クリムゾンレッドの香りのよいバラ、レヴァラン H. ドンブラン
Reverend H. d'Ombrain (Bourbon)。
八重の花の最外側の花びらが白っぽく、中心は濃くなっていて華やかな
感じです。返り咲き性です。
別名に • Rev. d'Ombrain
Reverend (Rev.) とは尊い、という敬意を表す語で、ドンブラン師、という
感じです。
Henry Honywood D'Ombrain (1818-1905) はロンドン生まれ、英国国教会
の基となったイングランド国教会 Church of England の下位聖職者で、
ガーデナーでした。 幼少のころペルシアン・ラナンキュラスの群生に強い
感動を覚え、花好きになったそうです。長じて1862 ~1873 年には
'Floral Magazine’を刊行しましたが、ガーデニングを始めたばかりの
初心者の悩みを知っている書きぶりだ、と評されたそうです。
1876年創立の National Rose Society (のちの王立バラ協会) の創設者
の一人となり、その事務局長を25年間にわたって務め、協会の Rosarians'
Year-Book を1879 ~1902まで刊行しました。(参考: Peter D. A. Boyd HP)
バラの品種名は彼に奉げられたものですが、作出者はフランス人で、
作出年は彼がまだそう有名でも高位でもない1863年です。なぜかと思い
ましたが、上記HPにさらにこうありました。
「1860年代から、ドンブランはリヨンをはじめフランスやベルギーの至る
所の大きなバラ・ナーセリーを常に訪問して、新品種をチェックし購入
していました。」
作出者マルゴッティン Margottin 親子 (père & fils) は当時パリ近郊に
フランス有数のナーセリーを経営していたので、ドンブランがそこを訪ね
知り合ったことは十分考えられます。親子はイギリスからやってきた熱心
さに惚れて、新品種に 「ドンブラン師」 と名づけたのでしょう。
作出者 フランス Jacques-Julien Margottin (père, 1817-1892)、
Jules Auguste Margottin ( Fils) 1863年。
(千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘バラ園 2015年5月26日、
2014年5月30日)
なお Reverend D 'Ombrain を 「ドンブレイン聖職者」 と訳している例を
1つだけ発見しました。
東京の画商 J.Jeffery's Print Gallery が植物画家ジェームズ・アンドルーズ
が描いた赤のダマスクローズの絵を販売するページですが、画家が描いた
いろいろな植物画が載ったという書物の中に、『ドンブレイン聖職者の「フロー
ラル雑誌」 (1862年-1866年ロンドン刊行)』 というのが出てきます。
これは上記の 'Floral Magazine’のことでしょう。
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上3枚は 佐倉草ぶえの丘バラ園 2015年5月26日。
下2枚は 同 2014年5月30日。
Reverend H. d'Ombrain (Bourbon)。
八重の花の最外側の花びらが白っぽく、中心は濃くなっていて華やかな
感じです。返り咲き性です。
別名に • Rev. d'Ombrain
Reverend (Rev.) とは尊い、という敬意を表す語で、ドンブラン師、という
感じです。
Henry Honywood D'Ombrain (1818-1905) はロンドン生まれ、英国国教会
の基となったイングランド国教会 Church of England の下位聖職者で、
ガーデナーでした。 幼少のころペルシアン・ラナンキュラスの群生に強い
感動を覚え、花好きになったそうです。長じて1862 ~1873 年には
'Floral Magazine’を刊行しましたが、ガーデニングを始めたばかりの
初心者の悩みを知っている書きぶりだ、と評されたそうです。
1876年創立の National Rose Society (のちの王立バラ協会) の創設者
の一人となり、その事務局長を25年間にわたって務め、協会の Rosarians'
Year-Book を1879 ~1902まで刊行しました。(参考: Peter D. A. Boyd HP)
バラの品種名は彼に奉げられたものですが、作出者はフランス人で、
作出年は彼がまだそう有名でも高位でもない1863年です。なぜかと思い
ましたが、上記HPにさらにこうありました。
「1860年代から、ドンブランはリヨンをはじめフランスやベルギーの至る
所の大きなバラ・ナーセリーを常に訪問して、新品種をチェックし購入
していました。」
作出者マルゴッティン Margottin 親子 (père & fils) は当時パリ近郊に
フランス有数のナーセリーを経営していたので、ドンブランがそこを訪ね
知り合ったことは十分考えられます。親子はイギリスからやってきた熱心
さに惚れて、新品種に 「ドンブラン師」 と名づけたのでしょう。
作出者 フランス Jacques-Julien Margottin (père, 1817-1892)、
Jules Auguste Margottin ( Fils) 1863年。
(千葉県佐倉市 佐倉草ぶえの丘バラ園 2015年5月26日、
2014年5月30日)
なお Reverend D 'Ombrain を 「ドンブレイン聖職者」 と訳している例を
1つだけ発見しました。
東京の画商 J.Jeffery's Print Gallery が植物画家ジェームズ・アンドルーズ
が描いた赤のダマスクローズの絵を販売するページですが、画家が描いた
いろいろな植物画が載ったという書物の中に、『ドンブレイン聖職者の「フロー
ラル雑誌」 (1862年-1866年ロンドン刊行)』 というのが出てきます。
これは上記の 'Floral Magazine’のことでしょう。
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上3枚は 佐倉草ぶえの丘バラ園 2015年5月26日。
下2枚は 同 2014年5月30日。
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