スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

佐伯敏子さん

2017年09月21日 | 雑感
今朝の道新に ≪ 核禁止条約の署名開始 廃絶の道 依然厳しく米朝間の緊張 逆風に ≫ と掲載あり。

我が日本は被爆国であるにもかかわらず、依然著名を拒否。 その理由はというと・・・。

  ● 唯一の被爆国として核兵器のない世界を目指す
  ● 米国の「核の傘」を最も重視
  ● 禁止条約は核保有国と非保有国の分断を一層深める     
とあった。

久しぶりに夜を徹して読んだ本がある。  

『 原爆供養塔 』 著者・堀川惠子 ( 1969年広島生のフリーのジャーナリスト・第47回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作 ) 

広島の平和記念公園の片隅にある直径16メートル・高さ3.5メートルほどの小さな小山のような
塚があり、そこには原爆で亡くなったおよそ7万柱もの遺骨が眠っているという。 
小さな骨箱には名前住所もかかれているが、大きな箱には大量にひとまとめにされた遺骨が納められている。

そこで40年もの間 毎日ごみを拾い掃除をし、這いつくばって草とりをし、遺骨の遺族を探し歩き、
原爆の実体験を道行く人々に語り続け、「 ヒロシマの大母さん 」 と呼ばれていた小柄な女性がいたという。


名は佐伯敏子。   佐伯敏子Wikipedia
 

引き取り手なき遺骨の謎と、その人の一生を通して原爆の惨状を描いた本格ノンフィクション作品だ。
 
    

ちょっと抜粋して記しておきたいことがある。

原爆投下から数カ月の地元誌には
「住んで害なし」 「弱かった放射力」 「米誌が原子爆弾持続性を否定」 しまいには
「南瓜も薬になる」 など今思えばばかげた、そんな後遺症を否定する記事ばかりだったという。

その後GHQによる検閲が始まると、特に放射線による人体への影響を掲載することは
最大のタブーとされ、記事にもなくなり正しい情報が与えられなくなっていったようだ。

アメリカは原爆投下の翌月から調査団を派遣、国防総省直轄の放射線影響を探る調査委員会をも
広島に設置、被爆者の検体を定期的に採取、病状悪化をつぶさに観察、亡くなればその遺体を
切り刻んで組織を保存、放射能による人体への影響を秘密裏に調べ続けたという。

被爆者の治療に役立てられることはなかったようだ。治療を行えば、その影響が分からなく
なるからだというではないか。


ところがだ、日本においてもこんなことが書かれていた。

日本海軍の主要拠点は被害を受けなかったようで、いち早く爆弾の情報収集に走り、
被災者の白血球を採取のために看護婦らを広島に送りだした。
土も採取、放射線の影響を図るべく調査に乗り出した記録もある。

しかし何故か広島が未曾有の大惨事に見舞われた後、その海軍兵学校から
広島に救援に入った者はおらず、上官に制しされ引き返したと語る者もいたという。

つまりは彼らは早くから放射線の人体への影響、その恐ろしさを察知していたとの憶測だ。

戦後その同僚だった(三期生)人が海軍の元関係者に、なぜ救援に向かわなかったのかを
尋ねる質問状を出したが、今にいたるまで返事はないという。

もっとあるが、当ブログでは既に長くなっているのでこれまで、是非この本を読んでいただきたい。
原爆供養塔における広島市や国の情けない対応ぶりなど、詳細に書かれている。

この本、ノンフィクションとしての極致作品かも知れませんよ。  

当時93歳、今も老人保健施設で過ごしているという佐伯さんのインタビューの言葉が末尾に紹介されていた。

    哀しみも喜びもみな自分が作るの、人が作るんじゃない。
    自分のものの思い方で、喜びも怒りも悲しみも生れるし、争いも生れる。
    じゃからこの歳になってもね、自分との戦いなんよ。
    強くならないといけないね、強ければ相手に優しくできるでしょ。
    ひとりひとりの心が強くなれば、戦争だって起きんのよ。
    大切なのは力じゃなくて、心じゃからね。


爆心地から1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡、それよりも爆心地に近い地域では
80~100%と推定され、死者は14万とも、正確な死者数はいまもって不明とのことです。


世界に核弾頭 なんと15000発 もあるという。 

いま世間を騒がせている水爆はこの原爆の100から1000倍の威力というではないですか !




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