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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

残暑お見舞い申し上げ、向後の大成を祈る。

2015年08月08日 10時14分29秒 | 自然
現在、日本で使われている暦は、明治6年(1873年)に導入した「太陽暦」だ。
名前の通り、太陽の動きを基にして年月を定めている。
それ以前、お江戸の日本は、月の満ち欠けと太陽の動きをミックスした
「太陰太陽暦」が時間の基準だった。

それぞれのしくみや時間計測について書くと長くなるため割愛するが、
明治を境に「暦は別物になった」という事である。

そして、太陰太陽暦では、月日の運行の他に「季節の目安」を組み込んだ。
それが「二十四節気」。
今日・平成27年(2015年)8月8日は、その一つ「立秋」である。
暦の上では秋の始まりだが、日中は真夏日、陽が落ちてからも熱帯夜。
毎年、まるで実感が伴わない。
それもそのはず。
前述の通り、今とは別の暦が定めた基準点だから、
太陽暦に当てはめると、本来のタイミングとズレてしまうのである。

…ま、しかし、昔から親しんできた表現なのだから良しとしたい。
『立秋を迎えた列島ですが今日も厳しい暑さになり』という
報道の耳馴染みのコメントもご愛敬。
元々ズレているんだと考えればいい。
四季に恵まれた土地に暮らし、農耕を基幹産業としてきた民族にとっては、
歴史的な意義があるのだ。

そして、ジリジリと太陽に灼かれながらも、自然は秋の準備を始めている。

 
 

どちらも今朝の散歩で撮影した画像。
逞しく夏を耐え、周到に実りを育んでいるのだ。

また、近隣市町村にはない、我が津幡町ならではの秋の景観はコレ、
「マコモタケ」の田んぼである。

 

「北陸農政局」のHPに掲載されたデータより一部を引用する。

<水田活用によるマコモタケ産地づくり
 (津幡)町の50%強を占める中山間地域では、零細な水稲単作経営農家がほとんどで、
 湿田・耕作放棄地等不利な条件に加え、兼業・高齢化や過疎化が進んむなか、
 地域の活性化が大きな課題となっている。
 そんな中「湿田が適した転作作物」 「手間がかからない作物」ということで、
 平成9年度に有志8人、面積30aでマコモタケの種苗育成を兼ねた栽培を開始した。
 翌平成10年度には生産農家14戸、栽培面積約1haで本格的な栽培を開始した。
 また、生産意欲の高揚と活動体制の強化を図るため、
 平成10年4月に「津幡まこも生産組合」を設立(組合員15人、平均年齢55歳)し、
 事務局を津幡町農林課に置き津幡農業改良普及センターと連携のもと、
 新たな中山間地域の特産品づくりに取り組んできた。>
(※原文ママ/冒頭カッコ内は付加)

マコモタケの特産化(ブランド化)を目指し、
津幡町が様々な取り組みを行っているのは、拙ブログでも紹介した事があった。
その道のりは、The Long and Winding Road。
微力ながら、商品購入を通じて応援している。
いつか“豊作の秋”を迎えるよう、頑張って欲しい。
コメント
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