つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

夏の宵、高岡戸出にて。

2024年07月07日 15時43分43秒 | 日記
                        
わが石川県のお隣・富山県は、大まかに二分されるという。
境となるのが、富山県のほぼ真ん中に位置する呉羽(くれは)丘陵。
“呉羽山”の通称で親しまれている標高100m程の小高い山から、
西が「呉西(ごせい)」、東は「呉東(ごとう)」と呼ばれるのだ。

『越中の野は、鶴がつばさをひろげたかっこうで富山湾を抱いている。
 野の中央に、呉羽山という低く細ながいナマコ形の丘陵が隆起しており、
 この平野の人文を東西にわけている。 (中略)
 東西は方言もちがい、生活意識や商売の仕方などもすこしずつちがっている。
 人文的な分水嶺を県内にもつというのは、他の府県にはない。』

(※「司馬遼太郎」著 エッセイ『街道をゆく4』より)

富山県民ではない僕には今一つピンと来ない。
ただ、それぞれの対抗意識の話題は耳にする。
もしかすると、かつて加賀藩と富山藩に分かれた歴史的な背景が絡んでいるのかもしれない。
そんな呉西の中心都市・高岡市には「戸出(といで)」という地区がある。



高岡市の南に位置する戸出地区の歴史は古い。
津幡町の倶利伽羅(くりから)峠から、富山に至る北陸道沿いの宿場町として賑わった。
また、加賀藩の特産品だった麻布の産地として、
やがて織物の物資集散地として大いに栄えた。
ここで、地域を上げて半世紀以上続くのが「戸出七夕まつり」。
上掲画像、バス停の奥に写る「七夕飾り」がお分かりになるだろうか?
歩を進め近づいてみよう。





「第59回 戸出七夕まつり」は(2024年)7月4日〜7日の日程で開催。
戸出地区に伝わる伝統的な行事で、地区住民と諸団体が参加する夏のイベント。
18mのジャンボ七夕などの七夕飾りが「七夕のトンネル」として通りを飾る。
一昨日の夕暮れ時に、初めて訪問した。







七夕のルーツは古代中国。
7月7日に織姫と彦星、二人の逢瀬を祝い織姫にあやかって、
機織りの上達を、ひいては様々な手習いごとのスキルアップを願った。
この風習が日本に伝わると宮中行事として執り行われるように。
七夕が一般に定着したのは江戸時代。
幕府が五節供の1つに定めたことで、まず武家の行事となる。
当時、大奥では台の四隅に笹を立て、しめ縄を張ってスイカ、ウリ、菓子などを供えた。
この際、奥女中たちは詩歌や願いを短冊に書いて笹に結んだという。
やがて江戸市中に伝わり、大々的なお祭りに発展。
現在に伝わる「七夕飾り」の行事が形作られた。

高岡・戸出では、昔から子供が生まれると七夕にお祝いをする習慣があった。
笹竹の飾り物は各家の長男の誕生に合わせて制作。
五色の短冊に家族の一人ひとりが、それぞれに願い事を書いて青竹の笹に吊し、
7月7日にそれを川に流したという。





夜には提灯に明かりが灯り、幻想的な雰囲気を演出。
およそ500本の七夕飾りが並ぶ様子は、なかなか壮観。
梅雨空の下、色鮮やかな七夕飾りがサラサラと音を立てる。
吹く風は湿潤で生温かいが、耳に心地よいサウンドは涼感を与えてくれた。







祭り気分に身を委ね、大勢が楽し気にそぞろ歩く。
老いも若きも男も女も、夜店の灯りに照らされて浮かぶのは笑顔ばかり。
賑わいの中に身を置いた僕も、つい口元が綻ぶ。
ある夏の宵のワンシーンである---。
                                   
コメント
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