Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

イタリア1週間のホリディーDay 5

2024-07-25 06:03:05 | 日記

明日は帰国という火曜日、パトリックとジュードはウオーターパークへ行った。それがどこにあるかも知らないけれど、今日1日私はフリー、なな業も何時間かはフリーだ。

相変わらず太陽の直射日光はきつい、けれどこの日は湿度が低いせいか木陰や影に入ると爽やかな気がする。それで10時ころからカメラを下げてこの街を歩いて1周することにした。

この街ポート・セサリオ(Port Cesario)の街は碁盤の目のようになっていて、非常にわかりやすい。

これはフラットの玄関横に生えている小さな桃の木に鈴なりの実、大きそうなのを数個食べてみたけれどまだ酸っぱい。

フラットから海に向かってまっすぐ歩いているときに、庭の塀から突き出ていたブーゲンビリヤ、花のつき方が面白い。

 

これも通りに面したお家の庭で八重のハイビスカスが素晴らしい。

 

この海は初日に泳いだ所。遠浅でどこまで行っても足がついて立って居れるから、スノークルしても全然面白くない。ただ水がやたらと温かくて、温泉に入っているようだった。

港に立っているこの塔。近寄ってみると中は人が住んでいるような、窓が開いていて玄関に入る呼び鈴みたいなのがあった。

塔の周りに影を作っている木に、蕾なのか実なのかわからない初めて見る木だった。もちろん誰にも聞けないのが残念。

橋でつながっている小さな島は高級リゾート地みたい。

 

海岸の砂地に咲き誇っていたブーゲンビリヤ。

派手な色の花が多い中にこの純白な夾竹桃が目についた。

大きな豆鞘みたいな種が下がっているノウゼンカズラ。英国では見たことがないから種を探してみたがまだ固いグリーンでは役立たず。

この鮮やかなルリマツリ、昨日ブロ友さんのブログの写真で名前を知ったばかり。あまりにきれいでもし挿し木でついたら儲けものと15センチ位の新芽を3本取って水のボトルに入れて持って帰った。

 

 

これは一番単純なブーゲンビリヤ、小さな白いのが花で、ピンクはがくが変化したもの。

サルスベリが咲いていた。イギリスでは絶対に見られない花で、多分この花を最後に見たのが51年前の日本だった。

海岸線の小さな空き地、巨大なうちわサボテンとまだ若いリュウゼツランの葉。

 

ここでもリュウゼツランの花が咲いていた。今まで車の中から写真を撮っているだけだから近寄れなかったが、今日は初めてこの花を接写拡大して見ることができた。

日陰のない炎天下咲いているのは夾竹桃ばかり。

これは特に珍しい。ハウスプランツのアンブレラプランツにこんな実がなっている。こんな暑い国ではこの木も巨大で屋根まで届いていた。

一体どんな花が咲いたのだろうかとっても気になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後遅くパトリックとジュードが帰ってきた。ウオータースライドと50メータのプールで何十往復したとか、ジュードは興奮して話していたが、この夕街の中心街で夕食をというときには疲れ切っていた。

こんなウルトラモダンなフラット、羨ましい。

車が通らない通りの小さなレストランでタパスを食べた。タパスはスペイン料理。

小皿に少しづついろいろな食物が出てくるが、この生ハムとサラミはとっても美味しかった。

日が暮れてあたりにクリスマスのようなデコレーション。人々の往来がはげしくなってきた。夕食は8時、9時過ぎらしい。

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イタリア1週間のホリディーDay 4 PM

2024-07-23 20:44:33 | 日記

12時半でスノークリング・ボートから降り、フラットに帰ってシャワーに入った。

また午後も泳ぎに行く気持ちになれない。パトリックも疲れ気味なのか、レッチェ(Lecce)に行こうと言ってくれ、車ででかけた。

まずは街の入口近くで見つけたスーパーで、お土産を買おう。

このクッキーはシンプルな塩味でフラットのテーブルに置いてあった。3人でお腹が空くと摘んで食べていたが、なかなか美味しい。このスーパーで4袋買って帰国後私の庭に水やりして下さった近所の奥さんにお礼にあげた。空港の免税店で見たら値段が2倍になっていた。

昔イタリア人をご主人に持つ日本人女性と、オリーブオイルの話になったら、彼女はイタリア産のオリーブオイルはスペインやポルトガルよりずっと美味しいと言われた。私にはどれも違いがわからない。最近オリーブオイルが値上がりして安くないと友だちが言っていた。それでこのスーパーで2本も買ったが、ロンドンで買うより高かった。

全体にイタリアのほうが物価が高いと思う。道端でよく見かけるスイカと黄色の瓜を満載にしたバンから大きな瓜2個買ったら5ユーロだった。私がいつも行くルーシャムのマーケットであのサイズの瓜1個は1ポンド(200円)で買える。せっかく買った瓜はまだ完全に熟れてなくて甘みも少なかった。

レッチェのオールドタウンに駐車して、まず初めに見たのがこれ。⬇️

なんと素晴らしい、壁に取り付けられた鉢の上には水道の蛇口が・・・・こんなアイデアがあったとは。

このレッチェの街は2000年以上もの歴史を持つ古い街で石畳がきれいに光って素敵な街。ゴミも落ちてないしロンドンよりずっと素晴らしい。

街全体が石造りで、こんなフラットもいいな。

街角のレストランの看板が面白い。ローマ法王がイタリアの料理の宣伝。

レッチェ大聖堂は立派だけれど、入場料が高いと聞き写真だけ撮して隣を見たら、

 

大きなビルの屋根に草が生え、変なバルーンが立っていた。それにしても素晴らしい青空。

ここも歴史的建造物にちがいない。

これはもう古くて死んだような1本のオリーブの木の根元、多分1000年位は経っているのだろう。完全には死んでなくて、新芽は芽吹いている。

このオリーブの木の横にローマのアンプシアター(円形劇場)があった。これは紀元後2世紀に作られたものだという。

 

教会の多い街で中は割とシンプル、壁の宗教画以外に飾りはない。

狭い通りの一箇所においてあった古い自転車?なんだろうと見ていたらここはファギアーノ考古学博物館だった。入口は真っ暗で面白そうでもないので、スルーしようとしたらジュードがぜひ入ってみたいという。入場料5ユーロ払ってジュードとパトリックは入り30分近く出てこなかった。

出てきたジュードは目をきらきらさせて、なな、あの英語の本を買ってくれ。という。この博物館は古代からローマの遺跡や中世に至るまでのあらゆる古いものがあったらしい。とっても面白かったというから15ユーロの細かい字の本を買ってあげ、大喜びで車の中で読んでいた。

面白いイタリアのお店のディスプレイ。

 

 

 

 

 

 

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イタリア1週間のホリディーDay 4

2024-07-22 20:59:17 | 日記

月曜日、パトリックは先週からこの街の港のスノークリング・ボートを予約してあった。朝9時半から12時半だという。

8時半に歩いていくというので、カメラや水をナップサックに入れて、出かけた。

このフラットは2階で、外の廊下も階段も大理石でピカピカ、この朝となりの奥さんが水をまいて廊下から階段を掃除してた(らしい)。私はいつもの通りゴム草履でナップサックを担いて階段を降りた。下3段目にまだ水が溜まっていて,キャッという間に滑り落ちた。

右腕の肘の下を階段の角で打ったらしく傷ついて出血している。腰は3段を滑り落ちているときに打ち身で両脇に大きな青あざ(黒に近い)ができた。それでもどこも骨折しなくて幸い。私の友達皆80歳前後には骨粗鬆症の人が多い。日頃から大食い、運動も昔からしていたこの私、本当に自分でも褒めてやりたいくらい骨太、筋肉脂肪たっぷりだったから怪我も最小で済んだ。

車で薬局に行き、ウォータプルーフのプラスターと包帯を買って圧迫止血、9時半の船に間に合った。

ボートには総勢23人ものイタリア人の若い人たちが乗っていて、賑やか。おまけに彼らはこの暑い太陽で肌を焼くのがよっぽど重要らしい。

パトリックとジュードはボートに乗ってもスマホが離せない。

ボートは私達が泳いだ海岸線と平行に進んでいく。

砂浜はどこもかしこもパラソルの林立で、泳いでいる人もたくさん見える。

このタワーは多分中世に外敵を見張るために作られたものらしく、5基が見えた。

考えてみれば、現代に至るまで地中海では海賊が跋扈していて、農地や商業地の豊かな町や村を襲った、これは当時の自衛手段だったろう。

 

ボートは3回浜辺の沖合に錨をおろし、私達10-20分ほどボートの周りで泳ぐ。このボートの宣伝にはサンゴ礁でのスノークル等と書いてあるがこの地域でサンゴ礁は絶対ない。海底はやはり砂地で海藻さえもほとんどない。ただ一度だけマリア像が沈んでいるところで泳いだけれど、ちゃちな安っぽい像だった。このときだけは船からたくさんのクッキーが投げ落とされたらしく大小の魚が私達の間を泳ぎまくっていた。

12時ごろにボートではテーブルを出して簡単なスナックのようにお菓子やクッキーそれにジュース、水、赤ワインが出た。

私は赤ワインをカップ2杯のんだけど、多分ノン・アルコールだったらしい。全然酔わなかった。普通カップ2杯で寝てしまうのに。

このタラント湾の海岸線は、夏の間中どこもかしこも人口が数倍になるのだろうと思った。

腕からの出血は圧迫していても3日も止まらなかった。

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イタリア1週間のホリディーDay 3

2024-07-21 19:51:41 | 日記

イタリアにいた1週間一度も雨はふらず、気温も最低が27度(朝7時)日中気温は42度まであがった。

日曜日の朝パトリックはブリンデシの海へ行こうと車を走らせた。4日前ブリンデシ空港からフラットのあるポート・カサリオの街へついたときは夜の10時だった。それで周囲の景色は一切見えず、車の中の冷房で気温もわからず・・・だった。

この半島真っ平らで、農地らしいところは焼き畑らしく一面に黒い。麦畑なのかと思う。

途中の小さな町外れに立派な墓地、さすがカトリックの街である。

 

 

たまにブドウ畑があったり、オリーブの木がどこまでも・・・

 

全く変哲もない景色。

バリへ向かう高速道路をわたった途端から車の渋滞。なんと砂浜は高速道路から100メータほど行ったところで、駐車場が超満員。

駐車料金は3ユーロと高くないけれど、何千台の車が停車しているか?

暑い中一応バッグに水とカメラやタオルを持って炎天下砂浜へ。

まるでブリンデシの街の人達が総出でこの浜に押し寄せたようなこみ具合。パラソルなしでは5分も炎天下に座って居れず、砂浜といえども海まで10メータほど、パラソルが地面に刺さらない。親切な隣のイタリア人女性が小さなスコップを持ってきて穴を堀ってくれやっとパラソルを刺しフロアーマットが敷けた。

 

砂はやけどするくらい熱く、ゴム草履なしでは絶対歩けない。海は遠浅でまるで芋の子を洗うという形容がピッタリ。ジュードは背の立たないところでも心配なくて3人で沖の方で遊んでいたが、魚もいないし何もないところでつまらない。

多分1時間ほど泳いでいたが、あの崖のある海グロット・ゲラポエシアの方が良いとこの浜辺を出た。高速道路を走って1時間、もう3時過ぎ、お昼も食べてなくて、道端の出店のカフェーでサンドイッチと飲み物でやっと人ごごちついた。

ジュードは昨日は高さ3メーターの崖から飛び降りるのが嬉しくて何度も登り降りしていたのに、今日はもっと高い方多分7メーターくらいの崖から飛び降りたいと言ってパトリックに止められ、娘もインターネットで 絶対だめ というので午後7時ころ膨れ面でフラットに帰りついた。この夜はパトリックがスパゲッティに貝を入れたボンゴレーをクックしてくれた。

 

 

 

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イタリア1週間のホリディーDay2 night

2024-07-21 02:49:29 | 日記

日中2回も泳ぎ疲れているだろうに、パトリックは車を運転してナード(Nardo)の街へ夕食を食べに連れて行ってくれた。田舎道を40分ぐらい走った隣町らしい。

この街はずいぶん古い街で歴史もありそう。

オールドタウンには立派なお城が見える。もう8時近く、パトリックはインターネットでレストランの予約をしていて時間に遅れると急がせるが、こんな石造りの街はもっとゆっくり見たいものだ。

磨かれた石の通りにはたまに車がゆっくり走っていくが、レストランの中よりも道端で食事をということになり、レストランの入口周囲に4つのテーブルがセットされている

8時過ぎのこの街は日中の高温がやや和らいで、多分30度近く。気持ちの良い夕方だった。注文した前菜が生のえびや、小さなイカだったりでこのほうが高そう。

メインのパスタとスパゲティはイタリアにしては量が少なく、味はまあまあ。

食後オールドタウンのスクエアーへ向かった。土曜日の夜とてたくさんの人出。

屋台の店ではあまり買っている人たちはいなかったが、アイスクリームのお店はたくさんのイタリア人だった。

教会が空いていたので急いで入って写真を撮ったが、このあたりの教会はほとんど装飾がない。

 

スクエアーの一箇所でうるさい音楽が鳴り響きたくさんの人達が集まっていたが、早々に引き上げてきた。

 

