲移民が暮らしていた村に向かうことになりました。
交通事故による渋滞や、路面がデコボコの部分があったりしたため、けっこうな時間がかかりましたが、夕方近くになって無事たどり着きました。

現地の方に聞き取りをするなどして、目指すべき場所に到着したことを確認した先生方が、相当に安堵されていたのが印象的でした。
当方は連れてきてもらっただけなんで、ずいぶん奥地に移民させたんだな-、とか 今更ながら 思っていたわけですが。


というわけで、写真はかつて日本人移民が暮らしていた村の様子。

一緒にいたエライ先生が、
 宮本常一 はね、写真に自分の影を入れて撮影したんだよ」
 「なるほどー、そうして自分が訪問したことを記録に残したわけですね!」
  カシャカシャ
 「いや、単に 目立ちたがり屋なだけ じゃないかな。」
 「えー、もう撮っちゃいましたよー。」

という感じで撮影したものです。










まぼろしの満洲国④

2014年09月16日 | 日記とか

知っている人は知っていますし、知らない人は知らない のですが、長春には満洲国時代の建物が数多く残されています。
というわけで、朝から街中を散策し、いろいろと見てまわりました。

写真は、満洲国の行政機関であった 満州国国務院 の建物。満洲国に国会はなかったので、事実上の国政最高機関でした。
1936年(康徳3)に完成し、現在は吉林大学として利用されているそうです。

いきなり康徳とか言われても悩んじゃうときがあるので、ここで満洲国の年号についてのプチ備忘録。
 1932年(昭和7)3月1日、年号「大同」が定められる。
 1934年(大同3)3月1日、溥儀が皇帝に即位して「康徳」と改元される。
 1945年(康徳12)8月18日、溥儀が退位を宣言して、満洲国が崩壊。
 つまり「大同」は 最初の2年間、「康徳」は 昭和マイナス8、になります。



というわけで、その日は 偽満皇宮博物館 などを見学した上で、ハルビン(哈爾浜)へと移動したのでした。

















まぼろしの満洲国③

2014年09月15日 | 日記とか

中国3日目は、瀋陽から長春へと移動しました。

移動手段は、いろいろ紆余曲折があったのですが、最終的に 哈大旅客専用線 になりました。
2012年に開業した、中国版の新幹線みたいなものですね。たしかに早かったです。

長春は、仙台と友好都市ということでも話題になる街ですが、満洲国の首都とされた時代は「新京」と呼ばれておりました。
仙台空港からの定期便は、震災で運行停止になってから2012年7月に復活したらしいのですが、その年の10月から また運休しちゃっている ようです。

というわけで、ここで発表も終えて、個人的な任務はだいたい完了。
旅は、これからが本番です。









まぼろしの満洲国②

2014年09月14日 | 日記とか

中国2日目は、瀋陽の博物館などを見学してまいりました。

まず 平頂山惨案記念館 に行きまして、帰り道に撫順炭鉱の露天掘を眺めてから、撫順戦犯管理所旧址 を見学しました。
昼食後には、柳条湖事件の跡地にある 九・一八事変歴史博物館 も見ることができました。
なかなかのハイペースで、実質1日目としては、かなり精力的に動いたような気がします。

写真は、夕暮れ時の 北陵公園 の様子。

ここにはホンタイジのお墓とかがあるそうですが、時間が遅かったので全部を見ることはできませんでした。
また来るしかないか、瀋陽。










まぼろしの満洲国①

2014年09月13日 | 日記とか

いろいろあって、中国の東北部、いわゆる旧・満洲に初上陸を果たしました。
お世話になった多くの方々には、こんな場ではありますが、心よりお礼申し上げたいと思います。

_○/\_ハハァー! ...


仙台から新幹線、羽田までモノレールで行きまして、北京を経由して瀋陽に着いたら、結構な時間となっておりました。
広いな-、中国。

写真は、ホテルの玄関から撮影した、夜の瀋陽。
なお、瀋陽というのは、かつての奉天のことです。日露戦争での奉天会戦で有名な場所ですね。








さようならFP 天国への帰還

2014年08月23日 | 日記とか

更新するのが遅くなりましたが、後輩の墓参りに行ってきました。
彼は、2003年に他界したらしいのですが、それを知ったのは去年のこと。
ぶっちゃけ半信半疑でしたが、後輩たちに墓前まで連れて来てもらい、ようやく実感した感じでした。

彼は、高校で一番最初にできた後輩でした。
一緒に、たくさんの 良いことや悪いこと をしました。
そして、いろいろなことを質問されたり、相談されたりしました。コッチも ひねた若造 でしたし、うまく答えられたかは、未だにわかりませんが。

自分で言うのも何ですが、仲の良い先輩と後輩であり、仲の良い友人であったと思います。
それなのに見舞いにも行けず、10年も来ることができず、ごめんな。

本当に、ごめんな。






高校時代の仲間と 再会するきっかけ を作ってくれた樽さまには、あらためてお礼申し上げます。

_○/\_ハハァー! ...



そして、先輩より先に逝くのは勘弁してください。ダメ!絶対!>後輩の皆さま。

(*・∀-)ヨロシク☆