無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

日本人の秩序感覚・・・「家族主義」

2008年07月08日 | Weblog
『国家の品格』の著者、藤原正彦氏はインタビューの中で、

「日本人はこれまでに、2回も過去を捨てさせられてしまっているんですよ。

最初は明治維新。

薩長が“封建制の圧政で庶民が抑圧されてきた”と大ウソを言って江戸時代までを否定した

(2回目は)第二次大戦後です。

今度はアメリカと日教組が、すべてが日米戦争につながったとして、戦前の日本を全否定した。」


「敗戦により戦前の日本の伝統文化を全否定され、過去を捨て去られた結果、日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。」

といっている。


右傾化(軍国主義・全体主義化)を思考する権力者は、“わが意を得たり”と同著にとびつき、

■今日の教育の荒廃は終戦の日を境に“左傾の連中”が、古来日本の良き精神までを否定し“左傾教育”をした結果であるとみる。
教育は50年スパンで国家形態に作用してくる。まさに今がその時期なのだ。
終戦と同時に、日本の良き道徳や精神論は全て否定。
個人の自由や所得倍増が人を豊かにするとばかりに教育指導してきたために、今日お年寄りをいたわるとか、公共の場では大声を出さないとか、とかく周囲に対して迷惑をかけないという道徳や精神が皆無となった。その結果が今日の教育現場の荒廃を招いていると思うのだ。

 即ち

 敗戦後、日本はアメリカと日教組によって戦前の日本を全否定され、『たゆまぬ努力によって築いてきた』伝統・文化を全部捨てさせられた(無かったものにしてしまった)。
          ↓
 日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。
          ↓
 愛国心を教育し、日本人としての誇りを持ち、伝統文化を重んじる『国家の形成者として必要な資質』を持った国民をつくらなければならない。

 言い換えると

 今の教育現場の荒廃は、左翼の自虐史観に基づく日教組の間違った教育によるもの、マスコミも偏った報道。
          ↓
 その教育により自分の国・伝統に誇りを持てない子供が育ち、結果、公徳心を無くし、又、お年寄りを労わるといった道徳心をなくし、利己主義に走り過ぎて、人の迷惑も顧みず傍若無人に振舞ったりしている。
          ↓
 従って、憲法・教育基本法を改正し「愛国心」を盛り込み、伝統と歴史に誇りを持てる「公共心」をもった子供をつくらなければならない。

と政府(国家)はテレビ・新聞等マスメディアを使って“宣伝”(国民を洗脳)し、国家権力を縛っていた教育基本法を「国民を縛る法」に変え、もう一つの国家権力を縛っている憲法も消して「国民を縛る法」に作り変えようと画策している。

自民党(憲法調査会)は「今の憲法が立脚する“個人主義”が戦後のわが国においては正確に理解されず、“利己主義”に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか」(との懸念)を「憲法改正をしなければならない理由」(改正の“根底”にある考え方)としている。

国民は騙されてはいけない。

前にも書いた通り、これらの問題は「現行憲法」のせいでも「日教組」のせいでもない。

50年前の書物に「明治末年以来『道義の頽廃』『公共精神の欠如』『愛郷心の衰退』『地方自治の不振』…(中略)…が言われ」と書いてあり、戦後の現行憲法が出来る前、戦後の「日教組」による教育が始まるズッと以前より取り上げられている問題であることがわかる。これらの問題の根底は他にあるのである。

昔、ソクラテスも「今の若い者は…」と嘆いたそうだが、それと同じで、いつの時代も「その時の若い者」が悪いのではない。 今の若者を嘆く前に、その時代時代の変化(特に経済基盤の変化)にマッチした対応(行政)が必要なのである。


さて、本題に入る。


前回書いたように、西洋では「こんにちに於いては、神は死んでいる。信者の心の中でさえも…」(サルトル)となり「神のもとの社会秩序」が維持できなくなって来ているのだが、それでは日本ではどうなのか。

日本での社会秩序は、江戸時代までは上からの「武士道精神」、下からの「自然村的秩序原理(国民意識)」により成り立っていた。

M:自然村的秩序原理は「シントーイズム・ジェロントクラシー・ファミリズム・フューダリズム・メンタルオターキーの5つから成っている」と、神島二郎氏は分析し、その一つ一つが幾重にも絡み合って変形し、社会秩序を構成しているのだが詳しい説明は略し、一部だけを取り上げて話を進める。

いかなる時代の社会秩序も、その時代の経済基盤に基づいて成立している

江戸時代のそれは、自給自足的共同体の中で出来上がっており、人々の関心事は「一所懸命」の家であり、土地であり、村落(共同体)であった。
その謂わば“閉鎖された社会”の中での社会秩序が、明治維新により、というよりは列強諸国による植民地化といった外圧のために、日本国は西洋文明の摂取を余儀なくされ、今までの経済基盤とは全く異なった資本主義経済(消費経済)へと急速に変容していった。

それでは、藤原正彦氏の言うように「明治維新により過去を全てを捨て去られた」のだろうか?


M:余談だが「国家の品格」の藤原氏は、取り戻したい過去を江戸時代の文化・武士道精神にまで遡らせている。
その結果、明治維新の封建制度からの脱却=「万機公論に決すべし」や、独裁政治・戦争を否定し「主権在民」をうたった現憲法も政府の「戦後レジュームからの脱却」の対象にされ、権力者の改憲による軍国独裁政治を目指すための強力な思想書となってしまった。
藤原氏は「慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば…(以下略)」と考えておられるが、藤原氏は、国が『国家の品格』の考え方を利用し、教育基本法をデリートし、国が国民に「愛国心を教育する」事態になったことや、国が国歌斉唱や国旗掲揚を強制して来ている現状をどう思われているのだろうか?
藤原正彦氏のお母さんが経験された様な事態が又日本国民にふりかかって来るのでは?とは考えないのだろうか。


話を元に戻す。本当に明治維新・終戦により「全てが否定され、全てが捨て去られた」のだろうか?

結論を先に言おう。答えはNO(ノー)である。

江戸時代の経済の仕組みから、資本主義経済の仕組みに急激に変っていった為に、それまでの社会秩序原理(道徳・倫理感)は変形を余儀なくされたが、決して否定され捨て去られた訳ではない。
変形はしたものの、現在まで脈々と続いているのである。

多過ぎて、一度に書けないので、これから何回かに分けて『日本人の秩序感覚』について書いていく。
今日はどれにしようか?と考えて「家族主義」を取り上げた。

これは今の核家族化した社会における個人の「マイホーム主義」のことではない。
江戸時代の村落共同体に於ける「家族主義」は大きくは国家家族主義として、また藩閥・学閥・同郷のよしみ・オヤコ(親分子分)・キョウダイ(アニキ分)といった肉親以外での家族的関係、又、企業内の組織秩序維持機能として脈々として続き“日本的なもの”として残っているのである。

私が昔、入社した会社でも「家族主義」をとっており、部署内での“家族的雰囲気”を大事にしていた。
新人歓迎会を始め、定期的に上司が部下を集めて飲みに連れていって“家族的な付き合い”(秩序)を作ろうとする。
今と違い、終身雇用制の頃は、部下は“立身出世”(給料が上がって、より良い生活ができること)を考えた場合、上司のその誘いを断れないのである。(M:今度実施される“裁判員制度”のようなもの=蛇足)
上司も身銭を切ってでも部下に飲み食いさせることによって、部下を掌握・統制できれば、自分の出世(地位の安泰)に繋がるのだ。

※この「酒と女」の利用は、いち早く部下を内輪に引き込み、“醜態を抵当にして”部下の意志を自由に操ろうとするものであった。(神島氏)

上司と部下は“親子も同じ”、先輩後輩は兄弟の関係といった企業の『家族主義』の中で、この断れない“お誘い”を新人は逆手にとって“上司の醜態(弱み)を握って出世に結び付けよう”と試みるが、百戦錬磨のベテランに敵うわけが無いのである。

福沢諭吉は「立身論」(1885年)の中で次の様に言っている。(M:現代風に意訳)

「立身出世の為には、上司を牢絡する手段として上司と一緒に不品行(酒と女)をするのがよいのだが、これは、ちょうど、子供が小さかったときの醜態を抵当にして父母に押さえられ、生涯、首を上げることができないようなものだ。」

上司を牢絡しようとして、一生、その上司に頭が上がらない結果となる。

自民党の森・元総理が自民党のドンといわれる背景には、上記の様に「酒と女(有名〇〇)」を利用して新人国会議員を内輪に引き込み、醜態(国会議員の場合はスキャンダルになる弱み)を抵当にして、若手議員の意志を自由に操っている(新人議員の頭が上がらない様にしている)、といった江戸時代から変形しながら続いている自然村的秩序原理の一つ「家族主義」(オヤコ関係=親分・子分の関係)があると思われる。

「ニッポンは自民党のシマ(縄張り)」といっているヤクザな政党である。あながち嘘とも言えないのではないか。

書き出すと、切りが無い。今日はここまで。またね。

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