今朝、僕はある「言葉」を胸に散歩へ出かけ、
日中、同じ「言葉」を胸にスマホカメラを構えた。
撮影場所は、ご近所の桜並木前の歩道だ。
<210731朝05:22撮影>
<210731昼11:58撮影>
時間を違え、同地点でシャッターを切ってみると、
太陽の位置によって光と影が創る風景は異なる。
敢えてこんな比較をしてみようと考えたのは、
最近よく頭を過ぎる「言葉」がキッカケだった。
『光が強ければ、影もまた濃くなる。』
18~19世紀にかけ生きた多才なドイツ人、
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」が遺した「言葉」だ。
詩人であり小説家、法律家。
さらに、哲学者にして政治家。
地理や考古学、色彩など自然科学にも造詣が深い。
人は、明るく照らされているところだけを見てしまいがちだが、
その裏に、同じ濃度の影があることを忘れてはならない。
光だけを追い求めて影の存在をないがしろにすれば、やがて光明は失せる。
光と影は、いつも表裏一体。
物事は多角的に捉え、本質を見落さない、見誤らないよう注意せよ。
--- そんな意が込められているのだが、
最近、僕は違う意でよくこの「言葉」を思い浮かべてしまう。
連日、長時間に亘って報道されているとおり、
東京オリンピックでは日本のメダルラッシュが続いている。
その合間に差し挟まれる「新型コロナ感染爆発」のニュース。
「医療体制崩壊」「緊急事態宣言延長」「まん延防止適用」--- 。
日本人選手たちが奮闘・活躍・躍動し放つ輝きが眩しくなるほど、
心に落ちる影の色は濃くなってゆく。
(強調しておきたいが、あくまでも個人的な心象風景のハナシである)
<東京都で過去最多4058人の感染確認 初の4000人超え>
<新たに110人感染 時短要請、繰り上げへ 石川>
この現実を招いた元凶は五輪なのだろうか。
デルタ株という新たな脅威のせいだろうか。
よく耳にするように政治が悪いのだろうか。
どうやらワクチンは切り札ではなさそうだ。
我々はより自らを律する必要がありそうだ。
今投稿は、やはり「ゲーテ」が遺した「別の言葉」で結びとしよう。
『楽しめるときは楽しめ。
耐えなければならないときは耐えろ。』