つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡のガキと選挙。

2011年04月24日 10時46分23秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町役場の壁面に掲げられた、
「第17回統一地方選挙」後半戦の投票日を告げる垂れ幕。
僕も一票を投じてきた。
きのうまで、候補者のスローガンや名前を連呼する選挙カーが走り回り、
騒がしかった町内も打って変って、静かな日曜日である。

概して、選挙戦とは規模が小さくなるのに比例して激しさを増す。
それは、政治と有権者の距離が心理的にも物理的にも近付くからだ。
国政<県政<市町村政。
立候補者はより身近な存在になり、選挙区エリアも狭くなって、
生活の中で選挙運動に接する機会が増える。

僕が小学生だった頃、友人の父親が選挙に打って出た事があった。

「ともだちのお父さん」でしかなかった人が、
急に自分の名前を印刷した襷を掛けて、
自分の名前を書いた大看板を載せた車に乗り込み、盛んに手を振る。
白い手袋をした両手でマイクを握り、
時折、感情を露にしながら何やら難しい話をする。
「ありがとうございます」
「がんばります」
「男にしてやってください」
何度も同じ言葉が飛び交っている様子を見て、奇妙に感じたものだ。
知り合いが舞台に上がって芝居を演じているような、
面映ゆい気持ちが拭えなかった。

学校内でも「○○○さんは当選する」「×××さんは落ちる」など
勝手な予想をしたりして、ひとしきり話題になった後、いよいよ投開票。
…残念ながら「ともだちのお父さん」は落ちてしまった。
後でその友人から聞いたのだが、父親が落選した翌日の朝、
彼は母親からこう告げられたそうだ。

『お父さん、頑張ったけど落ちちゃったの。
 もしかしたら○○(友人の名前)も、
 学校で嫌な事を言われたりするかもしれないけど、
 負けないで頑張るのよ。』

ガキだった僕には分からなかったのだが、
当人も家族も色んな思いを抱えて戦っていたのである。

やがて、人々の記憶から選挙戦の興奮が薄れていった頃、
彼の家へ遊びに行くと「ともだちのお父さん」は、いつもの笑顔で迎えてくれた。
とてもホッとした僕は、精一杯明るく大きな声で挨拶を返した。
コメント
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