つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

メリー・クリスマス、津幡町は新年に向かう。

2012年12月25日 06時53分46秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町・太白商店街の「酒井食品」店頭の様子。
画面右、ドア奥に箱売りミカンが、中心には鏡餅がセットされている。
クリスマス当日ではあるが、
来るべき新しい年へ向けての準備が進んでいるのだ。

大小2つの丸餅を重ねた「鏡餅」は、新年の風物詩。
昔から、お餅は「歳神様」のご神体だと考えられてきた。
また、その丸い形から家庭円満を象徴。
いわゆる縁起物として正月に飾られるようになった。
紅白を重ねるのは石川県・加賀独特の風習らしい。
ご覧の通り、津幡町の場合も同様である。

供に備える縁起物が幾つかある。
…例えば「橙」。
木から落ちずに大きく育つことから、代々大きくなって落ちないという縁起物。
あるいは「串柿」。
財(たから)が串で刺したように集まるとも言われる。
それから「昆布」。
よろこぶ(喜昆布)の語呂合わせだ。
更には「裏白」。
古い葉とともに新しい葉が次第に裏になり伸びてくるので、
久しく栄えわたる縁起を担ぐ。
形が左右対称である事から、夫婦円満・相性を祝う意味も込められている。

そして、お隣の「小泉菓子舗」には大きな「福梅」のポスターが。

   

これもまた新春への誘いである。
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津幡町の仙人。

2012年12月24日 11時12分29秒 | これは昭和と言えるだろう。
今日はクリスマス・イブ。
振替休日でもあり、今夜あたりパーティーを計画の向きも多いかもしれない。
クリスマスには「サンタ・クロース」が欠かせない存在だが、
その元になっているのは「聖ニコラウス」。
庶民を助けるため散財を惜しまなかったとか、嵐にもまれる漁船を救った等の
逸話を持つキリスト教の聖人である。
やがて、様々な伝承や風習がミックスされ、
「聖ニコラウス」が「キリスト」生誕の前日にプレゼンター役となった。
そんな伝説上の人物が世界を巡るとされる今日は、
小学生の僕が出会った「仙人」について投降したいと思う。

「今日の一枚」は、近所で撮影した駐車場。
正面中程の民家の手前に砂利を敷いたスペースには、
かつて、お寿司屋さんと隣り合わせ、鬱蒼とした木々に囲まれた古い家があり、
一人の男性が住んでいた。
風貌は、肩まで伸びたみだれ髪に、髭を蓄え、眼光鋭い印象。
度々、作業着姿で鍬を乗せた一輪車を押しながら出かける姿を見かけ、
勝手に、農業で自給自足の生活を営んでいるのではないかと想像した。
サラリーマンではなく、自営業でもない。
当時の僕が定める「大人」の範疇には納まらない浮世離れした存在感は、
何事かを探求する、孤独で無欲な仙人を連想させた。

挨拶や言葉を交わす事もなく、すれ違っていたご近所さん。
無論、名前も分からないままだった。
がしかし!
ある日、その男性がお茶の間のブラウン管に登場し、僕は心の底から驚いた!

髪型や髭はそのままに、スーツを着てネクタイを締め、
NHK金沢放送局のスタジオに招かれた男性は、やや緊張した様子。
アナウンサーの紹介で初めて知った。
実は「シルクロードをモチーフに筆を執る画家」だったのである。
食い入るように画面を見つめ、真摯なやり取りに耳を傾け、
感心しきりの十数分間を過ごした。
放送後、僕は相変わらず声をかける事はなかったが、
心の中で秘かにエールを送るようになった。

それから十年余りが経ち、僕が津幡町を離れている間に、
寿司屋さんも、鬱蒼とした木々に囲まれた家も無くなってしまった。
居を移したであろう画家は、やはり同じ恰好で一輪車を押していたが、
心なしか寄る年波が滲み出ていた。
更に時が流れた今、お見かけしなくなって随分になる。
お元気なのだろうか。
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津幡町モノクロームトリップ。

2012年12月21日 07時53分26秒 | 日記
よく思い出の中の光景を「セピア色」と表現するが、セピアとは烏賊墨の事。
烏賊墨から作られる暗褐色の顔料でもある。
フィルム時代の白黒写真は、このセピア顔料を使っていたため、
やがて美しいモノトーンが褪せて、褐色に変化した。
つまり劣化が「時間の経過」をイメージさせ「古い思い出」と結びつく訳だ。
それがデジタル時代の今、
色補正でセピア色に「加工」できてしまうのだから情緒に欠ける。
しかし便利だ(笑)。

写真の表現として天然色が当たり前になって久しい今、
セピアだけでなく、白黒の画面も郷愁を誘う。
そして、単調だからこそ、一種独特の味わいがある。
例えば「今日の一枚」…ある日の津幡銀座中央商店街。

幼い頃から何度も足を運んだ場所なのに。
定番の散歩コースとして見慣れたはずなのに。
見つめていると、実感を失う瞬間がある。
頭で構築した色彩に惑わされ、陰影に想像を掻き立てられ、
どこか知らない街に思えたり、過去の記憶の中の光景に思えたりするのだ。
なかなか面白い。

   

   

   

   
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冬枯れの津幡町に咲く。

2012年12月19日 09時56分59秒 | 草花
寒さが厳しい冬の日を「冷凍庫のような…」と例えるが、まさに言い得て妙。
気温がマイナスとプラスの間を行き来し、
雪に覆われた津幡町は、いかにも寒々しい。

「冒頭の一枚」…
先週末、雪が降る前に見た景色は、冬枯れ。
雲が低く垂れこめた鈍色の空と地面のアスファルトと相俟って、
世界をグレーに演出している。
また、すっかり葉を落とし枝がむき出しになった街路樹や、
電線を鳴らす鋭く高い風の音が、寒さを煽る。
前方の母子連れらしき2人の服装は、防寒第一。
身を寄せ合って、時折、体を震わせながら歩いていた。

そんな師走の散歩中、ある民家の窓に目が留まった。

   

水耕栽培である。
定番のヒヤシンスだ。

僕と同世代…昭和40年代に小学生だった方々は、
一度ならずとも挑戦した経験があるのではないだろうか。
懐かしく思い、インターネットで検索してみたところ、
ちょっと意外な事実を発見。
ヒヤシンスの水耕栽培は日当たりのよい場所が適しているが、
一定の低温に当たらないと花芽が付かないらしい。
12月くらいまでは球根を外で管理して、
寒さに充分当ててから室内に取り込むと花がよく咲くらしいのだ。
開花期は1月半ばから4月である。

そう言えば、思い出の中の花が咲いていたのは、
ヒンヤリした空気だったかもしれない。
多くの植物が、越冬のために縮こまる時期を選んで、花を咲かせるヒヤシンス。
何と逞しいのだろう…。

また一つ勉強になり、新たな感慨に浸れた。
だから散歩はやめられない。
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津幡町は「科学」に力を入れているらしい2。

2012年12月17日 08時09分23秒 | 日記
津幡町は“科学の町”を標榜している。
(※2012年2月12日に関連投稿アリ。)
その活動の一環として、一昨日と昨日2日間に渡り
津幡町文化会館シグナスに於いて、
『目指せ!未来のノーベル賞スペシャルイベント』が開催された。

催し物のメインは、
大ホールにて行われた「脳科学者 茂木健一郎さん講演会」。
スケジュールが合わず、残念ながら観覧は叶わなかったが、
「冒頭の一枚」…同施設多目的室での
「福井県立恐竜博物館 特別展示」へ足を運んだ。

富山県~石川県~福井県~岐阜県、北陸一帯に広がる「手取層群」は、
“化石の宝庫”として知られる中生代の地層である。
因って、ここで初めて発見された恐竜の数も多い。
特別展には「フクイサウルス」、「フクイラプトル」と、
発掘地・福井の名称が付いた骨格模型を展示。
恐竜の発掘作業などを放映するシアターコーナーや、
恐竜に関する不思議を説明するワークショップも開設されていた。

また、ここ津幡町での生物多様性保全の取り組み、
「MISIAの森プロジェクト活動状況の展示」も併設。
「英田小学校」の児童たちが頑張っている様子をうかがい知る。

   

   

更に、同スペース内には「津幡町内小中学生の優秀科学作品の展示」も。
立派なレポートに目を通しながら、
こうした表彰と縁のない自分の過去を振り返り、面映ゆい気持ちになった。
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