青龍神界鏡

次はまた首相してみんかお前。
https://www.youtube.com/watch?v=CsI7GSs4d1s

京今新在家西町むぉおん七-二十一

1533年12月23日 00時00分00秒 | 投稿


この写真の風景が、十七世紀の京の五条堀川一帯のそれ。
この一枚には、高さ七十から百二十メートルの高さのやぐらが十二基は収まる。画像の写真の建物が東西南北、整然と並ぶ。
外見の六分の五は武者返し状の木製の壁、で上部はお堂。
京の十基には、人力の昇降機が敷設されていた。月技術、と京は知っていた。 

あ、今の京都駅前のヨドバシカメラ辺りにあった、商工会議所の高さは百五十メートルだった。
前に“京都駅辺りには、今の京都駅の伊勢丹十階に比肩する高さの商工会議所があった。”と書いたが違った。すまそ。もっと高かった、という事。
ここが一番高かった。全木製。
一階部分の柱は当然太い。階の間の木材の組み込み方は、現代のCAD等では描画出来ない。数式の未存在。
木製の高層建築物の要諦部分を見たら、あっけない風貌。傘の内側のよう。
“何気なさ”はかくも強力、万全、自然なる共同体の紐帯、だって。
数式の存在には死後の世界との融和が必要。ゴミが多いよここ。
月技術。

木造の商工会議所の高さは、つまり現代の各種テナントビルと変わらん。柱の強度は黒檀(こくたん)の火星から輸入した合成木材。ところでこの強度は日本産出の木で実現出来た。和歌山産。

京の商工会議所には後期には昇降機があった。
急ぎで上に昇る、女性だけが利用出来た。結果的に役員のみ。
滑車で鉛の小石の袋と糸で連結させてから、椅子に振動があると最上階の係が袋を皿から動かす。乗車する人間が調整可能な上昇速度で、上の階に上がる。椅子の肘置きの傍に札を入れると、最上階の係が見える紐がずれる。そこで重りを皿に乗せると椅子は止まる。
急ぎの下降法は初期からあった。アルミ製の長い棒があった。金星技術。上下が、刺又(さすまた)状の紐が棒に向かってしつらえられており、下降者は太い紐を適宜軽く引っ張る事で、下降速度を容易に調整出来た。
利用者は少なかった。
ここへの知的必要性に駆動されし者が、上の階からの急ぎの脱出を選ばされる、とは知能外部の生理を統べる領域による滑り。それも未来、そして現在から未来へ必ず要される実学周辺への歩み方何もかもの。
使用者とはね、上の階、やんごとなき知恵の相談、困り事を他人様と解決しようとしたのに、生理に股を赤らめようとした、底抜けのアホ。大阪人並み。
利用状態は階から見える場合があった。ガラス張りだから。金星技術。
利用者は専ら女性のみ。生理。
上行きの昇降機は、利用の度に最上階から減っていく鉛を上に運ぶ、バイトの少年の存在から、倫理的論難に晒され、消えていった。
先に、上に上れる者の用便の為に、法外なバイト代で少年の知的腕力の健全性をパイセしてから、いや既にしつつ回す京の学際的議論とは一体何なのだ。微量でも許すべからずではないのか、いやそもそも微量を許してから、後から、頭で許すなと義憤を上の階で沸かす老人とは一体どの程度の鉛を、少年の脳への徳をぶっ放しとるんだ。何やこの大阪的議論の大量混入は、との自筆は大いに侮蔑的放り投げ式、知的筆跡。
昇降機の上下利用で必ず下に降りる鉛は、昇降機のみでは上には上がれない。ここが人力。裏方役は梯子利用のみ。バイト少年はやたら体がごつかった。貧しいから身長は百四十センチぐらいだが背筋が割れとる。

