つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

2015夏、旅。

2015年08月30日 07時08分07秒 | 旅行
昨日は、散歩中に津幡町内で目にした夏について投稿した。
今日の話題は、散歩から離れ、この夏で唯一のお出かけについて。

旧盆休暇の8月16日(日)、
僕は2つの目的で、津幡町のお隣・富山へ向けてハンドルを握った。
目的の一つは、富山県民会館で開催された企画展、
「戦時下の暮らし展 遺された資料が語りかけるもの」の観覧である。

富山市は、昭和20年(1945年)8月1日の夜、大空襲を受けた。
B29がバラ撒いた焼夷弾の数は、1万発以上。
落下中に四散する子弾をカウントすれば、51万発超。
当時の人口に換算すれば、1千℃のナパームの火矢が、
市民一人当たり5発も降り注いだ事になる。
都市の面積、人口からみれば、それは東京大空襲を上回る規模だ。

富山大空襲による目標区域の破壊率は、99.5%。
完全破壊である。
市街地は一夜にして灰燼に帰し、死者は3千、負傷者は8千以上。
地獄絵図の下に広がる紅蓮の炎は、
高岡市や金沢市、津幡町からも望見できたという。

富山市では、その甚大な被害を忘れず、後世に伝えるようと考え、
毎年夏、戦争にまつわる生活品や遺品を紹介する企画展を行っている。
それが「戦時下の暮らし展 遺された資料が語りかけるもの」。

会場には、戦争前中後の耐乏生活や、戦争の恐ろしさを伝える写真パネル、
新聞記事、防空頭巾、軍服、富山大空襲で焼け残った茶わんなど、
貴重な200点あまりが並んでいた。
幾つかを掲載する。

 
 
 
 

季節替わりに歩調を合わせ、
夏の間はあれほど盛んだった「戦争関連報道」が姿を消した。
それではいけない。
盛り上がりを創って訴える手法は分かる。 
同様のソースに接していれば意識が馴れてしまい、食傷するのも分かる。
しかし、避けて通ってはいけない事もある。
考え続けよう。 
終戦70年の節目、2015年の夏に大戦への思いを至らせたように。


…さて、2つの目的のもう1つは、KEIRIN観戦である。

訪れた富山競輪場は、富山大空襲から6年後…
昭和26年(1951年)に開設された。
クセのない走りやすい走路で、一周が333メートル。
いわゆる「33バンク」だ。
シリーズ戦はG3「瑞峰立山賞争奪戦」。
タイトルの行方は→南が記念初V 富山競輪瑞峰立山賞

僕のお目当ては、優勝戦よりも特選に出場する「神山雄一郎」の雄姿!
(画像左から2番目:オレンジ:7号車)

 

車券は、当然、7を頭に流し。
何しろ格が違うのだ。
他にも捕らぬ狸の皮算用で、7に絡めて何点か投票を済ませ、
大いなる自信と確信を胸に号砲を聞いた。
ジャンが鳴り、ラスト一周!
予想通りの展開、最後は差し切るっっ!
…と、ほくそ笑んだ瞬間!!
ホームスタンド前で接触事故があり、神山は落車。
(6-9-8:278番人気:配当は三連単196,800円!)
ものの見事に、ハズレ。
残念な結果になった。

…ま、しかし、楽しんできた。 
場内のスナップを掲載する。

 
 
 

バンクに降り注いでいた陽射しも、
バンクを包んだ歓声も溜息も汗も、今は昔。
2015年の夏が、後ろ髪を引かれながら遠ざかってゆく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする