予土線訪問の後半は江川崎から宇和島方面へ移動します。
沈下橋で2本列車を撮影したので、上りの0系新幹線を明るいうちに撮るため、近永より西で待ち構えることにします。
.関東の女性にはちょっと恥ずかしい列車?
沈下橋での撮影を終えて、また江川崎駅まで歩いて戻ってきました。
上りのトロッコ列車が行ってから、下り列車が来るまでは1時間以上あるので、歩いてきても時間が余るほどあります。
ちなみに右側の木造風の建物が観光案内所です。昔来た時はありませんでした。
百貫デブが座って重さに耐えかねて中央でヘシ折れてしまった・・・のではなくて、日本一暑い気温を記録した事にちなんで、お熱いカップル向けに記念写真を撮ってもらおうと企画されたベンチのようです。
そしてやってきた宇和島行きの列車に乗ります。
この列車は予土線の変り種車両3兄弟の次男にあたる車両で、海洋堂ホビートレイン「かっぱうようよ号」として、車内に河童にまつわるフィギュアが展示されています。
河童はショーケースの中だけでなく、このように座席の所にもいて、外の車窓を楽しんでるのが子供、こちらを向いているのが親父というところでしょうか。しかもこのオヤジ河童は人が通ると喋りかけてくるのです。
約30パターンほどの言葉を喋るようで、最初は沿線の観光よもやま話をしているのですが、そのうち
「しゃべり過ぎて、喉が渇いたわ」とかブツくさ言い始めます。そして極めつけは、
「おまん この汽車でどこへ行く・・・」と言い出します。“おまん”これは土佐弁でお前とかあんたとかいう意味ですが、関東の人は決して続けて読まずに、間にひと呼吸入れて読みましょうw
ここは西日本なので関係ありませんが。
.寒い冬の天気に祟られる
かっぱうようよ号を近永で下車し、隣の深田駅との間で撮影すべく徒歩で向かっていたところ、雲行きが怪しくなってきました。
そしてポツポツと降り始めたかと思うと、凄い風と横殴りの雨に見舞われました。
既に駅間の途中まで来ていたのですが、慌てて農家の庇の下に入って雨宿り、雨は10分ほどで止んでまた晴れてきました。もう大丈夫かなと思って歩き、途中の田んぼの所では農作業をしていたので、深田駅の北側まで行って、カーブの所でスタンバイ、ここで窪川行きの0系新幹線と宇和島行きのトロッコ列車を撮るべく待機。
するとまたまた雲行きが怪しくなって急に真っ黒な雲に覆われて、傘も飛ばされそうな風と雨。耐えられずにコンクリート橋の下で待機しますが、結構びしょびしょです。
明るくなって西の空から太陽が出てきましたが、自分の所は結構降っています。そんな中、トロッコ号を撮影、オマケに窪川行きは0系車両から一般車両に差し替えられていて撮れず、何ちゅう天気やねんと、怒りが込み上げます。
トロッコ列車の30分ほど後にやってくる定期列車に乗って宇和島に到着。
宇和島もかなり強い風です。春の嵐というよりは本当に冬のような寒さとコロコロ替わる天気の変化に参ります。
それもそのはず、4月中旬になろうかという四国なのに山間部とはいえ、まさかの雪マークを見るなんて。花冷えどころの騒ぎじゃなくて、完全に冬に逆戻りです。どんだけ寒いねんと。
M根:「これもやっぱり地球温暖化の影響でこの寒さなんでしょうかねぇ~」
.宇和島から松山へ
東宇和島駅で松山行に乗り換えも出来たのですが、久々に宇和島に寄ってみようということで宇和島で下車しました。
駅前に出てきました。
駅前のロータリー西側には小さなSLと牛の銅像がお出迎え、宇和島といえばやっぱり牛ですもんね。
駅から更に西へ出て、南西側にあるアーケード街へ行ってみたのですが、ここも御多分に漏れずシャッター通りとなっていました。
これで土曜日の夕方ですよ。東京なんかのショボいアーケード街に比べれば、よほど立派な物を備えているのですが、地方の凋落は悲しいですね。
闘牛打線を擁して宇和島東高が甲子園初出場初優勝を果たした時の凱旋パレードの時の栄華や、もう30年前の思い出・・・
宇和島駅に戻って、18時台の松山行きに乗ります。
トロッコ号で使われているキハ54が単行で運用に就くようです。駅東側の車庫には0系車両が置かれていて、運用から外れていました。明日は朝から動くのかな?
21:55 トイレなし・ロングシートで3時間20分の苦行?に耐えて松山に到着。
明日は天候次第でどう動くか決めかねていて、天気が良ければ0系撮りに南予へ下りて行ってもいいでしょう。ということで松山で滞泊。
明日はどうなるかな?