江戸幕府末期の御庭番は土佐藩への地下支援の仕事の溜め息、資料収集意欲、へのあぐら座り、かつ携帯する火薬玉への火付けたる気合い入れなる職務上の複合言語に従い、忍者向けのからくりを突破しての中京区の屋根裏図書館で資料を閲覧している際に、横百六十四センチ、縦百四十二センチのガラス入りの写真を発見した。
閲覧者は必ず、文明把握皮膚感、人間観が高尚になる枡花色(ますはないろ)よりやや薄い色を基調としたこの集合写真には九十一名の“んヰ呼称をどの星でも好まない派閥”と皇族の細身、眼鏡の淀川系の顔が写っていた。
https://www.colordic.org/colorsample/2405.html
内、一名のみは色黒めなんヰ。撮影とは記念。五十六名の滞在先はねお。その他は分派していたが、神泉苑の近くへは該当者は不在。撮影地は現在の京都駅の北側辺り。夜の九時で誰も一般人は居ない。そこらには高さ五メートルの銅と真鍮の合成金属製の瓦斯灯と電灯。巨大車輪馬車。御苑所属の大勢の接遇役。撮影者は馬車上のんヰ。淀川系は純白の袴で写真右上の端。
図書館は二条城正門から東へ二通り辺り。

あ、京商工会議所の内装はね、一階から現代でも通じる。
入口は茶色の枠にガラスの回転扉。ガラスは金星技術。回転扉は思い付いた。
内装は新宿伊勢丹一階による東京の無理矢理の落ち着き、力みの露出をひけらかしつつ壁の上方はおうとつの紋様の石の三角の斜面が走る。暗い灰色の石に小さいシャンデリア、藤下がりの逆の紋様、楓が埋まる。
概念、技術、意識、希少、逆(流通していた、精神を抉る非言語概念)、貞操、意識の精妙操作、これら何らかの精髄を伝える時候の文物が枠は銅製のガラスの商品箱、つまり現代の博物館で通じる、に奥ゆかしく収まっている。
皇族手製の陶器の茶色の小さい壺は大いに臭い。生きている人間が不可避の嘘を収めし業。宿屋、商品の卸屋、漬け物屋、証券取引所に勤める者が見れば、何と属性を概括的に把握出来ていた。教養、目付け。身分の断定、そして技量により溶解する不誠実さへの無抵抗ぶりが放り投げ調なら。
風貌は中東人系が多い。
やおらの箱、は冤罪で死刑直前の者が製作した。永遠の真心は。
深く納得している運命の断崖を前の清廉な心持ちの者の苦作、だろう。何故。
小さい赤い石の靴。拭い難い強欲さ。
二十四階建てのこの建物には客席二層で七百人収容の映画館があった。月技術。作品は白黒の火星映画が専ら。俳優は白人と黒人、希に黄人。電力源は灯油で発電機は月製、後に金星製。
集音部分は黒の化学繊維の棒状の拡声器、テープへの声の録音機があった。金星技術と背後には火星によるねおへの評価。
天井までの高さが九メートルの階があった。壁が一面ガラス張りで雰囲気は東京国際フォーラムの舟輪郭の内側。床はコンクリ。金星技術。置いてある観葉植物は火星産。つたはねおから延びている。二十五センチ大の石升(いします)からはセラミックの管を伝い、常時水が沸いている。金星と月技術。地下のカメに貯めている水は、西京区の山の井戸から運搬していた。水の発見法は月人から譲渡された敬意の印、直角状の長い鉄の合成金属の棒と異能力の子供。
貴族しか所有は許されない時価二万円、誠実資源七億円のそれは御苑にあり、公家の息がかかっていた七才の子供がそれを手にし、素直、に水の在りかを。
階の多くはがらんどうが多かった。大容量建物の建設理由は、無い。偶然。複合的発注が結集し出来てしまった系。
縦、横三メートルの巨大な絵画は御苑の官吏が皇族の振る舞いとは無関係に金星から輸入していた。
ほぼ全階に敷設されていた厠の設計図は金星着想に満つ。
一枚岩を長方形に削り、常時水をゆっくりと垂らす。あーもー説明めんどくせ、映画のマトリックスのあれと同じ。電灯色は青。女性用の厠は電灯色は緑で、現代の洋式トイレとほぼ同じ。薬液は粘性(ねんせい)のある異常に濃い青。流水機構は無いが必ず、やんごとなく沈んでセラミックの管を横に流れ、そして下降する。薬液の成分による現象。開発の背後は非倫理。死後の世界が現象を融通している。
ちり紙の据え置きは無い。あまりに高い。婦人は常時持ち歩いている何らかへの使い捨て用の布を、用を足した後の為に石升の水で濡らしていた。
ところで、この施設での大は男女は極めて、異常な希。
ある者の代わりに別の者が疑われたが、義理の為、嘘をつく。それにより思いやりを発揮するべくにあった、という任に挙手する事にした女子が京人が最も重んじる思いやり資源九割の損壊の危機に晒され、これを知った遠方の士族が腹を切り、事を収めた。
腹を収められぬ者の為に、明朗さとの不埒な交際を避けなかった、京の道の草花が精一杯血、汚れを飲もうとし、腹の強さを日々試していた者が血を、恥を晒したが一人目、愚かさの初手記号、薄い墨汁はどこぞで行方不明のまま、また収められぬままの腹で歩いているが、明朗さ、春を焦がれるべくの冬の練磨人たるべし京人は今、練磨法を思いつかずのまま、そのまま冬を歩くのみ。
故に、無いと言える。
階の移動法は一般人は横幅五メートルの階段。階の間で一度折り返し。
消火設備は無し。
売店何ぞは基本は無し。希に弁当の売り子が立っとったり小さい無人販売の箱があった。焼いた鶏の足に醤油かけ、は二千円。
木製の自販機は広い一階ごとにどこそこ在った。紙の小さい器一杯分が五百円。利用者は富裕層故、無問題。品目は氷水、蜜柑水、葡萄水。薄味系。後期に二千円のメロン味が加わった。九州産と月由来の種、は九州産だった。
施設は大抵は財界人が、希に皇族が貸し切っていた。
訪問者はロシアの財閥、清の旅館経営者の連合、財界人の青幇(ちんぱん)、外国に駐留していたグレイ、北朝鮮の帯刀公家、地球地下組の金星人。
高級だった柑橘(かんきつ)味と苺(いちご)味の飲料水が出る携帯可能な樽が、金星人との会合の際に会議室に搬入されていた。
京人は金星人の好みを、無料自販機の減り具合から知っていた。他方は驚いた。何故知っているの。減りまで調べる奥しまり文化は知らないわ。
そこまでの根回しとは、現代では非倫理領域なんですが。
他方は当惑の中、返礼意識を醸成せざるを得ず、つまり京人を奥に通していった。こうして異星人との異常な暖か交際の中、京は濃密な翻訳文を得ていった。
減りへの調べは異常計算を好む異界の者の衝動の一端。


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京今新在家西町むぉおん七-二十

1533年12月22日 00時00分00秒 | 投稿

鶺鴒~seki-ray~(instrumental strings arrange)

ひろゆきは見つかっとってから、過去より目下、人種を問わず大注視の的。
こいつ京都だぞ、知っとったか。
ねおの総務、男女。
昔の“何何ですー”口調、と板の多さ。
 にう、女
 やん、男

