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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

昭和の津幡で学んだ英語力。

2011年08月16日 16時42分57秒 | 日記
「今日の一枚」は、スガイ書店の店頭に貼り出された「英検」のポスター。
「英検」…正式名称は「実用英語技能検定」。
1963年に創設された日本国内最大規模の英語検定試験だ。
5級から1級まで、難易度によって7つのクラスに分けられていて、
それぞれ、筆記・リスニング・スピーキングなどの試験科目が用意されている。
僕が中学時代は4級から1級までの4段階だったと思うが、
その頃に受験し「3級」に合格した。
つまり、中学卒業程度。
要するに、大したレベルではないのである。

高校、大学に進んでからも英語は学んだが、
お世辞にも上達したとは言い難い。
日本で暮らしていると、カタカナイングリッシュが理解できれば、
英語会話ができなくても日常生活に不自由はない。
しかし、海外を旅した時は、多いに困った。

西側ヨーロッパ(当時はEC/欧州共同体)を旅行中。
ホテルやインフォメーション、観光地、銀行などでは、
小さな町でも英語が通じた。
また、旧植民地での使用頻度は高く、フィリピン、インドでは公用語だった。
初歩的な会話しかできず、何かと難儀した記憶がある。
「勉強しておけばよかった…。」と、思った事も一度や二度ではない。
まさに『後悔先に立たず』である。

但し、これが音楽となると別。
ビートルズ、ボブ・マーレィ&ザ・ウェイラーズ、ビリー・ジョエル、
オリビア・ニュートンジョン、ルイ・アームストロングなど、
中学時代から丸暗記していた好きな洋楽ナンバーは、何かと役に立った。
例えば、一夜の宿をシェアした旅人と。
あるいは、酒場に居合わせた旅人と。
時には、国境の警備員と。
共に声を合わせて歌い、楽しい時間を共有できた。

大英帝国が七つの海を支配していた17世紀~19世紀。
アメリカ・ドルが基軸通貨だった20世紀。
こうした時代背景により、両大国の共通言語“English”は万能ではないものの、
やはり、世界的なコミュニケーションツールだった。
そして、昭和のEnglish Pop Musicは“共通体験”だったのである。
コメント
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