つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

彼岸の津幡町、屋根の上の面影。

2012年09月22日 12時55分20秒 | 日記
今日、2012年9月22日は、太陽が「秋分点」を通過する「秋分の日」。
長らく「23日」が定番だったが、今年は地球の運行の関係で1日前倒し。
これは、1896年以来116年ぶりとなる、とても珍しい出来事なのだ。

そして「秋分の日」は秋の彼岸の中日。
ちょうど季節の変わり目であり、太陽とご先祖様に収穫を感謝し、
次の豊作を祈るタイミングだ。
お墓参りに出かけたり、お仏壇、仏具の掃除に勤しんだり。
萩の花に見立てた「おはぎ」やお花を供えたりと、
仏事に忙しくしている方も多いのではないだろうか?

そんな日の朝、散歩中に撮影したのが「今日の一枚」。
棟上げの終わった住宅の屋根で、一人の大工さんが働いていた。
お彼岸だからという訳でもないが、その姿を見上げるうち、
亡き「祖父」の事を考えていた。

僕の祖父は、福島県の片田舎に生まれた明治人。
10人兄弟の末席に近い五男坊だったため、家督を継ぐ立場にはなく、
手に職を付け生計を立てようと、東京で大工として働いていた。
縁あって12歳年下の祖母と見合い結婚。
三人の男の子を授かるもののうち二人を病気で失う。
やがて、太平洋戦争の激化に伴い祖母の田舎・津幡町へ疎開し、
定住するに至った。

祖父が亡くなったのは、僕がまだ幼稚園の時。
正直、あまりよく覚えていない。
僅かに、大きな柱時計の下で、祖母と口論する様子と、
棺の中で菊に囲まれた安らかな死に顔が記憶に残っている程度。
しかし、僕は祖父とよく似ているらしい。
父親曰く「後ろ姿や仕草がドキリ」とするほど生き写しなのだそうだ。
当然、僕に自覚はない。

また、生家には、祖父が使っていた大工道具があった。
鉋、ノミ、鋸、差し金、金槌、錐、墨壺などが、
古い道具箱の中にギッシリ。
幼い頃の僕は、それらを手に取っては、
大工装束に身を包んだ祖父の面影を追っていた。
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