もしも、数ある楽器の中で「一番好きなものは何か?」と問われたなら、
僕は迷った末に「バイオリン」と答えるだろう。
全長およそ60cm。
重量1kg未満。
内部が空洞になった木の箱に張られた弦の数は、わずか4本。
コンパクトかつシンプルな構造ながら、4オクターブもの音域を誇る。
様々な曲想を奏で、独奏でも、多重奏でも、楽団でも、音楽の中心を担う花形。
バイオリンは“小さな音の宇宙”だ。
確か、高校一年の夏休み。
この曲を聴いて以来、そう思っている。
E. Lalo, Symphonie Espagnole. María Dueñas, violin
「エドゥアール・ラロ」作曲、「スペイン交響曲」第一楽章。
まず、大音量でダイナミックなモチーフが押し出される。
それを受け止めるバイオリン・ソロの気高さといったら---。
艶と色気を湛えた華麗な音色。
力強く美しい透明感。
張り詰めた緊張感。
一聴した瞬間、心臓を鷲掴みにされた。
--- と、同時に連想した情景があった。
1挺でフルオーケストラと渡り合うバイオリン。
1人きりで大きな猛牛に立ち向かうマタドール。
情熱的な旋律と共に浮かんだ印象は、今も脳裏に焼き付いている。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百九十九弾「バイオリンの音色は勇者の調べ」。
青が支配していた空に、茜が忍び込み始めた午后。
石造りの円形スタジアムから、数万人が醸す熱気が立ち上る。
大観衆の歓呼に促され、赤土の舞台に闘牛士が登場。
手にしているのは、赤い一枚のケープと一振りの剣。
散々槍と銛に突かれ弱っているとはいえ、
人を遥かに凌駕する力を持つ獣と闘うには、心もとない装備といえるだろう。
しかも、牡牛はまだ怒りに燃えていた。
恐怖にたじろがず、ケープを翻し、紙一重で突進をかわす度、
満場から「オレ(Olé)!」の掛け声が上がる。
眼前を死神の大鎌が行き交うような際どいダンスを繰り返し、いよいよ決着の時。
一突きで急所に剣を届かせられるのか。
逆に角の一撃に抉られてしまうのか。
“真実の瞬間”が訪れる--- 。
「パブロ・ピカソ」や「サルバドール・ダリ」「フランシスコ・デ・ゴヤ」。
「ジャン・コクトー」に「アーネスト・ヘミングウェイ」。
闘牛に魅入られた芸術家は少なくない。
彼らは異口同音に“それは生と死のアート”だと評してはばからない。
愛好するファンがいる一方で、牛の(時には人の)“公開処刑”に対し、
残酷だと異論を唱える声も小さくない。
スペイン国内でも禁止を打ち出す地域もあり、
闘牛人気は衰退の一途を辿っているとも聞く。
一説には(生命力、生殖能力の象徴としての)古代牡牛信仰を源に、
騎士の戦闘訓練として始まった、ともされる闘牛。
長い時間・歴史・風土によって創り上げられたそれは、
興行やショーと次元の違う「様式」や「文化」とも受け取れる。
動物愛護か、伝統尊重か。
その存在価値について、とやかく言うつもりはない。
ただ、僕にとって、闘牛はスペインを象徴する一つであり、
闘牛士に勇者の像を重ね合わせているのは確かだ。
--- あの夏、あのバイオリンの調べに触れてから、ずっと。