雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

誕生日だった

2024-03-03 05:41:45 | 発想$感想

★『誕生日』でFacebookでは数えきれない方からお祝いのメッセージを頂いた。
 すべての方にお礼を申し上げた積りなのだが、
 若しかして忘れていたらご容赦頂きたい。

 いつもは家内と二人きりの誕生日なので、静かで特に何にもないのだが、
 今年はアメリカからたまたま娘が来ていて、
 誕生日ケーキなども買ってくれた。


  



 ケーキ屋さんなど、いつもはご縁がないのだが、





  こんなケーキを頂いて、ご満悦である。





  91回目の誕生日なのだが、
  本当に長く生きたもので、それも結構元気に生きているのがいい。
  今朝も三木総合防災公園を1万歩になるまで歩いてきた。

  今年になって、この1万歩1日も休まずに続いている。


★ 2024年の3月2日は土曜日なのだが、
  生まれた年の1933年3月2日は何曜日だったのだろう?
  とふと思って、Googleで検索したら、

  『木曜日』と出てきた。
 
  


   
 何でも直ぐ解る世の中になったものである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

91歳になった

2024-03-02 06:02:23 | 私の生き方、考え方&意見

★『91歳になった』
 ホントにこんなに長く生きるとは思わなかった。
 20歳代の学生時代に肺結核になり『空洞』なども出来たので、
 人生は短いかなと思って『短い人生』を自分なりに記録しておこうと日記を書きだした。
 その日記がもう70年にもなってしまった。
 そんな日記があるので、相当旧い時期のことも読み返せば解るので重宝している。

★記録を残すことは『趣味』のようなところもあって、
 40年間勤めたカワサキでの現役生活についても、
 当時の記録も含めて今も手元に持っている。
 たまたまカワサキが二輪事業をスタートした昭和35年(1960)から単車営業課に異動したので、
 カワサキの単車のスタートから、少なくとも40年間については、結構正確にその記録を持っている。

 そんなことで手元にあった資料は『現役諸君』にもお渡ししたので、 
 正規の記録として残っている筈なのである。

★そんなカワサキでの40年間も含めて、
 現在では一般の二輪愛好者とのお付き合いもあるので、
 私自身は二輪車を持っていないし、乗らないのだが、
 二輪の世界は今でも私の生活で結構大きな比率になっている。
 そういう意味では『二輪業界』に関係があったことはよかったなと思っている。


  
 

 私の人生で一番良かったなと思っていることは

 Kawasaki Let the Good Times roll !

   と言うカワサキの基本コンセプトをこの世に残せたことである。
 1970年代にアメリカで創られたこのコンセプトは
 20年の長きに亘って世の中から消え失せていたのを
 1990年代に私が国内市場で復活したのだが、
 今では、カワサキモータースの基本コンセプトに採用されたので、
 もう永久に消えることはないだろう。

 『カワサキに出会う人たちがハッピイになるように
  カワサキはGood Time を転がし続けます』という
  カワサキの事業に対するコンセプトなのだが、

 私自身は自分の生き方としても
 『私に出会った人たちが、ハッピーになるように
 いろんな方たちとのお付き合いをしてきたのだが、
 多分、それは実行できたのではないかと思っている。

 
★ 現実には91歳にもなって
  最近ではお会いできる方も限られてはいるのだが、
  『ネットの世界』では毎日、多くの方との出会いがあって
  『私の毎日』は結構豊かなものになっていることに
  我ながら満足しているのである。

  今年に入って2か月が過ぎたが、『毎日1万歩』は続いている。
  これから始まる『91歳の毎日』も多分元気に動けるだろうし、
  『ネットの世界での発信』も続くだろう。

  あとは、庭の草抜きぐらいが日課になるのかな。

   

  
  なかなか実現はムツカシイのだが、
  『草が生えていない庭』を目指して頑張っているのである。



  



 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキのZ1とNinja の想い出

2024-03-01 06:52:39 | カワサキ単車の昔話

★ 私自身はカワサキで二輪部門の企画や市場関係を担当していて、
 技術関係の車の開発などには殆ど関係しなかったのだが、
 この「Z1とNinja」にはカワサキの歴代のバイクの中で、
 私にとっても特別の想い出があるバイクなのである。

 カワサキがレースを始めた当時は『レース運営委員会』で運営されていて、
 そのメンバーは、山田熙明・苧野豊秋・中村治道・高橋鐵郎・大槻幸雄・藤佶郎・田崎雅元という
 当時の技術・生産・営業のメンバーで構成されていて、
 その事務局と当時のライダー契約などをが担当していたのである。

 当時はまだ各部の部課長や掛長の時代だったのだが、
 このメンバーの中から川崎重工業の社長副社長などが出ているのを見ても事業の中枢メンバーであったと言えるのだろう。


★このレース運営委員会はカワサキが初めてGPレースに参加した1966年まで存続したのだが、この年の秋を最後に解散したのである。
 大槻幸雄さんは技術部の市販車開発部門に、私も営業部門に配属されることになったのだが、
 その時大槻さんは私に『世界一のバイクを創る』と熱く語ったのだが、
 そのバイクがあのZ1に繋がったのだろうと思うのである。

  
 

 このZ1の開発当時は山田熙明さんが技術本部長時代で、
 大槻幸雄さんが課長時代だったと思うが、
 最初は750ccで開発が進められていたのだが、
 ホンダが750ccを市場に出したので、急遽900ccに変更されたのも、『世界一のバイクを』と言う大槻さんの想いの現れだと思っている。
 大槻幸雄さんとはZ1会のゴルフコンペなどで、ごく最近までお付き合いがあったのである。

 カワサキの初代のレース監督大槻幸雄さんで、助監督田崎雅元さんだったのである。


★ Ninja900が世に出たのは1984年だから、
  Z1が世に出てから12年もあとのことなのだが、
  大庭浩単車事業本部長の頃で技術本部長は安藤佶郎さんだったと思う。

  このバイクは「GPZ900R」として開発されたのだが、

  
当時のアメリカ市場から、Ninja』と言うネーミングが提案されたのである。
忍者』のイメージは暗いからと開発部門が猛反対で、
 大庭浩本部長が自ら当時のアメリカKMC社長だった田崎さんに、その意向を伝えるべく渡米されたのである。
 その席には大庭さん・田崎さんと私の3人だけだったのだが、
 大庭さんの伝達に対して田崎さんは猛烈に食い下がって「YES」と言わないのである。

当時はアメリカではNinjaが流行っていて、それは黒装束の忍者のイメージではなく、007のカッコいいイメージ』だというのである。

田崎さんはKMC社長ではあったが、川重では新部長の頃だったのだが、大庭本部長の説得を『よく頑張り通した』と思う。
事業本部長が説得すれば「Yes」と言うのが普通なのである。

そんなこともあって、最初の車はアメリカ市場だけが『Ninja』と言うネーミングで発売されるのだが、
その『Ninja』のネーミングが好評で、いろんなバイクのネーミングに使用され、今年はNinja40周年に当たるのである。

このNinja 900のエンジン担当開発者は若いころの山田浩平さんで、
山田さんとは今でもFacebookで毎日のように繋がっているのだが、
そのエンジン開発のコンセプトはZ1とは全く違ったものだったようである。
 
  

 
いずれにしてもZ1とNinja は『カワサキを代表する名車』であることは間違いない。
 そして、それは旧く『レース運営委員会のメンバー』が
 色濃く関係しているのは不思議だなと思っているのである。

 そして殆ど開発などには関係していなかった私も、
 懐かしい想い出を有しているのである。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろあった1日

2024-02-29 06:59:32 | 発想$感想

★朝は協同学苑でスロー・ジョッギング、
 坂を下ったところで、女性に声を掛けられたので、
 誰かと思ったら、娘だった。
 私は協同学苑まで車で来て、園内を歩いているのだが、
 娘は家から走ってきたらしい。
 写真を撮って貰って、

 
  



 ツーショットも撮ってきた。
 池からは山道を登って家まで戻ったらしい。






★ 10時半からは家内の定期検診が播磨総合医療センターであったので、
  小野まで出かける。

  検査の結果は『変化なし』なので大丈なのである。


  


 
  帰りに三木の一休庵で、



  


  天麩羅そば定食を食って戻ってきた。

   
  


  旨かったが、体重は83.8kgとちょっと増えていた。

  午後、家に戻ってからは庭仕事、
  『草抜き』などして時間を潰す。

   




★ 夜は女子サッカー日本ー北朝鮮を観ていた。
  2-1で勝って、パリ五輪出場を決めた。

  いろいろあった1日だった。


コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘がアメリカからやって来た

2024-02-28 07:09:05 | 発想$感想

★ 昨夜娘がアメリカからやって来た。
 3月中旬以降まで日本に滞在するらしい。


          



 その第1日目は日本の医院を
 皮膚科・歯科・眼科と梯子していた。
 三木市民にもなっているので保険証も持っているのである。
 『安い』と喜んでいた。



      昼飯は、アメリカでは食えない
  とろろや焼き魚に漬物など家内が作っていて、
  夜は『おでん』だとか。

      

  

  日本滞在中は、湯村温泉や山形の銀山温泉にも行くようだが、
  湯村温泉は私と家内も同行することになっている。

  娘が戻ってきたので、滞在中には鎌倉の息子も三木に来るとか。
  久しぶりに、4人揃うことになる。

 
★ もう、二人とも還暦に近い年代なのだが、
  子供だった頃が、ついこの間だったような気がする。
  息子とは魚釣りなどよく一緒に行ったりしたのだが、
  娘とは、二人だけで行動したことは意外に少ないのだが、
  一度だけ仙台から明石への出張時に二人だけで明石に戻ったことがある。
  まだ幼稚園にも行ってなくて、ようやくひらがなが読めるようになった時期なのだが、
  列車の連結の扉に書いてあった
  『開けたら閉めてください』を『けたらめてください』としきりに声を出して読んでいたのを想い出す。


  最近は、みんな自動ドアだから、
  そんなことは書いていないようである。


   
   

  今朝はホントに久しぶりに皮膚科に娘と二人で出かけたのだが、
  二人だけになったのは、ひょっとしたら、この2回だけかも知れない。
  と昔のことを想いだしたのである。
  
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アクセルとブレーキの踏み間違え

2024-02-27 06:49:32 | 発想$感想

アクセルとブレーキの踏み間違え事故が多発している。
 なぜ、あんなに多発するのか?
 ホントのところ不思議に思っている。





 『踏み間違える』のはなかなかムツカシイと思うのだが、
  現実には事故多発なのである。

  こんなこと言うのもオカシイが
  アクセルとブレーキを踏み間違えるのはなかなかムツカシイと思うのである。

  原因は多分二つあって
  ● 一つは急発進・急ブレーキなどの粗っぽい運転と
  ● 右足のカガトの位置がおかしいのでは
  と思っている。

  下図のような右足のカガトの位置にしておけば、
  踏み間違えは起こらないと思うのだが、
  現実はどうなっているのだろう?
   

   
   

★ いずれにしても、急発進などレース以外は必要ないと思うのだが・・・
  いずれにしても、一般道路などではスピードなど出さないことだと思う。
  私などは、高速運転はコワイ方である。

  谷田部の高速テストコースで200kmで走ったこともあるし、
  ドイツのアウトバーンで180kmで走ったこともあるが、
  いずれもあまり気持ちのいいものではなかった。


     
  

  高速恐怖症に近いと思っている。
  かって鈴鹿サーキットのスタート当時はS600で素人でもサーキットが走れて、
  カーブ走行は楽しめたが、直線でスピードを出すのは怖かった。
 

  車の運転そのものは、好きなのだが、
  『アクセルとブレーキの踏み間違え』などホントになぜ起こるのだろう?
  と思っている。
  
  
 
  

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪マラソンよかったな

2024-02-26 06:22:58 | スポーツ

★ 昨日の大阪マラソン、テレビで観てたがホントによかったな。
 2時間ちょっとをずっと観ていた。


 今年の箱根駅伝の国学院大のエース・平林清澄(3年)が、
 初マラソンで衝撃のレースを見せ、
 2時間6分18秒の好タイム優勝した。
 
 
 


 いつもは外国人の招待選手が優勝するのを見慣れていたのだが、
 初マラソンながら33kmあたりからTOPに出て、
  S.キッサ(ウガンダ) の追随があったので、また逆転かなと思ったりしていたのだが、
 最後はその追走を振り切っての優勝だった。


  


 まだ大学生、かっての瀬古を想い出すような初マラソンでの快走だった。
 2時間6分18秒のタイムも初マラソン新記録だとか。
 久々にマラソン界に期待のニュー・エースが現れた感じだった。
 今後の活躍を期待したい。
  
 パリ五輪代表内定の小山直城も終始頑張って先頭グループを走り3位!
 日本歴代9位の2時間6分33秒で「第一目標」クリアした。

 

 
  なかなかのいい2時間だった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乳頭温泉郷   雑感

2024-02-25 08:16:06 | 発想$感想

★ 何日か前だったが、テレビで『乳頭温泉郷』を取り上げていた。

 「一度は行きたい乳頭温泉郷」とあるが、何回行ったか解らぬほど行っている。

 
  


  昭和42年(1967)から4年間、仙台で東北6県を担当したのだが、 
  当時はクルマでの移動で、東北6県を走り回っていた。
  二輪の営業は代理店は勿論、地域の販売店を訪問するので、
  極端に言えば、東北の殆どの道を走ったと言ってもいい。

  乳頭温泉盛岡から秋田への通り道にあるので、
  その移動の時の宿泊所だったのである。


  



  乳頭温泉と検索するとこんな写真がいっぱい並ぶが、
  当時は今よりは温泉と言うより『湯治場』と言った方がいい『ひなびた温』で湯治客でいっぱいだった。





 
 当時の東北の温泉は、市内のホテルより安く泊まれたので、
 乳頭温泉に限らず、東北6県の温泉は殆どと言っていいほど知っている。

 秋田だけでもこんなにいっぱい温泉があって、
 あちこちの温泉を泊まり歩いていた。

  
  
 
★ 東北には4年間、そのあと近畿・中部なども含め全国を担当したので、
  全国各地の温泉によく泊まったし、
  spa直入建設当時は、直入は勿論、大分・熊本の温泉郷などにもよく泊まったものである。

  北海道も2度担当したので、
  北海道の温泉も殆ど知っていると言ってもいい。


  


 現役時代の40年は、今の二輪営業のスタイルとは全く違って、
 各社とも地域代理店とその下にある販売店網の時代だったから、
 そこへの訪問が営業活動の主体だった、
 ホントに恵まれた環境の中で過ごしたのである。

 代理店の販売店会議なども『新年会』など温泉地で開催されることが多かったので、熱海や白浜など有名温泉地に行くことも多かった恵まれた現役生活だったのである。

  そう言う意味ではいい時代を過ごせて『運がよかった』と言っていいのだろう。


  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は梅から

2024-02-24 05:01:26 | 発想$感想

★ 2月中旬、春はもうすぐそこに来ているような気がする。
 
 「春を呼ぶ花たち」と検索すると
 「春は黄色い花からやって来る」と菜の花の写真が真っ先に出てくる。





  確かに我が家の福寿草もその黄色い花を見ると
  「春も近いな」と思ったりするのだが


  
 

  黄色い花は、まだ『早春』と言う感じで、 
  ピンクの花を見ると、もう春だなと思ったりする。

  ピンクの花もいろいろあるが、
  やはり象徴的なのは『梅』だろう。
  
  我が家の梅も今ピンクの花を咲かせている。
  梅の木はこの2本しかないのだが、今が盛りである。
  

   



  近くで見ると、こんな可憐な花である。
  近くで見るとなかなかいい。


  

  
  「春はもうそこまで来ている」という実感が湧く。
  来週はもう3月、まさに春となる。
  私は91歳を迎えることになる。
  90歳の最後の1週間である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党がおかしい? どうなるのだろう?

2024-02-23 07:19:28 | 発想$感想

★ 政治の世界のことはよく解らないが、
 このところの自民党はどう見てもオカシイ。
 国民が疑問に思ってたこと、怒っていたことに対して、何も答えが出てないような気がする。
 国民が何に怒っていたのは、5億とか6億と言う大金を表に出さずに、
 裏金として勝手に自由に使っていたことだと思うが、
 こんな政倫審でホントに解決できるのだろうか?




 

 今までもいろいろと問題らしきことは起こったが、
 何となく切り抜けてきて、自民党政治は安泰だったが、
 今回は、国民の目はちょっと今までとは違うのではなかろうか?
 それがこんな内閣支持率に現れているように思う。


  
  


  国民の殆どが『岸田内閣不支持』なのである。
  これはひどい。
  自民党のイメージが変わってしまった感がある。
  今回はちょっと違うような気がする。
  自民党の体質が根本的に変わったりはしないだろう。

  派閥は表向き無くなったようだが、
  ホントにどうなっていくのだろう?



 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

90歳代の生活  2  お金

2024-02-22 05:27:05 | 私の生き方、考え方&意見

★昨今、株価の高騰が話題である。
 株も少しだけだが持ってはいるが、『株価』などには全く無関心である。
 更に世の中の賃上げの話題もあるのだが、
 そんな賃上げも株価にも、と言うより『お金に無関心』なのである。

 自分の一生を振り返ってみても『お金に無関心』で生きてきたような気がする。
 お金の値打ちがどんどん変わったそんな一生だったと言っていい。
 こんなに金の値打ちが変わった時代を生きたのは『昭和一桁生まれ』が初めての世代だと思うし、
 こんな経験をする人は今後もいないのではなかろうか?

★ 小学校の頃は、自転車が100円しなかった。
 一般の給料も月給が100円以下の時代だった。
 それが終戦で、朝鮮から家族一人1000円だけを持って引き揚げてきたのだが、 
 戦後の日本は闇米が1斗1000円もした。
 朝鮮では1斗100円ぐらいだったからその10倍もしたし、その値段でもなかなか手に入らなかった。
 
 全然今の世の中とは違っていて、家など建てようという人は少なかったからか、土地は滅茶苦茶安かった。
 その後、1坪200万円もした明石の上ノ丸の土地の値段が、1坪2000だった。
 当時はまだ健康保険などなくて父が脊髄カリエスになって、その注射のマイシンの値段が1本2000円もした。

★ そんな中学生時代のカネの価値だったのだが、その後も更にどんどん変化した。

 大学卒業しての初任給は12000円だったのだが、
 小学生の頃の一般の給料が100円と比べると100倍なのである。

 さらにどんどんカネの価値は変わって、
 初任給12000円は退職するころにはその100倍ぐらいになっていた。
 世の中、戦後の高成長時代だったのである
 こんなに金の値打ちが変わった時代を生きた人は珍しいと思う。
 ちょうど我が家の土地を買って家を建てる頃は『所謂バブル期』で、
 賃上げ率は20%以上だったので、給料は4年で倍になった。
 同じように土地の値段も上昇したのである。
 土地を買い、家を建てようと思った時の給料は15万円ぐらいだったが、
 その支払いが始まるころには30万円ぐらいになっていた。

 そう言う意味では、結構上手く回転したのだが、
 生活は苦しくて貯金などなかった時代なのである。
 幾らか金に余裕が出来たのは子どもたちが大学を卒業して、 
 『金が要らなくなってから』である。

  兎に角、「給料100円時代」から「給料100万円時代」を生きたので、
 これは1体何倍になったのか?
 あまりにも大きくて、計算する気にもならないのである。
 そんな時代を生きてきたので、『金に無関心』になったのだろうか?


私自身はホントに金に無関心で、カネや家計は一切家内任せで今もそれが続いている。

 90歳代になってもそれは続いていて、ホントに金には無関心なのである。
 所謂、年金生活者なのだが、家計は年金内で賄えているのだが、
 そのほかに『金を使うこと』が殆どない。
 最近は仮に金を使っても1万円を超えることがない
 たまに行くゴルフも昔と違って1万円は掛からない。

 そんなことだから、どんどん『金に無関心』になってしまう。

 この調子では、たいしてない預金だが、減ることはなくそのまま残して、一生が終るのだろうかなと思っている。
 そんなことだから、預金や保険のことなども全くアタマにはなくて、
 どんどん忘れてしまうのだが、
 どんどん退化する記憶力がそれに拍車をかけている。


 高齢者所帯の平均貯蓄額が出てたが、約2400万円が平均だとか。
 

  



★ 91歳でこうだから、若しもこれから先、5年も生きたらどうなるのだろう?
  若し今後、お金が要るとしたら老人ホーム・介護施設』の費用なのだろう。

  これにはお金が要るのかも知れないが、何とかなるだろうと思っている。


  


 ホントに、今後どうなっていくのだろう?
 ただ、お金に無関心の生活は、幸せと言えるのだろう。
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は霧だった

2024-02-21 05:55:32 | 発想$感想

★雨かと思ったら今朝は霧だった。
 三木山総合公園に行く道筋でも、極端に言うと前の車が見え難くなるくらいだった。

 朝7時50分、こんな状態。


  



 雨は上がっていたが、丹生山は全く見えない。




 
 これは濃霧と言っていい。
 こんなに霧が濃いのも珍しい。





 横はサッカーコートだが、
 こんな横を1万歩歩いてきた。





 1時間も歩いていたら、少しは霧が晴れてきた。





 三木には濃霧注意報が出ていたが、10時には解除されたようである。
 強風注意報も出ているが、風は吹いていない。
 




 
 午後からは雨とあったが殆ど降らなかった。
 夜中にはちょっと降ったようである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月の長雨

2024-02-20 05:40:14 | 発想$感想

★今朝19日の朝は曇っていたが、8時ごろからは雨が降り出した。
 天気予報によると今週はずっと雨のようである。

 これが午後4時の天気図、





 これが明日20の火曜日、




 

  そしてこれは22日、木曜日の予想である。
  最近はこのように先の天気図も解るらしい。






  こんな天気予報だから、5日間も雨の日が続くというのだが、
  ホントウだろうか?

 


★ニュースの記事はこのように書かれている。
 ● 週明け19日(月)以降は、日本付近に前線が停滞するため2月らしからぬ長雨になる見通し。
 ● 今シーズンは例年より早い「菜種梅雨(なたねづゆ)」の訪れとなりそうだ。
 ●なお、20日(火)から22日(木)ごろは西日本や東日本の太平洋側を中心に雨足が強まるおそれがある。

 菜種梅雨とは、菜の花の咲くころ、だいたい3月から4月にかけて雨が続き、 ●まるで梅雨のような天気になることを「菜種梅雨」と呼ぶことがある。
 と言うのだが、これも例年よりは早くなっているようだ。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三木は旧い史跡のあるまちでもある

2024-02-19 06:38:00 | 発想$感想

★毎朝行く三木市総合防災公園は、世界的な屋内テニスコート・ビーンズドームやサッカー場・陸上競技場など近代的な施設もいっぱいだが、
 今朝一回りしてきたところは旧い由緒ある史跡もある。

 公園の北の方には『どっこいさん』と言うこんな旧い史跡がある。

 
     


 よく解らないが六地蔵が正式名なのだろうか。




 
もう薄くなっているが、下の方に六つの地蔵さんが並んでいる。





 この公園はこんな4車線で東と西に分かれているのだが、
 この右手に『どっこいさん』はある。
 そして、陸橋を渡ると、






 こんな急な下り坂になって、右手は谷間に池が連なっているのだが、

 



 さらに下て行くと、





 その先はこんな山道になって、
 右折して石段を下ったところに





  史跡『志染の石室』がある。

 


  この表示板にあるように
  石室があって、年中湧水をたたえていて、日本書紀によると、
  飛鳥時代に顕宗天皇と仁賢天皇が幼少の頃、
  政変を逃れて隠れた石室だと言われている。
  その湧水は天然のひかり藻の作用で冬場、金色に光るので、
  『窟屋の金水』と呼ばれている。





 こんな感じなのである。






  こんな地蔵さんが並んでいる。





  いまは公園が開拓されたので、公園から下ったところにあるのだが、
 かっては、下から登ってきた山の行き詰まりの場所だったはずである。
 




  いまはこんな急な階段を上り、





 さらにこんな急な坂道を登りきると、
 公園の周回路に出るのである。

 


 
 この一回りで約4000歩の行程だった。
 戻ってきたところは、今梅が綺麗に咲いていた。
 かっては山奥だったはずなのに、
 今の時代は変わってしまうものである。




  三木市は新しいものもいっぱいあるのだが、
 こんな旧い史跡もある歴史のあるまちなのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

90歳代の生活   1

2024-02-18 07:17:28 | 私の生き方、考え方&意見

★あと10日ほどで91歳になる。
 超高齢者だと言ってもいい90歳の1年が過ぎようとしているが、
 体力年令は多分65歳は間違いないと思う。
 巷の70歳の方よりは元気に動けている。
 
 この1年体力的には衰えたところは、極端に言えば『皆無』と言っていい。
 この調子なら100歳も夢ではないと思うのだが、
 いまは家内がいて、食事・洗濯などみなやってくれるし、
 毎日着る物も自分で選んだりしなくてもちゃんと揃えて出てくる生活だから、
 私は、自分のやりたいことだけやっていればいいという、
 まことにいい環境なのである。

 私があと何年どうこうと言うよりも、家内があと何年今のように元気でいてくれるかが、一番の問題だなと思っている。

★最近は、外の方とも接触が少なくなったし、 
 毎日同じパターンの繰り返しで、朝の1万歩のスロー・ジョッギンに始まって、
 昼食の後は1時間の昼寝をするようになった。
 あとは好きな囲碁をネットで打ったり、この雑感日記など書いてると、
 自然に1日が過ぎていく。
 パソコンがあるので一向に退屈などはしない。

★そんな結構、健康的な毎日なのだが、
 どうも記憶力と言うかアタマのほうのボケはどんどん進んで、
 最近は『モノの名前』が出てこない。
 家には100種以上の植物が植わっているが、その名前が出てこないのである。
 薔薇やら梅は流石に大丈夫だが、
 昨日このブログにアップした『ホテイ草』も名前が出てこなかったし、
 毎年早い時期に芽を出し黄色い花を咲かせる『福寿草』の名前が出てこない。
 
 


 
 ここにちゃんと書けているのは、パソコンで検索した結果なのである。
 この検索と言う便利なツールがないと忘れた名前など出てこない。


 冗談ではなく『ボケ』の花の名前が思い浮かばなかったし、





   こんな下草の名前がさっぱり想い出さないのである。





 
 別に草木の名前など忘れても実害などはないのだが、
 これから先、ホントに知能のほうはどうなってしまうのだろう。
 一般に言われてる『認知症』とはちょっと違うような気もするのだが・・・・
 




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする