つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

Yesterday Once More~津幡町。

2011年04月22日 08時20分22秒 | 日記
きのう、ラジオで「カーペンターズ特集」を聴き、
「Yesterday Once More」が心に染みた。

When I was young I'd listen to the radio.
Waitin' for my favorite songs.
When they played I'd sing along It made me smile.

歌の主人公は、ラジオから流れる音楽が大好きだった女性。
懐かしい曲を聴きながら、昔の事や楽しかった事を振り返ると
「少女だった昔」と「大人である今」のギャップに複雑な思いになる。

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines.
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

しかし、歌はどれも変わらずに素敵。
昔と変わらず、あの頃と同じ。

Just like before, It's yesterday once more.

しっとりとした名曲だ。

「カレン・カーペンター」のプロフィールをご存知の方はお分かりと思うが、
彼女は拒食症が引き起こした心不全により32歳で他界した、夭折のシンガーである。
女性パーソナリティ曰く…

『70年代にヒットチャートに君臨した兄妹ユニット「カーペンターズ」。
 悲劇によって活動に幕を下ろした後も、世界中で愛されている作品は、
 まるで消えない「木霊(Echo)」のよう。
 そもそも「木霊(Echo)」とは、
 叶わぬ恋に身をやつし、終には声だけになってしまうギリシャ神話の妖精。
 肉体は失われても、消えることのない「カレン・カーペンター」の歌声は、
 まるで妖精の囁きのようにも思えます。』

納得した。

…さて「今日の一枚」は、早朝の通学風景。
3人の中学生が、仲良く並んで歩いている。
新年度最初の月・4月も間もなく終わり。
彼女達は新しい学年に(あるいは新しい学校に)慣れた頃だろうか?

かつて、僕にもこうして友と一緒に歩いた頃があった。
きっと、交わす会話は他愛もない内容だったに違いない。
政治とも、経済とも、歴史とも縁のない、
取るに足らないコミュニケーション。
やがて時は流れ、発する言葉の中に何やら難しい単語が混ざり、
感情を抑制した、あるいは顔色を窺いながら、
何とも白々しいやり取りが増えてくる。
少女は女になり、少年は男になってゆく。
「きのう」は決して戻ってくれない。
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津幡町役場裏に屍累々。

2011年04月20日 09時21分22秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町役場裏の駐車場で撮影した放置自転車の列だ。
それぞれの車体には、町からのお知らせが付けてあった。
タイトルは『自転車・バイク置場ご利用のみなさんへ』

『津幡町では、現在、限られたスペースを
 みなさんに有効にご利用していただくため
 自転車・バイク置場の利用状況を調査中です。
 この調査票がついたままの自転車・バイクは、
 他のみなさんの利用を妨げるとみなし、
 津幡町放置自転車等の防止に関する条例の規定に基づき、
 この場所から撤去し、放置物として津幡町で保管のうえ
 処分することとなります。(後略)』

累々とおよそ100メートルは続く列から見て、
その数は300台近くにはなるのではないだろうか?
それぞれの出所は判然としない。
おそらく近隣の駅、公共施設などに置き去りにされていたのだろう。
どんな理由があるのかは分からないが、もったいない話だ。

ここ数年、僕自身がサドルに跨る機会は滅多にない。
しかし、かつて自転車が移動手段のメインだった頃は、
大切に乗っていたと思う。
自転車は、それを手に入れる以前と比べ、
世界を広げ、出会いを増やし、新たな経験を与えてくれた。

自分専用の車体を買ってもらった時の喜び。
補助輪なしで走った時の爽快感。
未知の領域へ向けてペダルを漕いだ高揚感。
今も鮮やかに思い出す事ができる。
つまり、自転車は、大切なパートナーだったのである。
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邂逅、BLUE TOWN津幡。

2011年04月18日 07時55分41秒 | 日記
「今日の一枚」…特に色の修正はしていない。
撮影場所は「スガイ書店」のある「津幡交差点」。
撮影時刻は早朝6時過ぎ。
いつものコースとして「津幡中央銀座商店街」を散歩していると、
ふと周囲が青く染まっているのに気がついた。

太陽の光は虹が表す通り7色。
それらが混ざり合い、白くなって降り注ぐ。
夕焼けが紅く見えるのも、空が青いのにも理由がある。
光は波長によって、色が違う。
太陽の角度によって、どの波長の色が空気中のチリにぶつかるかにより、
空の色は変化するらしい。
ちなみに光の波長は短い方から、紫⇒藍⇒青⇒緑⇒黄⇒橙⇒赤の順だ。