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イタリア1週間のホリデイーDay 2

2024-07-20 02:36:36 | 日記

素晴らしい青空の朝、土曜日の今日はブリンディシ側の海へ出かけた。

ここ グロット・ゲラポエシア(Grotto Gellapoesia) は砂浜ではなく崖が切り立っている景勝の地、崖から見下ろす真っ青な海のあちこちにたくさんの人が泳いでいる。

はじめに綱が張り巡らされている方へ行ったら、入場料に大人2人、2ユーローを払わされたのに、あとから来るからと言って、とうとうそのあたりへは行かなかった。下の写真で見ると人々が崖の上を歩いているのが見える。

このあたり水深はそんなに深くはないが,海底一面に茶色の海藻が揺れていて、深く見える。孫のジュードはどんな深さでも平気で、泳ぎ潜り3メーターの高さの岩の上から飛び降りる。娘からは彼のそばにいつもくっついて、目を離さないようにと言われているので、ジュードが水に入っている間中、私も泳いでいなければならない。

定年退職して20年、その間キャンピングカーでヨーロッパ中周り、特にポルトガルの南で10年の冬を過ごしたが、大西洋の水は冷たく、一度も泳いでいない。90年代はシャーメルシェイクでスノークルをしていたものだが、子供相手に1日中泳ぎまくったのは初めてのこと。それでもこうして暖かくてきれいな水に浮かんでいるだけでもしあわせ。 

日本ではとっても珍しいと言われている、リュウゼツランはこのあたり車で走っていると必ず1-2本は目に付く。毎年ポルトガルの冬に行って、立ち枯れて真っ黒のこのプランツを見ていたが、花を見たことがなかったので、初めてこの黄色の花を見て大いに感激、写真を取りまくって、オランダの友達に送った。

オランダ人の彼女、このたち枯れた真っ黒の枝を切り取ってきてキャンパーに飾り付けていた。彼女もこの花が黄色だとは知らないだろう。

帰国の際、車でバリ(Bari)への高速道路を走っている途中、このリュウゼツランがひとかたまりに5本も咲いているのを見かけた。それこそ珍しいと思った。

午後一旦フラットにもどり小休憩、3時過ぎから左右にタワーの見える砂浜の海岸へ。このあたり結構な人出で夕方7時でもものすごく暑い。イタリア人は皮膚も北部ヨーロッパの人達と違って、日焼けしないのかほとんどの人たちがブラウン。

ジュードも一日2回も泳げたからご機嫌で、この午後の泳ぎはパトリックに任せた。9歳の子供に付き合って体力限界。

 

 

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イタリア-1週間のホリデー Day 1

2024-07-19 05:36:03 | 日記

7月8日の朝から娘婿のパトリックはローマに出張。孫のジュードの学校は7月11日から夏休みに入る。ところが娘が働いている学校は公立で英国全体の公立学校は7月20日から夏休みになる。

その間8日間を私がジュードの面倒を見なくてはと、心配していたら、パトリックがローマで仕事が終わる11日から1週間休暇を取って私とジュードに゙ホリデーを・・・・となんて素晴らしい娘婿!!!

11日木曜日の午後、ジュードと二人でヒースロー空港からイタリアのブリンディシ(Brindisi)空港へむかった。

イタリーとロンドンでは1時間の時差があり、4時間もの飛行時間と思っていたら、実際は3時間でブリンディシ空港についた。ちょうど真っ赤な夕日が沈む前で、まるで日の丸みたい。

 

パトリックがレンタカーをして空港で待っていた。ブリンディシ(Brindisi)はイタリアの長靴方のかかとに当たるアドリア海側で私達が過ごしたフラットはポート・セサリオ(Port Cesario)はタラント湾に面しているので、車で1時間以上もかかった。

 

イタリアは真夏で湿度も高く、あたり一面の花盛り、一番目につくのはやはりブーゲンビリヤ、それも色とりどり、ハイビスカス、ノウゼンカズラ、赤、白、ピンクの夾竹桃など。

このポートセサリオの街はまるで碁盤の目のようになっており、フラットからまっすぐの道の奥に海が見える。

空は真っ青、焼けるように暑い砂浜はイタリア人には恰好の遊び場らしく老若皆が浜辺に来ている。

海は遠浅で水は暖かく、何時間泳いでいても寒さ知らず。気温は37度くらいから42度まで、とにかく暑い。海岸のやや突き出た岬には必ず堅牢な石造りのタワーがいくつも見える。ここも昔から歴史のある街なのだろう。

夕食はやっぱりピザ、こんなのを毎日食べていたら太るに決まっている。

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英国のミゼラブルな天気

2024-07-10 18:55:37 | 日記

毎日 雨 !!気温は最高22度、此の2週間ほど前、最高温度が27-8度近くなって寒さに強い此の国の人達、ヒート・ウエーブ(熱波)がやってきたと、公園で日向ぼっこなどやっていた。

私もたった一晩だけあまりの暑さに窓を開けて寝たら、夜中の1時、寒さに震え上がった。その2日後から鼻風邪をひいて未だ完全によくならない。

今は英国のサッカーチムが準決勝に進んで、応援団が半裸で奇声を上げている。

ウインブルドンも毎日BBC1とBBC2が朝から放映しているが、屋根の設置してあるコートのプレーヤも応援団もいい。 でも屋根なしの安いチケットで入った人たちは、草原に傘を指してうずくまってみている。あれではけっしておもしろくないだろう。

先日も日中から見ていたら、我が家の周りでは弱い太陽が出ていたのに、屋根のあるコートからの実況放送では、屋根にあたる激しい雨音でアナウンサーの声も消されそうになるほど。我が家とウインブルドンは直径で言えば数十キロほどしか離れていない。それでも雨雲は我が家までは到達しなくて、見物のファンが気の毒に思えた。

昨日は一日どこも雨。午後の3時半の孫のお迎えに雨靴、傘をさして3時の電車に乗るべく出かけていったら、電車が来ない。3時15分焦って娘に連絡したら、彼女は仕事が早く終わったので、車で学校へ向かっている途中だと言う。

此の雨の中どこかの阿呆が線路を歩いているため電車が遅延しているという。本当に怒り心頭。此の国では子供11才以下は一人で通学させてはいけない。11歳までは親の責任、自宅でも11才以上の兄弟か大人が一緒にいないと、責任を問われる。子供も知っていて、僕を一人でほっといたら警察に電話すると・・・全く恐ろしい世の中。

先週の選挙投票日の1日前の新聞投書欄、保守党が入ったら僕は此の国を出る。労働党が入ったらやっぱり此の国を出る。誰が入っても僕は此の国を出る。もう此の天気だもの此の国にはいたくない。・・・全く漫画みたい。

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7月のロンドン

2024-07-05 14:48:44 | 日記

6月の半ばからベッケンナムの図書館の編み物クラブで展示していた、世界の子供たちの人形が消えた。さてはまた盗まれたのかと思っていたら、7月1日新しい編み物で作られた猫が飾られた。とっても素晴らしい。

こうして鎖でポストにつながれているところを見ると、今回も大丈夫。英国も泥棒の多い国だ。

今年の5月は雨が多かったせいか庭に植えられたアジサイが元気で株も大きくなった。

これは鉢植えで毎日水やりそれも一日2回も遣っていて、ホリデーに行く時がとっても心配。

コバルトブルーの花はとっても望めない。これでも鉢の土にブルーになる薬を混ぜたもの。

アナベルは年々大きく茂って庭の芝生がだんだん狭くなってきている。

2005年ガンで亡くなったマレーシア人の友達が好んだ白のガクアジサイ。一時は枯れてしまったと思ったのに今年は元気に咲いている。思えばもう20年も咲いているガクアジサイ。

今年もタチアオイが大きくなって各色勝手に咲いているが、私が植えたものは少なくて、どこからか勝手に種が落ちたものが多い。なんとなく薄い色が多いので道端や友達の庭の濃い色の種を貰おうと期待している。

6月末の1週間だけヒートウエーブ?と言われた気温も26℃くらいまで上がって夏がやってきたと思ったらまた急に寒くなってきた。今では日中最高気温が20℃くらい、家の中でじっと本など読んでいると夏服では寒くてたまらない。

ベッドもシーツと毛布1枚の1週間からまた厚手の毛布を上にかけて、やっと眠れる。

来週から1週間イタリアの靴のかかと部分にホリディー、たとえ1週間でも温かい夏が過ごせる。

 

 

 

 

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再び西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-06-26 05:22:27 | 日記

我が家のある通りは1930年代に新興住宅地として作られた。したがってこの通りの入り口にある巨大な西洋菩提樹はまだ90年くらいしか経っていない。

それでこのサイズ。ということはバス通りの42本もまだ90-100年ほどしか経っていないのだろう。

我が家の前から急な坂道でこの坂を登ったところは、ベッケンナム・プレース・パークという広大な公園がある。1900年初めまで、此の公園は大変なお金持ちの庭であり私たちのストリートは此の金持ちの広大なる地所だった。それからあちこち土地の切り売りをして公園の周りに住宅地ができ、町が出現。

このロンドン郊外の町は今から90年から100年代に出来上がった。

ライムツリーは英国の街路樹としては一番ポピュラ―な木で、夏の道路の照り返しの暑さにも冬の寒さにも強く、どこでも見かける木なのだ。

昨年9月から我が娘宅に滞在しているユクレイナ(Ukraine)のおばあさんと孫のマックスはもうすっかり慣れて、私をナナ(おばあちゃん)と呼ぶ。彼のおばあちゃんはロシア語で呼ぶから混同しない。

此のユクレイナのおばあさんがこのライムの花をいっぱいとってきて、鍋で煮出してハーブティにした。色はコーヒーのように濃い茶色だが味は全然しない。中に蜂蜜などを入れて飲むそうで、咳と解熱に効くそうな。

国が違うといろいろ変わったことも知って面白い。

先週末 訪ねた友だち夫妻が連れて行ってくれた、カペルマナーの大庭園にとっても変わった木があった。

 

触るとやや硬いような木の実がいっぱい下がっている。グーグルで調べてみたら、コーカシアン・ウイングナッツ(Caucasian Wingnut)というそうだ。

やっと暖かくなってきたこの2-3日、昨夜は蒸し暑くてとうとう窓を全開(英国には蚊がいないから窓を開けても心配ない。)して寝たら夜中の1時にあまりの寒さに目が覚めた。日中もTシャツ一枚で外出できるが、日陰に入るとス―と涼しくうすら寒い。これだから英国の一般家庭には冷房装置がない。

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西洋菩提樹(ライムツリー)

2024-06-22 05:58:17 | 日記

つい2-3日前までロンドンは寒かった。ほとんど毎日雨が降った。一日中雨ふりという日は余りなくて、暗くてどんよりそしてにわか雨、または朝日が出て良い天気になるかと思うと午後は雨が激しかったりする。

おかげで今年はナメクジが大繁殖してその被害も相当なもの。何より2か月前に植えたトマトの芽は出たのにそれ以来本葉が出なくて、もうすぐ7月もまじかというのにまだ5センチに満たない。これでは今年のトマトは育たないだろう。エンドウ豆も4月に植えたのが芽が出ず、また5月の末に植えたのがこの数日の晴天でやっと芽が出だした。

日本はもう暑いというのにロンドンでは20度まで上がると嬉しい。毎年この時期思うには、今年は夏が来るのだろうか?

それで今の時期一番目立つのが巨大な街路樹の西洋菩提樹(ライムツリー)の花。この花が咲いていなければいったい何の木か判らないし特に気に掛けることもない。

私の家から一番近いバス道路には42本の西洋菩提樹が生えていて、どの木も花盛り。

例年ならこの花が咲いているときはミツバチが大喜びして飛び回っているのに今年は一匹も見かけない。

この木の下へ行くと甘い香りがしたものなのに今年はしない。私の鼻が馬鹿になったのかと思う。

とにかくバスや電車に乗って外を見ているとこんなにたくさんのライムの木があったのかと驚かされる。

これは栗の木、此の木も今が花盛り。メインロードの老人ホームの庭に植わっている巨大な栗の木で、実った栗は見たことがない。

私が一番好きな木がこのコーカシアン・エルムツリー、この木はまるで制服を着たように全く同じ形になるからどこで見かけてもすぐ判る。

そして不思議なことに一本だけ植わっていることは無く、必ず数本が並んでいるからよく目につく。ほとんどが公園に植えられていて、道端で見かけるのはまれ。

上の3本の木は道端でまだ若木に見えるが、私が一番気に入っている公園の木は巨大で樹齢200年は経っているだろうと思われる。全く左右対称、ジャイアンツが使う箒のようだ。

 

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今季最後のオペラをROHのライブで見た

2024-06-16 01:37:07 | 日記

オペラやバレーの季節は9月から翌年の6月まで公演される。それで6月11日のオペラがオンラインで映画館で上映された、これが今季では最後になる。

オペラはアンドレア・シェニエ イタリア人ジョルダーノによるフランス革命の物語。

私には初めて見るオペラで、出かける前にもちろんストーリーを読んで行った。

舞台は18世紀のフランスで、衣装も当時を再現してあり、シャンデリアがたくさん下がっている伯爵家の部屋。たくさんのシャンデリアが当時はキャンドルだったから部屋でキャンドルに火をつけそれが一斉に上に上がっていったところはよくできていた。最後は主人公2人が断頭台に消えていく前の牢獄を手を取り合って出て行くところで終わった。

それでこのオペラの主人公・詩人のアンドレア・シェニエになったのが今一番有名なテナーのョナス・カウフマン この人が見たくて行ったのだけれど、以前見たころよりずっと老けて太ってがっかりした。(自分が老けていることは忘れて、彼には昔のハンサムスマートでいて欲しかった。)もう10年ほど前、大英博物館で知り合った日本人夫妻はドイツに移住して50年、カウフマンの追っかけでわざわざドイツからオペラを見に来たと言っていた。

おまけに相手役のソプラノの女性がアメリカ人の55歳の人。舞台で見る分には遠くからだと年も表情も判らないからいいが、映画でクローズアップになるとやっぱり歳は隠せない。中年男女の恋物語になってしまう。

映画では舞台裏も出演者の練習風景も見せてくれるのがいいような悪いような・・・というのは第3番目に重要な役割を演じる下僕カーロ・ジェラルドになる男性がモンゴル人のバリトンで太ってあまりに醜男、この人数年前にウエールズのカーデフ・オペラ・コンパチションで賞をもらったそうで、声は素晴らしい。

だから舞台裏でこの人を見たくなかった。舞台では衣装やかつらなどであまり顔は気にならなかったから。

今から20年ほど前、まだカウフマンが若くて油の乗っていたころ、当時は若くてきれいなソプラノの女性が多かった。アンジェラ・ギョギユやアナ・ネトロブコなど彼女たちはどうしたことか第一線から脱落してしまったのだろうか。

それならまだ若くて上手なソプラノ歌手もいっぱい出てきそうなものなのに、今回は映画では見たくないオペラだった。

数日前ルーシャムのマーケットへ行ったところ、此の大きなパパイアが1ポンド(200円)で売っていた。実は熟れていて柔らかく帰ってきてすぐ切って半分食べた。甘くてそれでも甘さはくどくなくておいしかった。

以前読んだブロ友さんのブログに、メイドの土産に(一度食べてみたい)というところで、お手伝いさん(メイド)にどうして?奥さんもいるのにと思って、やっとメイドが冥途であることに気が付き、それ以来パパイアを見るたび、メイドを思い出す。

一昨年道端で咲いていたこの花、野生の ぜにあおい より花も大きく色も濃いがタチアオイよりずっと小さい。

裏庭にただ一本だけ咲いた八重のポピー

これもただ一本だけ咲いた春菊の花。

 

 

 

 

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郵便ポスト上の飾りとお花

2024-06-11 19:33:39 | 日記

1月からジムに行き初めて、その近くの郵便ポストに面白い飾りを見つけた。ジムの横の図書館で毎週水曜日の午後から、編み物の好きな人達が集まっていろいろ編んでいるという。

 

以前にイースター前のポスト上の飾りをこのブログに載せたことがあったが、最近変わった素敵な飾りが目についた。

イースター前の水曜日の午後一度行ってみた。10人のイギリス人女性の集まりで中年の女性も3人ほどいるがあとは高齢者ばかり、中年の中の一人がリーダーでこの時、今年はパリオリンピックにちなんで世界中の人形を作って手をつなぐと言って作って見せてくれた。人形一つに10分ほどでできるという。

感心したのは真ん中に飾られている地球で、編み物でこれを作るのはよほど上手でなければこんなに丸くはできないと思う。

昨年10月末のハロウイーンとクリスマスのデコレーションは飾って1週間もしないうちに盗まれてしまったという。皆が丹精込めて作ったものだろうに心無い人がいるものだ。それで今ではこの旗の下に鎖と鍵で盗まれないようにしているという。

ポストの横の街路樹に此の張り紙がしてあった。イースターの後から私もジョインしようと思って約束したが、水曜日は孫のお迎えの日、午前中はそこのジムで汗を流しかえってブランチを食べて一休みするとお迎えの時間、また電車とウオーキングで学校まで行くので時間がない。約束しなければよかったといつも疚しくおもっている。

2-3年前に撒いたポピーの種から1本だけこの花が咲いた。種を採って来年はいっぱい花を咲かせよう。ちなみにこのポピーは麻薬のポピーだけれど、英国では禁止されていない。

今年のチェルシーフラワーショウに初めてこの色のポピーが出た。この花より大きく八重の花だったがあちこちの庭の飾りになっていて、今年の流行色見たい。

 

まだ咲き始めの裏庭のアジサイ、

隣の庭から侵入して大きな枝になり今が一番の花盛り、英語ではファウンテン・ブッシュという。

街路樹の根元に咲いていたこの花、ブルーウィードというからやっぱり雑草に違いない。

 

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ロイヤルバレーと我が庭の花

2024-06-08 19:22:11 | 日記

先週末オペラハウスへロイヤルバレーのウインターテール(冬物語)を見に行った。

此のバレーは新作バレー(と言ってももう2-30年前の新作)で過去2回映画館でライブパフォーマンスを見ていてストーリーは全部知っている。

今回はまじかに見るバレーだったが、新鮮味に欠け2幕目など飽きて早く終わらないかと思ってしまった。

ストーリーは子供のころ親友だった2国の王子が大人になって再開し、シシリーの王は喜びのあまり長期滞在を許して、自分の王妃が出産まじかになって、急に疑惑と嫉妬にさいなまれ、親友を追い出し王妃を幽閉し、生まれた娘プリンセスを捨てさせる。

このプリンセスが羊飼いに助けられ、成長して村のお祭りで出会った若者と恋に陥る。この若者はこの国ボヘミアの王子で、羊飼いの娘と思っている父親の王は怒って二人の仲を裂こうとする。

恋人2人と羊飼いの親子は船で逃げて、シシリーにたどり着き、王に助けを乞う。ボヘミアの王は王子を追いかけてきたが、昔のシシリーの王と再会。プリンセスがつけていた首飾りでシシリーの王は我が子と知って大喜び、二人の結婚を許して和解する。

とってもきれいなバレーで初めて見た時は、バレーで嫉妬や疑惑の表現をするのに非常に感銘を受けた。2度目に見た時のシシリーの王が日本人のバレーダンサー平野りょういち という人で、映画館で見るから表情もよく見えてとってもうまいと思った。

今回は若いダンサーで特別何も感じなかったが、プリンセスになったバレリーナーが前田さえという若くて細いかわいい子だった。

最近のロイヤルバレーには日本人がたくさん勉強しているという。それにしたら、日本人のオペラ歌手はまだ一人しか見ていない。韓国やモンゴールからの若い人たちがオペラでは頑張っている。

 

前庭に昨年秋種をまいたポピーがたくさん芽をだしこの2-3日どんどん花が咲きだした。

ボタンかシャクヤクを思わせる八重の芥子。

くまんバチがたくさん飛び回っている。

前庭のしゃくやく、雑草の中に埋もれている。こうしてみるとけしとシャクヤクの違いが判るだろう。

スパラキス・トゥリカラー

毎年咲くサボテンの花

先週末ブーツセールで買ったレースのカーテン地で作ったリス除け袋。今年はだいぶ食べられるかも‥期待!!!

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今年初のカーブーツセール

2024-06-08 06:47:41 | 日記

いつもならイースターが終わるころから私の地区の大農場でブーツセールが始まるのだが、今年は雨が多くて農場の草地はぬかるみとなり、タイヤのわだちがあまりにひどい。

それで4,5月の2週間おきに開かれるブーツセールはキャンセルされて、今日初めて開かれた。いつもなら日曜日の朝は寝坊していくのが9時過ぎなのに今日は8時に農場の入り口までたどり着いた。

すると農場の入場料を払うまでにこの長い行列。過去20年以上も行っていたがこんなことは無かった。入場料は50ペンス(100円)

農場内の無料の駐車場も満杯で、もう一つある広大な草地を開けて駐車していた。

此の農場は30年ほど前までは牛馬の放牧と野菜畑だった。ところがブーツセールで買い物客から50ペンス、車で売りに来る人は乗用車12ポンド(2400円)大型ヴァン15ポンド(3000円)をチャージすると農業するよりずっと儲かることが判って広大な農地を駐車場と売り場にしてしまった。

 

自分のお店を持たない業者と、自宅でいらないものをまとめて売りに出す個人とで、広大な草地は人と車と雑貨でいっぱい。

一番多く売りに出されているのが子供の服や靴、おもちゃ、本、大人のものでは女性の服が一番多く、昨年、もう30年ほど前に買ったワンピースを着ていたらパトリックのお母さんが、素敵ね、どこで買ったの? なんてブーツセールで買ったと言えなくて困ったことがあった。

今日はトマトの苗とレースのカーテン地を買った。古いレースのカーテンを切って我が家の裏のイチジクの枝にかぶせて、リスからの被害を守ろうと思う。

何しろまだ親指の先ほどの実がなり始めで、2匹の夫婦者がせっせととって食べている。それで昨年は5つほどしか食べられなかった。

今一番誰もが要らないのがDVDで3枚から5枚で1ポンドで売っている。もう誰もDVD など見ないでネットフリックスとTVがあればいい。

それにしても今日は今年初めての晴天、3時間半大いに楽しんできた。

 

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