つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

思い巡らす 秋の灯(ともしび)。

2022年10月08日 22時22分22秒 | 日記
                        
本日(2022/10/08)は二十節気の「寒露(かんろ)」。
冷たい露が降りる頃という暦に合わせ、朝晩は冷え込みが増し、
日一日と、深まる秋を感じる今日この頃である。
わが津幡町の日の出は5:53、日の入りは17:23。
灯りのお世話になる時間が長くなってきた。

照明の個人的な好みは---
青みの強い寒色より、赤みが入った暖色。
昼のような明るさより、仄暗いのがいい。
人それぞれだ。

そんな秋の夜長にあたる今「津幡ふるさと歴史館 れきしる」では、
民俗資料展示「灯りのいろいろ」を開催中である。





人が電気やガス、石油をエネルギーとした照明器具を使うようになったのは、
長い歴史の中からみれば、つい最近のこと。
「炎」が光源の時代が長く続いた。
蝋燭(ろうそく)は奈良・平安からあったが、
当初は大陸からの輸入に頼り、室町時代に国産化。
江戸中期に普及するも価格は1本200文程度。
現在の貨幣価値に照らし合わせると4,000円相当。
宮中や寺院、大名屋敷、料亭などで使う贅沢品だった。
上掲画像の「提灯(ちょうちん)」も高級な部類にあたる。



手前の黒い円筒形の道具は「龕灯(がんどう)」。
前方を照らし、どの角度に傾けても中のロウソクが直立する便利な照明。
提灯も、がんどうも、時代劇の捕り物でよく見かけるように、
やはり「特殊なシーン」限定と言っていいだろう。



庶民の灯りの代表格は「行灯(あんどん)」である。
紙を貼った木や竹の枠の中に火皿(小さな陶器の皿)を置き、
火皿に油を入れ、油から少し出た灯芯に火をつけて使う。
燃やすのは、動物や植物の油。
菜の花から採取する菜種油や、イワシなどから採れる魚油が用いられた。
粘度の高い油を移すには時間がかかる。
その間、油売りは客と世間話をした。
それが怠けているように見えたことから「油を売る」という言葉ができたとか。


(※画像は油専用のお銚子)

お値段は、菜種の1合800円に対し、魚は半額。
魚油は安かった反面、燃やすと煙と臭いを発生する。
室内は、かなりクサかったのかもしれない。

ちなみに、行灯の照度は豆電球くらい。
当時は部屋全体を明るくするという発想がなかった。
夜は暗いのが当たり前。
行灯の明かりで読書を楽しんだ様子は浮世絵に残っているが、
残業などなく、日の出から日没までが活動時間だったから不自由感は低かったと推測する。
秋の夜長は、現代と全く異なる情緒が漂っていたことだろう。



さて、来週日曜日(2022/10/16)「れきしる」は延長営業。
20時まで開館している。
ちょいと厚着して大西山へ足を運んでみてはいかがだろうか。
高みから月に照らされた街中を眺めるのも一興である。
                       

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