沈下橋で2本列車を撮影したので、上りの0系新幹線を明るいうちに撮るため、近永より西で待ち構えることにします。
.関東の女性にはちょっと恥ずかしい列車?
沈下橋での撮影を終えて、また江川崎駅まで歩いて戻ってきました。
上りのトロッコ列車が行ってから、下り列車が来るまでは1時間以上あるので、歩いてきても時間が余るほどあります。
ちなみに右側の木造風の建物が観光案内所です。昔来た時はありませんでした。
百貫デブが座って重さに耐えかねて中央でヘシ折れてしまった・・・のではなくて、日本一暑い気温を記録した事にちなんで、お熱いカップル向けに記念写真を撮ってもらおうと企画されたベンチのようです。
そしてやってきた宇和島行きの列車に乗ります。
この列車は予土線の変り種車両3兄弟の次男にあたる車両で、海洋堂ホビートレイン「かっぱうようよ号」として、車内に河童にまつわるフィギュアが展示されています。
河童はショーケースの中だけでなく、このように座席の所にもいて、外の車窓を楽しんでるのが子供、こちらを向いているのが親父というところでしょうか。しかもこのオヤジ河童は人が通ると喋りかけてくるのです。
約30パターンほどの言葉を喋るようで、最初は沿線の観光よもやま話をしているのですが、そのうち
「しゃべり過ぎて、喉が渇いたわ」とかブツくさ言い始めます。そして極めつけは、
「おまん この汽車でどこへ行く・・・」と言い出します。“おまん”これは土佐弁でお前とかあんたとかいう意味ですが、関東の人は決して続けて読まずに、間にひと呼吸入れて読みましょうw
ここは西日本なので関係ありませんが。
.寒い冬の天気に祟られる
かっぱうようよ号を近永で下車し、隣の深田駅との間で撮影すべく徒歩で向かっていたところ、雲行きが怪しくなってきました。
そしてポツポツと降り始めたかと思うと、凄い風と横殴りの雨に見舞われました。
既に駅間の途中まで来ていたのですが、慌てて農家の庇の下に入って雨宿り、雨は10分ほどで止んでまた晴れてきました。もう大丈夫かなと思って歩き、途中の田んぼの所では農作業をしていたので、深田駅の北側まで行って、カーブの所でスタンバイ、ここで窪川行きの0系新幹線と宇和島行きのトロッコ列車を撮るべく待機。
するとまたまた雲行きが怪しくなって急に真っ黒な雲に覆われて、傘も飛ばされそうな風と雨。耐えられずにコンクリート橋の下で待機しますが、結構びしょびしょです。
明るくなって西の空から太陽が出てきましたが、自分の所は結構降っています。そんな中、トロッコ号を撮影、オマケに窪川行きは0系車両から一般車両に差し替えられていて撮れず、何ちゅう天気やねんと、怒りが込み上げます。
トロッコ列車の30分ほど後にやってくる定期列車に乗って宇和島に到着。
宇和島もかなり強い風です。春の嵐というよりは本当に冬のような寒さとコロコロ替わる天気の変化に参ります。
それもそのはず、4月中旬になろうかという四国なのに山間部とはいえ、まさかの雪マークを見るなんて。花冷えどころの騒ぎじゃなくて、完全に冬に逆戻りです。どんだけ寒いねんと。
M根:「これもやっぱり地球温暖化の影響でこの寒さなんでしょうかねぇ~」
.宇和島から松山へ
東宇和島駅で松山行に乗り換えも出来たのですが、久々に宇和島に寄ってみようということで宇和島で下車しました。
駅前に出てきました。
駅前のロータリー西側には小さなSLと牛の銅像がお出迎え、宇和島といえばやっぱり牛ですもんね。
駅から更に西へ出て、南西側にあるアーケード街へ行ってみたのですが、ここも御多分に漏れずシャッター通りとなっていました。
これで土曜日の夕方ですよ。東京なんかのショボいアーケード街に比べれば、よほど立派な物を備えているのですが、地方の凋落は悲しいですね。
闘牛打線を擁して宇和島東高が甲子園初出場初優勝を果たした時の凱旋パレードの時の栄華や、もう30年前の思い出・・・
宇和島駅に戻って、18時台の松山行きに乗ります。
トロッコ号で使われているキハ54が単行で運用に就くようです。駅東側の車庫には0系車両が置かれていて、運用から外れていました。明日は朝から動くのかな?
21:55 トイレなし・ロングシートで3時間20分の苦行?に耐えて松山に到着。
明日は天候次第でどう動くか決めかねていて、天気が良ければ0系撮りに南予へ下りて行ってもいいでしょう。ということで松山で滞泊。
明日はどうなるかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます