つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の街に秋告ぐる、2012。

2012年09月16日 20時11分37秒 | 日記
「冒頭の一枚」は、街路樹の木犀越しの「獅子」。
そう、今年も無事、津幡町に秋季祭礼がやって来た。
僕が住む庄地区・住吉祭は、去年より巡回スケジュールが1日拡大。
きのうから、彼方此方で祭囃子を耳にしている。

…さて、日本での獅子舞の始まりは、飢饉や疫病を祓う「魔除け」らしい。
だが、津幡町をはじめとした秋のそれは「収穫祭」と無縁ではないだろう。
今日、グレゴリオ暦の9月16日を太陰暦に置き換えるなら「8月1日」。
太陰暦の9月16日は、グレゴリオ暦の「10月30日」。
本来は、秋真っ只中の開催になるのだ。
農作業の終焉を迎え、次なる生活ステージへの区切りの意味が
込められているのではないかと推察する。

津幡町・庄区、住吉会の獅子頭は、通称「大獅子」。
プロフィールを津幡町HPより引用する。

『現在の獅子頭は、昭和24年(1929)に富山県井波の
 今井徳造氏によって造られたもので、清水地区同様、
 表面には黒熊の皮が張られている。
 蚊帳は、昭和42年(1967)に作られたもので、
 麻布で牡丹を左右にあしらい、巻毛模様がほどこされている。
 ホネ(胴竹)を3本入れ蚊帳の内側で縛り、
 尾は3.5mの竹に2.5mの赤く染めた麻をつける。』
                    (※津幡町HPより、原文ママ)

結構ビッグサイズなのだ。
過去にも投稿してきたとおり、
その大獅子へ少年剣士が薙刀を振るって挑む様子は、なかなかに勇ましい。

  

石川県・加賀地方では、獅子舞は「棒振」と呼ばれ、
町中で剣士が獅子を退治し、諸難退散を願うのが一般的。
昔から変わらない新暦の秋の風物詩だ。
…が、以前とは違う景観にも気が付く。
それは、長い黒髪を揺らす「少女剣士」達の姿。
僕の記憶が確かならば、その数は確実に増加した。
これも少子化の影響なのだろうか。

  
コメント (2)
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