つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

本津幡駅の節目に寄せて。

2021年07月04日 10時34分34秒 | 鉄道
                  
拙ブログには度々登場する「本津幡駅」。
散歩の立ち寄り定番スポット。
特に春は「一本桜」の満開ぶりと併せてよく撮影している。
花の季節はとうに過ぎ、今は葉桜。
覆いかぶさるように茂る緑の奥に見える木造の建物が駅舎だ。



きのう、一歩足を踏み入れた時の印象が違った。
待合に人がいないのは珍しくないが、随分「がらん」としている。
空間のスペースは変わらないのに、広くなったような気がする。
掲示板の案内を読み合点がいく。
「無人駅」になっていたのだ。





本津幡駅の歴史は古い。
明治31年(1898年)、津幡仮停車場として開業。
明治35年(1902年)、現在地に移転し本津幡駅として再開業。
「津幡町史」に昭和元年~29年までの利用状況が、
折れ線グラフで掲載されている。



上は「乗る人」と「発送する貨物」。
下は「降りる人」と「到着した貨物」。
(※注:縦軸の利用人数は上下逆転)
太平洋戦争の開戦に合わせ、乗車・降車共に急増し、終戦をピークに減少している。
--- 往時の本津幡駅前では、
出征兵士を送る日の丸の小旗が打ち振られたり、
勤労奉仕に出発する少年少女の姿があったのだろうと想像する。

貨物も発送・到着共に昭和20年をピークに下降。
輸送手段として自動車(トラック)への転換が窺える。
昭和50年(1975年)、開業時から行われていた貨物の取扱を廃止した。



もう一つ「津幡町史」掲載の棒グラフ。
昭和36年の町内各駅利用者数を比較したものだ。
本津幡駅が堂々のトップ。
グラフ上、今と殆ど変わらない駅舎は、
120年近く多くの人を送り出し、多くの人を迎え入れてきた。
もちろん、僕もその1人である。



生家に自家用車がなかったこともあり、
遠方へ出かける際の交通手段は鉄道が主。
本津幡駅から乗り込む鉄路は、子供の僕を日常から連れ出してくれる入口だった。
当時は上下線を渡す陸橋はなく、一旦線路に降りてホームを移動した。
また、当時は電化以前。
ローカル線はディーゼルの匂いと共に走り抜けていた。
更に、当時の切符は硬券。
窓口で行き先を告げ、料金と引き換えに手渡された厚紙に、
改札バサミで切り込みを入れてもらった。



そんなやり取りをした一角も固く閉じたまま。
これも時代の流れ。
致し方ないのだが、記憶に残る光景が消え寂しさを覚える。
忘れてしまわないためにも、これからも時折、本津幡駅を訪れ、
眺めることにしよう。
コメント (2)
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