多分、幾つかの条件が折り合わなければ、
写真の様な色合いの街はお目にかかれないだろう。
また、この青は、時間が経つにつれ消えてしまう数分間の命だろう。
…動くモノのない道の上。
儚いブルーカラーとの偶然の出遭いに、僕は軽く感激した。

思わず反対方向にもカメラを向けて、もう一枚。


やがて、辺りの光から色が消え、空の青が際立つ頃。
ふと上空に目が止まった。

3本の電線を束ねるため、等間隔で並んだ金具の列。
何となく「人型」にも思える。
昔、日本史の教科書で見た埴輪…「踊る人々」のようで
何だか楽しげにも思える。

ある春の日の散歩の風景だ。
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津幡の墓地に咲く木蘭。

2011年04月17日 09時59分55秒 | 草花
「今日の一枚」は、津幡町・庄の「鷹の松墓地公園」にて撮影。
写真のやや左に映っているのは、満開となった「白木蘭」の木だ。

桜が盛りの今時分、少し注意をして街路樹や民家の庭を見てみると、
「木蘭」の美しさに惹かれる時がある。
花の形はチューリップに似ているが、何倍も大きい。
花の色はピンクまたは赤。
同じ形で色が真っ白なのは「白木蓮」。
枝いっぱいに咲き乱れる様子は、桜とは違った迫力がある。
また「木蘭」には、モチーフとなった少々哀しいが美しい名曲がある。
「スターダストレビュー」のヒットナンバー…「木蘭の涙」だ。

『逢いたくて 逢いたくて
 この胸のささやきが あなたを探している あなたを呼んでいる
 いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
 あなたは嘘つきだね 心は置き去りに

 いとしさの花篭 抱えては微笑んだ
 あなたを見つめてた 遠い春の日々
 やさしさを紡いで 織り上げた 恋の羽根
 緑の風が吹く 丘によりそって
 やがて 時はゆき過ぎ 幾度目かの春の日
 あなたは眠るように 空へと旅立った
 いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
 あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに

 木蘭のつぼみが開くのを 見るたびに
 あふれだす涙は 夢のあとさきに
 あなたが来たがってた この丘にひとりきり
 さよならと言いかけて 何度も振り返る

 逢いたくて 逢いたくて
 この胸のささやきが あなたを探している あなたを呼んでいる
 いつまでも いつまでも 側にいると言ってた
 あなたは嘘つきだね わたしを置き去りに』
(作詞:山田ひろし 作曲:柿沼清史)

「木蘭の涙」は、愛する人との別れを歌った曲。
草木が萌え、花が咲く季節「春」になるたび涙するギャップの大きさが、
歌の主人公が抱えた切なさ哀しさをクローズアップする。
またタイトルや歌の主題に選んだのが、
春の主役・桜ではなく、名脇役である木蘭なのも秀逸。
数多ある桜ソングとは一線を画し、独創性を高めた。

そして、この曲の存在が、片田舎の墓地公園から眺めた風景に彩りを添える。
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桜満開の津幡町。

2011年04月16日 12時08分20秒 | 草花
「今日の一枚」は、本津幡駅前の「一本桜」。
4月11日に同じ様なアングルで撮影した写真と比べれば、
花の量の違いがあきらかだ。
満開である。
ここのところ桜の画像が多くなっているが、
やはりトップシーズンだけに、つい目がいきシャッターを切ってしまう。
そこで、ここからは散歩中に撮影した津幡町の桜フォトを並べてみよう。

まずは、津幡町・庄の鎮守…「住吉神社」の桜だ。

上は、境内から見た桜越しの赤い幟。
下は、やはり境内から撮影。桜に囲まれた神明鳥居と幟旗。

昨日、町内の4つの神社で一斉に「春の例祭」が行われた。
毎年行われる祭祀の中で、重要な位置にある例祭に合わせて満開とは、
何ともいいタイミング。
仕事があったために見学に行けなかったのが残念でならない。

次は、ある公園脇に咲いていた桜の古木だ。

枝ぶりに若木のような勢いはないものの、
年輪を重ねてきた風格を漂わせる桜の古木。
そして、曲がりくねった幹の途中から新しい枝が伸び、
美しい花を開かせた様子は、寡黙な木の「気概」を感じた。

続いて、民家の庭先で花を咲かせる見事な枝垂れ桜。

「たわわ」に咲く染井吉野に比べ、枝垂れ桜のそれは「控え目」。
名前のとおり、枝が垂れ下がっているところからも、
どこか遠慮がちで、物静かな女性を思わせる趣がある。

…という事で、徒歩圏内であっても、
桜は木によって、周囲の状況によって、様々な顔を見せてくれる。

もうすぐ桜吹雪が舞う頃には、
また違った美しさで、人の目を楽しませてくれるだろう。
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