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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

余生を送る、津幡のコンテナ。

2011年02月21日 22時14分32秒 | 日記
「今日の一枚」は、川尻水門近くで撮影。
被写体の主役は、走りだした黒いワゴン車ではない。
右側手前の松でもなく、瓦屋根の納屋でもない。
樹木と建物の間に佇む、焦げ茶色した鉄のコンテナである。

津幡町内を散歩していると、
こうした「かつて貨車だった鉄の入れ物」を見かける。
鉄路の上を行き交う役目を終えた後の余生といったところか。
例えばコレもその1つ。

本津幡駅と中津幡駅の間、
久世酒造が酒造りに使う湧水…「しょうず」近くの高架下のコンテナ倉庫だ。

貨物、貨車、貨客。
運ぶ対象はともかく「貨」の字は、
財産として値打ちのあるモノの総称である。
今は道端に置かれたコンテナも、
かつては誰かに価値のある積み荷を届けていたはずだ。

一方で、哀しい積み荷を載せた事もあるかもしれない。
例えば、食肉となる運命を背負った家畜達。
或いは、戦時中なら人命を奪うための武器弾薬。
または、戦後間もない頃の「買出し列車」。

津幡町の片隅でひっそりと余生を送るコンテナは、
一体どれくらいの「思い」を運んできたのだろう?

そんな思いを馳せてしまう初春の散歩だった。
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津幡町から涅槃へ、死にゆく旅路。

2011年02月20日 08時20分38秒 | 日記
「今日の一枚」は、散歩中に撮影した「ハローワーク津幡」玄関口のスナップ。
画面右、ガラス面に写っているのは、愛犬「りくすけ」である。

去年、7月21日に投稿したとおり、
この建物は散歩の定番コースの寄り道ポイントだ。
24時間BOXと表示されたポスト内の求人情報案内は、相変わらず薄い。
景気の厳しさが伺える。
しかも数少ない求人の条件は、年齢の高い方にとって更に厳しい。
もし僕が職を求めるとしたら、かなり苦労するだろう。
きのう鑑賞した映画の主人公も、苦悶していた。

映画のタイトルは『死にゆく妻との旅路』。
全国に先駆けて、石川県・富山県で公開された。
その理由は、ご当地ムービーだからだ。

原作は、末期ガンの妻をワゴン車に乗せ、9ヶ月間、日本各地をさまよい、
「保護責任者遺棄致死」の罪状で逮捕された男性が
事件の裏側をつづった手記。
著者「清水久典さん」は、津幡町に生まれた方である。

「清水さん」は、中学卒業後に金沢市の縫製会社に就職。
1971年に七尾市の工場へ転勤。
そこで11歳下の「ひとみさん」と知り合い、77年に結婚。
翌年、娘さんに恵まれる。
独立し、小さな縫製工場を立ち上げるが、経営が傾いて多額の借金を背負い、
「ひとみさん」は病魔に侵されてしまう。
そして、借金返済のために職探しの旅へ出発。
夫婦が死を見つめながら過ごした272日間…
およそ6,000キロに及ぶ旅路を描いたロードムービーだ。
その旅の中で、主人公は各地のハローワークに立ち寄り職を求めるのだが、
いつも断られ続ける。
50歳を超えた人に該当する条件がない!…という理由で。

先日、FMラジオで主人公を演じた「三浦友和さん」のインタビューを聞き、
気になっていた作品。
しかも原作者が津幡町出身と知り、縁を感じて劇場へ行ってみた。

夫婦の心境の変化を伝えるには、ある程度の時間が必要だが、
CMや放送時間など制限の多いTVでは、映画ほどの長回しはできない。
また、決して明るいお話しではなく、七転八倒のエンターテイメントでもない。
やはりTV向けの素材とは言えない。
これは、スクリーンでしか映像化できないだろう。
暗い劇場のシートに身を沈めて観るべきである。

そして思った。
僕自身、少しづつ自分の死について考えるようになったが、
死は避けられないのだから、怖れを抱くのはやめにしよう。
死に夢中になってはいけない。
誰の人生も例外なく『涅槃への旅路』だ。
生きている時間…旅を楽しもう。
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津幡の松と、ローマの松。

2011年02月19日 23時26分42秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡小学校の正面玄関。
画面中央奥に映る松の木は、僕にとって思い出深い場所。
…何故なら「絵のモチーフ」だったからである。

今ではもう行われなくなってしまったらしいが、
かつては年に一度催された「写生大会」。
確か季節は春だったように記憶している。
当日は、学童達が小学校近隣へ出向き、思い思いの風景画を描く。
絵の対象を決めたら、画板に画用紙を止め、鉛筆で当たりを付ける。
デッサンが終われば、水彩絵の具を使って彩色だ。
バケツに水を汲み、筆先を濡らし、鉛のチューブから絵具を押し出す。
ちょっと石灰に似た、絵の具の独特の香りを嗅ぎつつ
パレットの上で混ぜ合わせながら画用紙の上へ。
正直、僕は絵の才能に恵まれていなかったが、
こうした一連の作業が好きだった。

僕にとっての題材は「学校前の松の木」。
選択の理由を考えていて1つ思い当たったのが、
音楽の授業で聞いた「交響詩 ローマの松」である。

何楽章だったのかは覚えていないが、
確かローマ軍の行進の様子を表した作品だと教えてもらったはず。
ごく弱く静かに始まり、段々と大きくなっていく音量。
管楽器を従えたエンディングへと続く、勇壮な作品だ。

だが、勇ましさとは裏腹に僕の脳裏に浮かぶローマの松は、
街道沿いにポツンと一本だけが立っているイメージ。
人間よりずっと寿命の長い常緑樹が、移り変わる人の営みを見守り、
人間のカレンダーとは、まったく違った時間を生きている…。

音楽を聞きそう感じた僕は、神秘的な存在に思えた松を描く事にした。

そして絵を描き終えて根元の敷石に腰掛け、松脂の匂いを楽しむ時、
僕はとても安らいだ気持になった。

津幡小学校のランドマーク、ウェルカムツリーとも言える前庭の松。
積雪の多かった今シーズン、大活躍だった雪吊りが外れる日も近いだろう。
その頃には新校舎が完成し、松の周囲は静寂に包まれている事だろう。
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津幡町の漁場址。

2011年02月18日 10時08分19秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町・庄にある繊維加工会社…
「株式会社ダイイチ」の工場のスナップ。
この会社が「第一繊維加工」と名乗っていた1970年代当時、
写真中央の「通路」はなく、代わりに「水路」が設けられていた。
そこは一大漁場だった。
…狙いは「アメリカザリガニ」である。

昭和初期、食用ガエルの餌として持ち込まれた、
アメリカ・ミシシッピ産の外来生物。
真っ赤な個体は、名前のとおりアメリカンな華やかさ。
ハサミも大きく、流線形の甲殻はデザインが美しい。
少年にとっては、外タレのアイドルのようなもの。
いわばペット界の「アグネス・ラム」や「リンリン・ランラン」だ。

『ダイイチセンイの近くにに「アメザリ」が沢山いるぞ!』
との情報を耳にしたのは、学校から帰宅し仲間と遊んでいたある日の事。
半信半疑のまま現地へ赴いたところ…いた!
上から覗きこんだだけで何匹もの姿を視認。
感情のボルテージが一気に上がる。
更に、周囲の賑わいがハイテンションを煽る。
ウワサを聞きつけたガキ共が集まり、歓声や笑い声が飛び交っていた。

漁獲方法は「釣り」。
拾った木の枝や棒の先に凧糸を結び付け、
糸の先に縛り付けて準備完了。
エサは主に「アメザリ」の尾の身。誰かが捕まえた個体をバラし分け合う。
他には煮干しやスルメを使う事もあったが、
現地調達できる“共食いバージョン”の方が、何かと便利だった。

水中へ糸を垂らすと、ご自慢のハサミでエサをキャッチ。
後は、ゆっくりと吊り上げる。
ポイントは獲物が水面に出た時だ。
驚いてエサを離してしまわないよう、竿を慎重に動かし陸に上げる。

ポトリと道に落とされ、ようやく捕えられた事を自覚した「アメザリ」は
大きな2つのハサミを振りかざし、僕を精一杯威嚇する。
勇ましくも愛らしい姿に惚れボレした。
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蔦の絡まる津幡の民家で。

2011年02月16日 17時18分58秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡町内で撮影した民家のスナップ。
いつ見ても窓は開け放たれたまま。
人の気配は感じられない。
おそらく廃屋だと思われる。
果たしてどのくらい放置されているのかは分からないが、
壁一面をビッシリと覆った蔦を見て推して知るべし。
…去年、7月3日の投稿にも書いたのだが、僕は「廃墟」に独特の美を感じる。
この写真の様な場合は、尚更だ。

人工物が崩れてゆくのに反比例して、蔦や苔などの植物は成長してゆく。
その逆行が降り積もった時間の量を浮かび上がらせる。
長き年月を経た存在に迫力を覚え、何とはなしに敬虔な気持ちになってしまうのだ。

中学時代、そんな思いを呼び起す歌に出会った。
「ペギー葉山」のヒット曲…『学生時代』である。

『蔦の絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
 夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
 懐かしい友の顔が 一人一人うかぶ
 重いカバンを抱えて 通ったあの道
 秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
 枯葉の散る窓辺 学生時代

 讃美歌を歌いながら 清い死を夢みた
 何の装いもせずに 口数も少なく
 胸の中に秘めていた 恋への憧れは
 いつもはかなく破れて 一人書いた日記
 本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
 過ぎし日よわたしの 学生時代

 ロウソクの灯に輝く 十字架をみつめて
 白い指をくみながら うつむいていた友
 その美しい横顔 姉のように慕い
 いつまでもかわらずに と願った幸せ
 テニスコート キャンプファイヤー
 懐かしい日々は帰らず
 すばらしいあの頃 学生時代』
(原典:作詞作曲/平岡精二)

音楽の授業で初めて接した当時の僕は
「秋の日の図書館のノートとインクの匂い」を嗅いだ事はなかった。
「讃美歌を歌いながら 清い死を夢みた」経験もなく、
「ロウソクの灯に輝く 十字架をみつめて」などいない。
「テニスコート」も「キャンプファイヤー」にも身を置いた事はない。
歌の中には、未知の領域…【新しい世界】が広がっていた。

しかし、冒頭の一行…『蔦の絡まるチャペルで 祈りを捧げた日』。
これだけは、ひどく【アンティーク】な印象。

大きなギャップに心を掴まれてしまい、歌全体に漂う敬虔な時間に憧れを抱いた。
そして『懐かしい日々は帰らず すばらしいあの頃 学生時代』を
実感している今日この頃なのである。
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