つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

刹那の眩しい季節。~ 一葉と美登里。

2021年07月24日 14時00分00秒 | 手すさびにて候。
               
普段よく目にする5千円札に描かれた肖像画---「樋口一葉」。
近代日本女流作家のパイオニアの代表作が「たけくらべ」だ。
その書き出しは以下のとおり。

【廻れば大門の見返り柳 いと長けれど
 お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く
 明けくれなしの車の行来に はかり知られぬ全盛をうらなひて】

古文に近い雅文体(がぶんたい)のため、現代人には分かり難い。
僕なりの意訳と注釈を加えて紹介するならこんな感じだろうか。

<迂回して行けば、大門(おおもん※1)外の見返り柳(※2)までは、それなりに遠い。
 お歯ぐろ溝(おはぐろどぶ※3)を照らす妓楼から聞こえる騒ぎは、
 手に取るほどに近く感じる。
 四六時中行き交う人力車を見ても、その全盛ぶりが窺える。>

※1:吉原遊郭唯一の出入り口に設けられた門。
※2:大門傍に生えた柳の木。吉原を出た客が後ろ髪を引かれながら振り返った。
※3:遊郭を囲む堀。汚水が流れ遊女の逃亡防止にも一役買った。

「たけくらべ」とは「丈比べ」。
幼馴染みが互いの背の高さを比べ合い、競い合いながら育つ様子を表している。
即ち、吉原界隈に暮らす早熟な少年少女たちの青春ストーリーという訳だ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十八弾は「一葉と美登里」。



「樋口一葉」は、明治5年(1872年)樋口家の次女として東京に生まれた。
「一葉」はペンネーム。本名は「奈津」という。
父は東京府庁に勤務する傍ら、不動産売買などの副業もこなすやり手。
裕福な家に育った少女は、小学生の頃から読書好きで進学を望んでいたが、
母から「女は学問不要」と強く反対される。
一方、父は味方になり、通信教育で和歌を学ばせてくれた。
早くから文才の片りんを見せていたという。

運命が大きく転換したのは彼女が17歳の時。
事業に失敗した父が、多額の負債を残し他界。
大黒柱がいなくなり「一葉」は火の車の樋口家を背負う羽目に。
現代の感覚で言えば、まだ高校生に過ぎない若年である。
母と妹と3人で針仕事などの内職に従事するも、生活費をまかなうには不十分。
吉原遊郭近くで生活道具と駄菓子を売る雑貨店を開いたが、
借金は減るどころか増える一方。

『もうコツコツ働くだけでは挽回できそうにない。何かいい方法はないだろうか』

悩んだ末に思い至ったのが小説だった。
ヒット作をものにできれば、人生を逆転できるかもしれない。
題材に選んだのは、吉原付近に住む人々。
裕福な文学少女のままでは気付きもしなかったであろう市井の息遣い、
日常を綴ってみようと筆を執り、わずか一年余りの間に11もの作品を書き上げた。
後に“奇跡の14ヶ月”と呼ばれる創作爆発の中で燦然と輝きを放つのが
「たけくらべ」といえる。

主人公は14歳の美少女「美登利(みどり)」。
売れっ子遊女の姉のおかげで暮らし向きは豊か。
「美登里」も姉の馴染み客から小遣いをもらい懐は温かい。
友達に大盤振る舞いしたり、気風が良くて勝気な言動が目に付いた。
まだ年端もいかない子供であることを思えばいい傾向ではなかったが、
誰も咎める者はいなかった。
そう遠くない将来、姉と同じ職に就き、
死ぬまで大門の外に出られないことを知っているからだ。

苦界に生きる定めを背負う少女が、オンナになるまでの短い青春を描き、
その悲哀、心に秘めた強さやプライドも鮮やかに切り取った「たけくらべ」は絶賛を集める。
「樋口一葉」の名は一気に広まり、執筆依頼が殺到。
ついに報われる時が来た---かと思われた。
しかし、彼女の肉体には悪魔が巣食っていた。
当時は不治の病、肺結核の末期だった。

明治29年(1896年)「樋口一葉」没。
24歳の若さだった。
コメント (2)
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