リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

218. 16回目のドイツ旅行(21)ネルトリンゲンへ

2020年07月14日 | 旅行

▶ネルトリンゲンは初めて訪ねる町でした。


ネルトリンゲンのマルクト広場
*今日の写真は全部福田三津夫撮影です*


◆2019年8月3日(土)何とも後味の悪いスタート

 ランツフート中央駅までと予約したタクシーは、約束の時間通り9時半に宿の前までやってきました。運転手は生粋のドイツ人らしい雰囲気の中年男性です。安心して乗り込んだタクシーでしたが、大通りと反対方向に向かい、何やら森の中へ入っていきます。「こんな近道があったのかしらね」と三津夫と話していたのですが、なかなか大通りが見えてきません。坂を上ったり下りたり…。「こんなに遠いはずはないよね?」と思う頃に、私たちでさえ歩いて宿まで戻ってきた聖マルティン教会がやっと出てきました。もう確実です。日本人と思ってか、ぼられたのです。それからおもむろに大通りを真っ直ぐ中央駅に向かいました。内心腹が立ちましたが、来たときに乗ったタクシーでは何分かかったとか計ってもいませんでしたし、苦い思いをのみ込んでしまいました。来た日の料金は11ユーロ、今回は15.5ユーロでした。それなのにほんのわずかチップを上乗せして大人しく支払ってしまう自分がなお腹立たしく、何か苦情を言えば良かったなぁと今でも後味の悪い思いです。

 ランツフート中央駅に着いてから雨がひどく降り始め、どんどん寒くなってきました。上衣を引っ張り出してもまだ寒いぐらい。踏んだり蹴ったりのスタートとなりました。ミュンヘンからネルトリンゲンへの旅はさらに大変でした。というのは列車がミュンヘンに11時18分に到着する予定が25分頃になってしまったからです。11時35分に13番線から発車する予定の列車に急いで乗り換えようと思いましたが、私の後から下車したはずの三津夫の姿が見えません。しばらく待ってみましたがいないので、もしや先に行ったのかとホームの端まで行くと「何してたのさ!」と三津夫が怒りながら私を待っていました。いつ追い越されたんだろう? その後二人で13番線まで走りましたが列車の姿がなく、大慌てでスマホ検索してみると15番線に変更と赤い文字で出ていました。また15番線に走ると、Aalen 行きの列車に乗らなければならないのに Treuchtlingen 行きとなっています。「どうすればいいの?」とパニック。車掌に聞くと、ただ「15番線だ」と取り付く島もなく、取りあえずその列車に乗り込みました。混雑の中で辛うじて席を見つけて座り、近くの人に聞いたところ、「この列車は前が Ulm 行き、真ん中が Treuchtlingen 行きで、最後部が Aalen 行きなんですよ」と教えてくれたのです。そうならそうと表示してくれれば安心するのに、もう…。私たちは中央に乗ってしまったので、途中で乗り換えなければならないことがわかりました。そんなこんなでネルトリンゲンへの旅は何ともあたふた、しんどい旅となってしまいました。 

 

◆楽しみにしていたネルトリンゲン

 前回の2018年の旅は同時代の作家たちでも特にミヒャエル・パッハーの作品を訪ねてチロル地方まで出向いたのでしたが、今回はニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンの作品をメインに旅程を組んで、初めてネルトリンゲンにやって来ました。ここは隕石が落ちた跡にできた町として有名ですが、ウィキペディアでは次のように書かれています。

ネルトリンゲンは、1500万年前にシュヴァーベンジュラ山脈に落下した隕石クレーターであるネルトリンガー・リースに位置する。このクレーターは直径23 kmあり、その縁は環状の連丘に見える。リース内をヴェルニッツ川とエーガー川が流れ、この都市の南東約30 kmの地点でドナウ川に注ぐ。
隕石が衝突した際、瞬間的に超高温、超高圧にさらされた地表スエバイトに変化した。このスエバイトは建築用途に重宝され、現在も同市内の建物で見ることが出来る。また、フランケン地方南東部およびシュヴァーベン地方の北部に位置しており、住民の大部分はアレマン語の一方言であるシュヴァーベン語を言語とするアレマン人が多い(アレマン諸語の最北端に属する)。

 私たちが楽しみにしていたのは、この町のマルクト広場に建つ聖ゲオルク教会でした。教会の中央祭壇にニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデンが腕を振るった素晴らしい彫刻があるのです。この詳細が書かれた大部なカタログをフランクフルトでシュテファン・ロラーさんからいただき、この日のために毎日のように眺めては予習してきたのでした。

 ネルトリンゲン駅に着くと、駅は工事中。脇をすり抜けると、駅の真ん前に私たちのホテルはありました。新しくてきれいですが、昨日までのアパートメントに比べるとギュッと狭苦しさを感じるのはやむを得ません。まだ寒かったのでもう少し厚着をしてからカメラを持って町に向かいました。Deining Torから旧市街に入ると何やら市が開かれていました。でも食べ物屋さんがほとんどないのです。入口近くでソーセージを焼いているお店を見つけたので「あそこが良いかな」と言っているうちに売り切れてしまいました。こうした市場で焼いているソーセージは結構美味しいのですが、残念。広場の中央に入っていくと年季の入ったレストランは開いていたので、ここに入るしかなさそうです。今日は何といっても土曜日、明日は日曜日ですから、ドイツではレストランは閉まるところが多いのです。うかうかしていると食べ物が手に入りません。明日は朝食付きなのでなんとかなりそうですが、今のうちに昼食兼夕食をとっておかないと夜中にお腹が空きそうです。このレストランはウェイターがツンケンしていて何となく日本人差別をされているような感じがしましたが、やっと持って来てくれたスパゲティは美味しかったのでまぁ良しと思うことにしました。

 

◆中世彫刻の面白さ

 さていよいよ聖ゲオルク教会です。
 中に入ると、カタログで何度も見ていた祭壇がありました。ゲルハルトらしい表情のマリア・マグダレーナ、聖ゲオルク、優しい雰囲気の聖母マリア、そして、不思議な魅力の天使たち。でも、キリストとヨハネは現代に生きている人のような顔で彫られいました。(この辺の写真は第4巻の写真集〈2020年秋発刊予定〉にたくさん掲載します。)
 私はもっぱら祭壇の撮影に集中していました。三津夫は祭壇を見終えると周りの作品もゆっくりと見て回り、面白かった椅子の彫刻を撮影し始めました。それが下の写真です。ウルム大聖堂でもミヒェル・エーアハルトが彫ったベンチの彫刻を見てきましたが、それらは彫りが素晴らしく、深い表情をしていました。一方、こちらは何となくユーモラスで、愛嬌があります。ミヒェル・エーアハルトの彫りとは雰囲気がちがっていてまた面白く、人物像もふわっと親しみを感じさせるものでした。この彫刻が数え切れないほどあって、祭壇を撮影し終えた私も興味を覚え、一眼レフで撮り始めたので、とうとう三津夫は待ちくたびれてしまったようです。ほどほどに切り上げて外に出ると雨に濡れた広場が眼に入りました。市場に出ていたお店も急いで閉めたようで一つも営業していませんでした。
  



聖ゲオルク教会の彫刻たち 
*作者はネルトリンゲンの彫刻家、Hans Tauberschmid*
 
下は雨に濡れた聖ゲオルク教会



 スタートは大変でしたが、終わってみれば素晴らしい彫刻を堪能できて、充実した一日でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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