リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

278. 17回目のドイツ旅行(6) オットーボイレンからケンプテンへ

2023年01月20日 | 旅行

▶ドライブ旅行は続きます。



オットーボイレン、ベネディクト修道院(教会・修道院③)


▶まずはオットーボイレンへ

 オットーボイレンのマイスターはドイツ後期ゴシックの彫刻家の1人で、優美な服の襞に特徴がある作品を残しています。マイスターの実名ははっきりしていませんが、もしかしたらハンス・トーマンかもしれないという情報もあったので、『結・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』に三津夫が彼についての記事を書いています。
 ハンス・トーマンについては「聖バルバラと聖マルティン」「聖ゲオルクと聖マルガレータ」という対になった4体の彫刻がニュルンベルクのゲルマン国立博物館にあり、前掲書に8頁にわたってその写真を載せました。この博物館は館所有の画像しか掲載を認めてくれなかったのですが、私が写した写真もどうしても載せたいとお願いしたところ、正面から写した写真に館の画像を使用すれば他のアングルの写真の掲載も認めるという条件で許可が下りたのです。「リーメンシュナイダーを歩く」写真集シリーズの締めくくりとしての5冊目にようやく載せることができたゲルマン国立博物館の作品は7点でしたが、その中でも最多の頁を割いたのがこのハンス・トーマンの彫刻でした。

 シュトゥットガルトからウルムを通り越して東南約130kmのところにオットーボイレンがあり、更に南に20kmほど下ったところにケンプテンの町があります。このケンプテンがこの日の最終目的地でしたが、このような流れから、ケンプテンまで行く間にせっかく近くを通るのならオットーボイレンにも寄ってみようと思ってこの日の訪問を計画したのでした。


◆2022年9月7日(水曜日)
 朝8時40分。いよいよアンゲリカのアパートとはお別れ。きれいに整えられた部屋と3日間にわたる心のこもった接待に感謝しつつトランクの荷物をまとめました。ヴィリー車と朝早くから駆けつけてくれたシルヴィア車との2台に分かれて乗車しました。アンゲリカ、ヴィリー、シルヴィアと私たちの6人で今夜はケンプテンに1泊します。大きなトランクと友人たちの宿泊荷物で車の中は一杯一杯でした。

 好天に恵まれ、広がる景色を楽しんでいたら、突然アンゲリカのアパートに私の上衣を忘れてきてしまったことに気づきました。部屋の扉の裏側にハンガーが設置されていてそこにかけていたのでしたが、ドアを開けっぱなしで荷物を詰めていたら完全に上衣の存在を忘れてしまったのでした。何という大失敗でしょう。今さら戻ることもできません。他にも上衣を持ってきてはいるので大丈夫なのですが、忘れてきた上衣をどうしたらよいのか考えて落ち込みました。あとでアンゲリカにお詫びしたところ、「どこにでも送ってあげるわよ」と笑顔で言われて心底ホッとしました。この旅の間は他の上衣で何とかなるので、最終宿泊予定のトーマスの家に送ってもらうことにしました。アンゲリカ、ありがとう! あなたの笑顔に救われました。

 オットーボイレンの Abbey とは、764年から連綿と続くベネディクト会の共同体が生活しているという大きな修道院でした。1250年以上前から続いているという歴史に驚きます。併設されている博物館は現在工事中と予め知ってはいました。でも修道院は開かれているのでハンス・トーマンかもしれないオットーボイレンのマイスター作品が一つでも残っていないかと探してみましたが、残念ながら何も見つけることはできませんでした。ただ、いずれもう一度自分たちの足で見に来ようと思っていましたので、無駄足ではありませんでした。
 ※この
博物館は2022年12月には再開するということでしたが、今ホームページで確認したところ、今年の4月2日から10月31日まで見学できるとのことなので冬場に訪ねても入れないことがわかりました。



ベネディクト修道院の正面


▶ケンプテンの奇跡

 旅の大きな目的の一つ、ダニエル・マウホの作品「マリアの戴冠祭壇」を見に行くためにケンプテンに向かいました。この町の名前はマウホのカタログを入手するまで知らなかったのですが、カタログの1番目にこの祭壇が取り上げられているのです。

 ヴィリーとシルヴィアの運転連携は素晴らしく、順調にお昼過ぎにケンプテンに到着しました。中世の頃には大変栄えていた町の一つだったようで、大きな教会がいくつも建っていました。取りあえずホテルの駐車場に車を置き、レストランを探すと、ちょうど6人が入れる落ち着いたレストランが見つかりました。食事後、マウホの祭壇が見られるはずの聖ローレンツ教会(教会・修道院④)に着いたのは午後2時半を回った頃でした。



聖ローレンツ教会(教会・修道院④)

 ここは大きな堂々とした造りの教会です。けれども、中に入っていくら探してもマウホの祭壇が見つかりません。シルヴィアもヴィリーもスマホで検索しては「あそこではないか」「いや、ここの美術館にあると書いてあるよ」とアドヴァイスしてくれるのですが、全部走り回って尋ね歩いた挙げ句、どこも「ここにはありません」とつれない返事。最後にシルヴィアがこのローレンツ教会の事務局に電話をかけて確かめてくれたところ、「実は今、その祭壇は個人蔵になっていてローレンツ教会にはないのです。その方に直接連絡を取ってみてください」と電話番号を教えてくれたというのです。シルヴィアが早速電話をして聞いてみたところ、何と今から見せていただけるとのこと。皆で拍手してしまいました。
 その住所を聞き取ったのはシルヴィアでしたが、歩いて探してもその名前の通りが見つからず、その方のお宅がどこなのかわからないのです。こちらかもしれない、もう少し先かもしれないとしばらく迷いながら歩き回って「どうやら無さそうだ…。住所が違っているのか、聞き間違いだったのかなぁ」などと感じ始めたところで、「ここよ、ここよ!」とシルヴィアがその小さな通りを見つけたのでした。その先に見えたのがこの景色です。シルヴィア、一瞬でもこんなこと考えて本当にごめんなさいと心の中でお詫びしました。



塀に囲まれた小さな個人所有のマリア礼拝堂(教会・修道院⑤)

 
マリア教会の正面で。 

 でも入口が見当たりません。ぐるっと回り込んで反対側に鍵のかかった門が見つかりました。シルヴィアがもう一度電話したところ、老婦人と少年が反対側の門の鍵を開けて入ってきて、私たちの側の門の鍵も開けてくれました。肌の輝いた元気そうなご婦人はクリスタ・フーバーさんとおっしゃるそうです。お孫さんだという少年は早速箒で礼拝堂前の落ち葉を掃き出し、ようやく私たちはマウホの「マリアの戴冠祭壇」を見ることができたのでした。フーバーさんはマウホのカタログを手に持ち、よどみなく解説をしてくださいました。門が開いているのに気が付いたご近所の方も一緒に聞いていました。

 それにしても何という奇跡の連続でしょう! この奇跡を招き寄せてくれたシルヴィアに心から感謝しながらその可愛らしいマリアの戴冠場面を表した祭壇を撮影させていただきました。


 
マリアの戴冠祭壇(緑) 

 この祭壇を拝観できた後は満たされた思いでゆっくり帰途につきました。その途中、さっき尋ねて回った美術館の一つ、Zumsteinhaus(博物館② なんて訳せば良いのでしょう?)が無料だったので皆で入ってみました。でもいわゆる郷土博物館のような内容で、受付の女性が答えたとおり、ここにはマウホ作品はありませんでした。
 ホテルにチェックインして一休みしてから夜は町まで出てカフェでそれぞれのお腹の空き具合にあった物を食べ、何度もこの奇跡の瞬間に話が戻ったことでした。

 次回はウルムとウルム郊外の教会について書く予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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1 コメント

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Unknown (Maki)
2023-02-03 12:24:20
何度もコメント失礼いたします。私はドミニクスツィンマーマンの追いかけ人(笑)になり
ケンプテンと郊外のAlba教会に12月行ったばかりでした。フローレンス教会は見落とした場所もあり、再度訪問を考えています。
素晴らしい場所を教えていただきありがとうございました。オットーボイレンはバロックキルケに興味がない時、コンサートを観にいきましたが、こちらも再訪予定。
日本でドイツの春を待っています。
乱文ですみません。
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