四十五で四条河原町、最難儀政務所掌役、自認者
最高品格指標展示施設への、仕方無し訪問及び、そこでの機械系月人、異人種系月人との、頭部内想念経由会話が仕事。
“こういった指標の析出疲弊は、御文明にとって、展示段階への、閲覧段階のみにて、明白に、大疲弊也、との判定が成立する可能性は如何ほどとお見立てなさるでしょうか。”
“・・・ここの文明、長らくの性癖曰く、力み気味、恒常運営なる大光栄櫓、運営政経を秘め隠すとなると、どうしても・・・こうした神経反応、云わば突っ張った髪型を・・・雑誌に紹介したくなる・・・。
私との立ち位置は、こうした傾向告白役に徹するのみ、と高速で強いてくるのも、現時点では、当該、大光栄櫓で御座います。”
“私共の眼力が、大光栄告白機会を今素早く頂くとして、こちらの指標は、大変な攻撃性、これは他国の文化運営精神象限への指向性伴いを、堂々と露呈しておられる、と上奏致します。”
“・・・ううぬむむむ・・・私の立ち位置に集まる政経指標、長期間分の傾向曰く、そうしたご分析については・・・どうしようもありません。”
(あの、大型隠密旅館の運営を止めいこうとする指標を、京が能動的に析出した試しは一度として、無し、なんですー・・・。)

かごめ民謡
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ

日本に伝わる民謡にこのような唄があります。
この唄の起源を明かしますと、考案者は江戸時代の学者です。
トウキュウトシマエモンと聞こえます。
トウキュウの目的は国全体の知性と民度を向上させる事でした。
かごめ民謡の曲調はトウキュウは考えていません。
後世、他人が詩に合わせた曲を当てはめたようです。
彼は公家の交流の場に流れ着かせる為に千葉県にこのような唄を広めました。
綾しめられた謎は政治の暗喩を深しめ、理解の及ばぬ政治家の出世を無くす事で不要な権力摩擦を無くし、政治家同志の促進された言外の信頼感は国の民度向上の政策の進展を生む素地となると見ていたのです。
トウキュウ達は多くの詩や物語を匿名で世に残しました。
トウキュウは今で言う大学教授でした。
彼はこう考えていました。
国の幸福の根源とは知恵と民度である。
知恵と民度とは分かち難いものである。
相互補填的、相互破壊的なものである。
知恵は民度を、民度は知恵を生み、破壊し得るのだ。
両者を共に育てる場を見つけた。
それは遊びだ。
務め以外の場で人は心を緩やかにする。
その緩やかな場こそ、務めという精神の力んだ部分以外に作用が及ぶのだ。
務めの場に於いては人は得てしてただ機械的、無感情になりがちである。
それは致し方のない場合もある。
しかしそれでは世はただ機械的に幸福を分けていくのみである。
世の下々の者達には中々幸福が回ってこないのだ。
その間に鬱積した憤懣は世を転覆させ、再び強者の支配を生み、機械的な世を生むのだ。
きりがない。
世の下々の幸福を思いやる政治が必要なのだ。
世の下々の知恵と民度を向上させる政治に目覚める必要があるのだ。
それには世の政を司る者達が人の上に立つ為に必要であった思いやりに気付く必要があるのだ。
謎めいた詩を世に放つのはその為である。
それらに触れた公家達は必ずそう考えるに至る。
必ずだ。
からくりの謎紐解きし故に為した出世を見た者は、そを許し知恵を広める必要があるからだ。
何故か。
自身に光を齎し、既に広められていた知恵に対し知恵を広めるという対価を払わねば、あるからくりの問いを永遠に答えらない事になるからである。
それは、お前は出世を為しえたその知恵をどのようにして手に入れたのか、という問いである。
そしてこの問いに対し、知恵による出世者が答えられないという事は極めて致命的な事なのだ。
破滅がふさわしいのだ。
衣食住全てを知恵ではなく、強盗で為したものと世の影で知恵を操る者達に見なされるからだ。
知恵と民度の根底は思いやりで結ばれる。
自身に出世を齎した知恵広められし所以は国全体の思いやりであったのだ。
為し得た出世で我欲のみに走る者は決して上の問いに答えられないのだ。
出世を為した者は、上の問いに答えるべく、知恵を広める事で思いやりを世に残す必要があるのだ。
思いやりこそが世を幸せにするのだ。
トウキュウ達は破滅を齎す知恵を綾しめた詩も世の残していました。
これを理解した者は、知恵を広めようとしない政治家や官僚を破滅させる事が出来るのです。
また、ある詩の真の意味を解したならば、ある権力を手に入れる事が出来るというからくりや、理解出来なくなったらば、また正直に答えられなかったならば権力を失うといったからくりを残しています。
全てトウキュウ達が公家や役人達に匿名で広める事で成し得ていました。
トウキュウは秘密結社に属していたのです。
彼らは他にも日本の民度向上の為に様々なからくりを残していました。
彼らは凄まじい知性集団でした。
私の見では対異星人交渉すら可能です。
組織名は”花弁を吹きさらす所以を知らぬ雲を流す風の力及ぶ範囲を知らぬ者”と言います。
世に残っていません。
組織名は全ての謎を自ら問いかけていこう、という意味です。
そしてその行為は必ず他者に知恵を広めていく事になり、同時に透徹した倫理観が求められてきます。
他者に謎を綾しめておくだけで不遜な愉悦をせしめるなど、自身に対する倫理的な問いに対して無抵抗となるからです。
また与えた謎に対する答えを暗示する際には、世に素性が明らかとなる可能性に襲われます。
勇気が必要なのです。
このように倫理観と勇気の蓄積を見る組織にはそれにより、更に知恵が集まっていく事になります。
後は同じ事の繰り返しです。
”花弁を吹きさらす所以を知らぬ雲を流す風の力及ぶ範囲を知らぬ者”の構成員の着想源は血です。
私の霊視では日本列島に着床した外国由来の遺伝子の発露でした。
それはユダヤ人のものです。
断言しますが、ユダヤ人はここで紹介したものと似通った知恵のからくりを継承しているはずです。
日本人とユダヤ人は脳の思考回路が似ている部分があり、それは単に遺伝子で説明される日がいつかくると推測します。
このような説明は宇宙の他文明では常識です。

かごめ民謡(原義)
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜の間に動かなくなった亀は卵を産むまでじっとしている
鳥は亀の甲羅の上に立っている
みんなで手を取り囲って踊ろう
今飛翔せんは龍
みんなで仲良くはやし立てたからだ
飛び立った龍はみんなと仲良く大回転
そうしてみんなは龍の背に

意味
籠に入れろ(六芒星は無関係です)
お前の中の知恵を 
頭の中に入っていた知恵は一体いつになったら相手に伝えられるようになるのだろうか
知恵を伝える亀は時にじっと動かなくなる
民度(鳥)はそんな亀をいたわるものだ
そうなると子供は亀に手を出せない
鳥が飛んでいってしまうからだ
大人は出産を知らぬ子供にこう諭せ
鳥が逃げるから亀に近づくな
心地良い歌声を聞いた亀は安産となった
飛び出た龍は社会の攻撃力だ
鳥を襲おうとする者には火をかける
龍は火をかけてよいのだ
何故なら皆の総意だからだ
龍の咆哮の為にはこの歌の謎を解き明かすのだ
思いやりを学ぶのだ

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京今新在家西町むぉおん七-十九

1533年12月21日 00時00分00秒 | 投稿

鶺鴒~seki-ray~ (instrumental strings arrange)


この方は、アダムの血には連なっておられないが、京の神職装束、をまとう目、そのもの。
四条烏丸、鶏鉾町にわとりぼこちょう、祭祀職。
生涯、鶏鉾町から北東の堀之上町、四角形領域以内を往来。
“おおあっあろ かぬぉ の゛あうあ゛ん”。
人間はある涙を、意識が、かつて知ったとの履歴を、俯瞰上指摘され得るならば、すべからく、逃げられぬいさかいに出会いってしまうとの定めに服する事になる。
日常、必需なるしきたり、日用品作法を通じて、いさかいを求めいってしまう。
一連は、人間が文明に生きている上で頭部が自然と冠せし、摂理と言える。
ところで、かような、胸と、首の間、内側に籠りて見えざる、連綿、自らの眼球の裏、視神経の糸群へ、さり気無く、つい、知的言及してしまったとあらば、出会いいってしまう義務が在る。
その者とは、すべからく、文明に於ける人間の在り様を、胸と、首の繋がりまで大苦労して、荘厳修辞し、他者の素朴な思考に仕えねばならない。
ある涙とは、何が該当するであろうか。
倫理的唯一なる正解とは、どれ一つとして、明瞭銘柄の挙手ぶりに、人間は投票し正鵠感激を得てはならない、の筈。
どういった涙ですら、正解として、一を、先に、挙げようとする推移は、すべからく、他を、劣位へ排する事になる。
涙の、所以、質の上下を、追ってはならない。
その試行履歴は、すべからく、昇華せねばならぬ業を深しめるのみ。
一連との、知見、的、業深き憶測ごとを、人は、つい、知るに至ったと、仄めかしてはならない。
自己の周囲に立つ他者、利便性を運ぶ台車曳きを、論難中眼輪筋の内に押し込め、倫理的自由呼吸を窒息させゆく事になる。
かような、一連との、穿ち文の中で、ある涙、に該当し得る事柄は、遠方から、丁寧憶測の手で、枯れ葉を選定し、花を生ける事が出来る。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
これとの花瓶と、これに収まりいく可能性のあるあらゆる植生。
街の商取引上作法、これとは何と、街に住む人の業の昇華を手伝う、との云われを、明晰知性、学問の泰斗、は一瞬として嘲笑せず。
然るに、歴史的成立指摘とは、街の商取引上作法、これ、俯瞰上、京人の、胸。
そして、人の仄聞能力とは、絞り態様に瞬時すら気付かずのままなる絞りへの愚直邁進、これを砂時計の柱に選びたる、時間経過事態。
この捉えを、京人の、一人にすら、思考上の銘柄として掌握利用せしめない。
人の仄聞能力との、時間経過事態、これは、倫理的愚かとの指摘を、自他に許さない程、卓効が強力故。
京人の、一人すら、思考上の銘柄としての掌握利用は不可。
掌握利用には、倫理的愚かとの指摘可能性、銘柄の外装を要す。
しかし、仄聞には、これが無い。
故に、京人は、仄聞を、ガンガン利用す。
仄聞は、京に、満つ、空気也。
そして、俯瞰上指摘可能性は、京に満ちる。
自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの履歴を、指摘され得る可能性が。
この仄聞履歴、指摘可能性が意味するところは、璽奥何事へも、いと遠き、大いなるアホ。
人間の業を昇華し得る洗練なる知見が、我が頭に、空気として流入中らしき。
一連は、涙は、どれか、が起点也。
涙をもたらし得る人の業とは、以下。
人の業を、まだ見えず、分からずとの自己の人生段階にふさわしくはなき、街の商取引上作法、簡略化手続きを仄聞せしとの、履歴。
涙を、追えば、人は、不動を選択せざるを得なくなる。
何も出来ない、してはならない、という座し、に至りいく。
しかしところで、人は文明に生きているならば、他者の涙を、俯瞰上、臨床資料として、断固実験利用に晒しいく。
故に、人は他者の涙を、拭いいかねばならない。
断定は、容易に在る。
人は、庵に座しての、璽奥駆使思考のみでは、他者の涙を拭ったとの、指摘には俯瞰上立ち得ない。
人は、動かねばらならない。
そして、人は涙腺を宿し生きる。
だらしない落涙へ、顔は今、構えている。
水風船を顔に秘め歩くが故に、人は文明の中で、他者の涙を利用して生きるとの資格を、克明論理で、正鵠指摘に会わずままで在る事が出来る。
この視座に言及し、一知的銘柄として、思考に上場してはならない。
戦コル知略で整形されし、奇怪な知的微笑、義憤顔人を招来しゆくのみ。
涙とは、文明の中で生きるとは。
人に論難気味にて指摘されぬ愚かさを、認めずのまま、のうのうと他者の愚かさ、涙を利用して生きる事。
そのように、いちいちと、自己宣告せずのまま、生きる事。
千五百年台前半は右京区、天龍寺、厭離庵、二尊院領域の内側で、作務坊主務め。
仏教を奉じてはおらずながらの、この雇用枠は当時稀だったが、山の向こう、清滝界隈の村の習俗に由来する要望を寺が聞き入れていた。
寺は、彼らがどこから来訪してきたのか、分からない。
彼らも今やどこから来たのか、移民時代の理由ごと、分からない。
ある時、一息で、中京へ転居。
これが通例。


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京今新在家西町むぉおん七-十八

1533年12月20日 00時00分00秒 | 投稿


万華鏡の技術は三重降臨種、異界の者が輸入せしガラス技術への、京での改良者、アオイと樋口一葉系によって成った。
これらの眩さは、アオイを見る人間の瞳に宿る、対人貢献意欲人の姿に当たる。
これらが、アオイ。

これが匂い袋で、香りは袋が漏らす。
年頃の女子が深く感得し続ければ、京都寺町通りの小物店の商品を多く、自室に揃えたがるようになる。
季節を頭で、これこそ春、と諭しつつ、かつ文化の華やぎへの急ぎ足衝動、これは女子の非下品、との概括を左脳を経ない。
匂いは、桜吹雪の景色を、火で、鼻孔の中で、燃やす、が如く。

祇園祭の山鉾やまほこ:
サウジアラビアの紅海沿岸、ドゥバーからジェッダにかけてで遊牧民暮らししていた、ユダヤ教を奉じていた人々が、四百年台に、現地での他民族との軋轢を厭がり、東への旅を決心する。
大馬車団は、定住へ逡巡する事なく、すんなり速度で東へ、大くねりした旅路を選んでいく。
四百年台末、上海でいい条件に出会い、迷う。
千名が、ここでの帰化を選ぶ。
残り、一万名は博多を経由し、下関海峡を抜け、難波湾へ。
大金を、馬車団は持っていた。
現地で払っていた外貨は、彼らが所有していた、からくり構造現物と、実際操作しつつの、懸命な口語説明。
人間頭部を一切嘲笑せずである、文明含意内在からくりの動き方を、政治家が、注視して沸く衝動を、民生用品開発視野に投入しゆく、倫理的堂々指数とは。
着想は、旧約聖書のある一節。
短い柱を覆う、操舵輪の取っ手状が無数。
これを一つ回そうとして、柱周囲で動かすも、残りの取っ手は、あまり、動かない。
しかし、二人掛かりで、取っ手動かし役、柱を回し役を担うと、すると、取っ手はゆっくりと、全てが回り出す。
握っていた取っ手を握る手を、他の取っ手が襲い出す。
無数の取っ手が得た推力は、暫く止まらず、惰性的に回り続ける。
この時、二人が失笑する。
ならば、それを、罪悪感と捉えるべし。
以上が、使用法。
こうしたからくり構造を無数に、彼らは製造し、先行個数に追加し、運んでいた。
仕事には出会えた。
政治家にも同様。
船は借りれた。
喰い物は当時の常識上、言語差無視の丁寧挨拶で、まとも市では、大量を貰えた。
明石行き派閥を除いた、八千名は東山区の大谷中学から、左京区の平安神宮にかけた一帯で、定住を始める。
大いに、疲れていた。
サウジアラビアでの遊牧民暮らし派閥が百年以上かけた、旧約聖書のある一節の解釈を、彼らはサウジアラビアでの祭りに顕現させていたが、これの簡略版を、八坂神社関係者に、何の眺望も無いまま、詳しく教えてしまう。
派手さが、大いに受けた。
祭祀対象は、豊穣、あらゆるにとっての、根源で、どの神名も不介在、だった。

山鉾
エン、アア、ウル、ヤー。
エン、ヤアル、アア、ヤー。
エンヤラヤーの起源、原典の意味は、一語音ずつ、重量にて、誰も、意味を頭で追わずべし、が渡来人の常識だった。
このでかさ規格を、大量配列。
ここら人種で、着想と、実践政経は、準備出来るだろうか、果たして京の奥、頭部で。
渡来人の顔は、濃い、中東人だった。
でかさの連射ぶりを見るんだ。
頭違い過ぎるべ。


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京今新在家西町むぉおん七-十七

1533年12月19日 00時00分00秒 | 投稿

昔の京都人にとっての古語。
ほほみ:堀川御池、壺屋町の庵で、死ぬまで沈思稼業が座している。
こう考える。
考えるとは、雑多な群れ沸き何事への、横暴君臨を、正統礼装にての統御と、偽らずのまま、疑わせずのまま、これによる功利に頼るが常。
雑多な群れ沸きとは、横暴君臨とは、をいちいち丁寧索引に分類せずとして、自己の思考役の額、これ正統礼装也の筈、に人は頼る。
かくなる二文なかりせば、世は人に、思考を許さず、となる。
然るに、二文は厳正に在るべし。
かくなる開陳に触れる人は問う。
ところで、雑多な群れ沸きとは、横暴君臨とは。
それへの答えが座す方角は、思考への仕え。
而して、丁寧表示索引は、それらに、伴わず。
然らざれば、我は人に、思考を許さず、となる。
大いに、下剋。 げこく、非道極まる論外事態
以上全ては、考えるの在り様を、丁寧に掌握せんとした上での丁寧作法に従っての、至り事の数々。
考えるとは、雑多な群れ沸き、横暴君臨、正統礼装にての統御、これらとの池の石を踏み飛んでいくが如く。
世、人にとっての考えるとは何事ぞ。
雑多群れ沸き、横暴君臨、正統礼装統御との文字なら、丁寧吟味の結果を、いつぞやかに正統出版物の索引に収めゆくであろうか。
いや、毎度、文字の裏に潜む意味、観念に対する人の自在な登用に、考えは、仕えるまで。
考えるの固定索引化は、この仕えに、反逆を許しいく可能性を帯びている。
考、固定索引化、仕、反逆、許、可能性、帯、これらが、人の思考を逮捕する事により。
その仕事により怒り切ったこれらは、索引へ隷従せぬ思考の在り様を咎め始める。
考える、の定義は、克明に捉えてはならずべし。
世、人から自在な考えの量を奪いいくのみ。
化粧をする女子の年齢を、克明に捉え、広布するが如く。
女子はすべからく、化粧開始年齢を迎えるが為の、女子の身だしなみ品目へ、思考付随政経体重を乗せ付けゆく。
そして女子の化粧開始年齢に対し、身だしなみ倫理の観点から、支配を試行する力を必ず増幅しゆく。
この時だ。
京のいずこに、必ず、鬼を生む。
情理への忠節兵が隠し持つ筆の柄を割りての尖りが生えるを、恐れる一人目への従者の怒りが。
思考の定義を言語支配する営みは、一連滑らかな推移を、素早く起動する。
鬼を、いずこかに生む。
不作法が、往々にしてこれを生む。
思考の克明定義、いずこかの庵に、こたびはお泊り。
京、遍くに、思考の定義を、させず。
その術、克明筆致は不穏当との捉えが相応。
ほほみ、とは一連との思考の在り様に籠る内実を、一度知悉せし者が、世に対して、意図的、非意図的に放つあらゆる振る舞いが言及対象也。
効能は、不作法な克明定義を、させずべくの、人間の自然な在り様の露呈を経ゆく。
人間の肉、骨、血、知恵、人脈の在り様は全てが、ほほみ。
医学的厳正定義を待たずであった、タンポポの種の飛びへの、幼子の注視を咎めぬ、世の在り様を、政治的厳正描写せずなる我らが如く。
物事の克明定義を試みる思考、ほほみ、いずれが世に要せしか。
ほほみ、のみ。


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