「自立した個人に」学生50人に人生訓(東京新聞3月27日朝刊から)
(某有名国会議員は)約50人の学生らに対し「自分の失敗を人のせいにしていては民主主義は成り立たないし、ろくな人生も送れない。自立した個人でなくてはいけない。」と訓示。
同時に、
「戦後社会で価値観は多様化したのではなく喪失された。
問題点はそこにある。
自分の理念や価値観を持ってもらいたい。」
と人生訓を説いた。
現代は、この政治家の言うように「価値観の喪失された時代」だ。
確かに昔のような「善か悪か」「勧善懲悪」「資本主義か共産主義か」といった一元的な見方は影を潜め、価値観によって違う考え方があってもいいではないか、という「価値観の多様化」意識は、現代の国民の価値観喪失に繋がった。
核家族化により「子育て」の伝承(“おばあちゃんの知恵袋”といった伝承)が無くなり、ブランド物の皮のバッグの様に子供を可愛がり(『雨に濡らしてはいけない』といったような過保護な扱い)、その結果として、しつけがされずに我儘に育った自己中心の、すぐキレる人間が大量生産された。
その結果の例として、バイクのバックミラーを取られた人が、取った女子学生を咎めたら「これが無いと私が困るのよ!」と言われたり、万引きして捕まった子供が「金払えばいいんだろ!」と居直ったり、電車で非を咎めた人が相手に“キレられて”刺されたり(従って見て見ぬフリをする世相)といった世の中になってしまった。
昔は「弱いものいじめをするな」「強きをくじき、弱きを助くるのが正義」と親や先生に一元的に躾けられ育ったため、いじめっ子は直ぐに女生徒から先生に通報「先生!A君がB君をいじめてます」、A君は職員室に呼ばれ「お説教」され、親を呼ぶぞ!との一言でA君は「もうしませんから、親に言うだけは止めて!」と泣き泣き謝ったものだ。
(余談)
当時の世相はイジメは絶対に許せないものであり、生徒も先生も(いわば世間が)許さない風潮によって「先生にチクる」のは当然であった。
いつから「一緒にいじめなければ、いじめられる」教育現場になってしまったのか。
横道に逸れたので、話を元に戻す。…余談終わり
そう、昔は「地震・カミナリ・火事・オヤジ」であり、当時の親父の権威は強く、子供に恐がられていた。
そうそう先生も尊厳・権威があった。「三歩さがって師の影を踏まず」である。
その小学校の師(先生)から言われた「君たちは“考える根っ子”(自分が物事を判断する基準)を持たなければならない。世の中の色々なことを知り、その中から自分の価値観を作っていく必要がある。その為にはもっともっと学ばなければならない。」が今でも私の記憶に残っている。
古い価値観だといって済まされることでしょうか?
古い奴だとお思いでしょうが、それでは今の世相の判断基準「勝った・負けた」は多様化した価値観と言えるでしょうか?
世の中「やっていいこと、悪いこと」は法律に照らすまでも無く、歴然と存在しているのです。
価値観が確立していないと「なんでもあり」の何をやってもばれなければいい、勝てば官軍といったジコチュウの考えになってしまいます。
さて、本題に入ります。
鳩山政権の支持率はテレビ・新聞の宣伝効果で、どんどん下がっている。
それに味をしめたテレビ・新聞等マスメディアの民主党政権攻撃はあからさまになってきた。
最近政府が打ち出した高速道路の料金体系にしても、そうである。
私の見ていたテレビ局は、この報道を「街の声」(M:これがクセモノ)で、「料金が上がるのでしょう?いやですね」(主婦)、と「私はETCをつけたから、今のままの方がいいですね」(所帯持ちのドライバー)の意見を流しコマーシャルに入ったが、コマーシャルが終わった途端、また政府に反対する「街の声」を2連発「政府は高速料金無料化と言いながら、いうこととやることが違う!」(年配男性)「無償にする、といっておいて!民主党政権はマニフェストを何も実行していない。これでは自民党と変わりない」(この男性も政府を貶す発言)と報道し、続いてJR東日本の「客足が電車から遠のく。どうしてくれるんだ、保障しろ。」やトラック業界の「反対」意見を報道。
もともと民主党は段階的に無償化にもって行きたい、とマニフェストで謳っており、半年で無償化するなどとは一言もいっていない。それなのに前原大臣が「1年間やってみて再検討したい」と言った事に言及しないで、反対!反対!
マスメディア報道を見ている国民はよっぽど民主党政権が悪いことをしているのだな、と思ってしまう。
「上限2000円」と報道している画面には「これにより上限1000円は廃止」の大文字が長い間出され続けた。
もう、マスメディアの犯罪といっていいだろう。
政権交代が実現し、政府が「国民の為の政治」を打ち出しているのに、マスメディアは「癒着した政官財」の旧勢力のまま「国民の為の報道」をしていない。
旧体制に必死で戻そうとしているマスメディアは、それでもかなりの成功を収めている。
「たちあがれ日本」の新党結成に対しても、「立ち枯れ?」等、いろいろな揶揄を面白おかしく報道しているが、国民にとって、そんな事はどうでもいいことなのだ。マスメディアは、その新党が国民の為にどういうことをやってくれる党なのか、を主眼に報道しなければならない。(国民の知る権利に奉仕しなければならない。)
すなわち、国民の為に自主憲法を創ろうといっていることとか、国民が選んだ民主党を倒そうとしていることとか、財政再建の為に消費税を増税しようとしていることとか、をもっともっと大々的に報道し「このままでは日本はダメになってしまう」との発言に「何故ですか?」と、国民が疑問に思っていることを質問しその回答を引き出したり、新党が「企業献金全面禁止」に賛成なのか、反対なのか、「天下り」への賛否、私が一番知りたいのは「自主憲法制定」で新党がどこをどのように変えようとしているのか、つっこんで新党に質問しているマスメディアは皆無なのである。
国民は故人政治家の思惑や政治駆け引きなどに興味は無い。国民は自分の生活が成り立つように党が何をしてくれるかが切実な問題なのだ。
マスメディアは政府が行なった施策について、充分に国民に説明していない。
高校授業料の(実質)無償化などは「歴史に残る」出来事であるのにマスメディアは、国民の反対のほうが多い世論を作り上げたのだ。
マスメディアはバラマキといって批判しているが、自民党政権時代の「定額給付金」と比較して国民に解説したマスメディアは私の記憶に無い。
■国民は、民主党が政権をとる前に自民党政権が暗礁に乗り上げていた(13年ほったらかしの)「普天間問題」を知っていたのか。
それなのに民主党政権になったとたんに毎日毎日「普天間」「普天間」である。
何を、国がひっくり返るような大騒ぎをしているのか。「日米同盟に亀裂」だと、ハッ!
(またまた、日刊ゲンダイ4月10日の記事を脚色引用)
…だが、選挙民(国民)は、ここが考え時だ。
ハッキリ言えることは、ここで選挙民(国民)が民主党政権を見限ったら、喜ぶのは自民党や官僚組織、テレビ・新聞等大マスコミ、といった旧勢力ということだ。
半年程前の総選挙でこの「旧体制のあこぎな支配」を打破したくて行動を起こしたのではなかったのか。
それを再び、みずから進んで彼ら旧体制派の軍門に下ろうとしている。
それでは、単なるアホ、愚民である。
本当にそれでいいのか。
「民主党政権は頑張っているといえます。予算を年内に成立させ、さらに子供手当てや高校無償化で国民に直接、税金を還元させることによって社会に安心感を与え景気の底割れを防いでいる。
官僚支配に対しても公約どおり徐々に権力を剥ぎ取っていますし、米国従属外交から自主外交に舵を切る努力もしている。
たった半年にしてはよくやっている。
それを多くの国民が冷静に評価出来ないのは、すべてテレビ・新聞等大マスコミの偏った報道のせいです。
民主党の官僚打破や政治主導に猛反発する官僚機構と検察が仕掛けた「政治とカネ」の問題をことさら大事件のように報じた。
最初から全部の公約を実現できるはずも無いのに、ちょっと遅れると「公約違反だ」と騒ぎ立てて叩く。
この3~4ヶ月は、悪意に満ちた報道の連続です。
国民は、そんな“毒”を毎日飲まされた結果、毒が体に回ってしまい。「自民党も民主党もダメ」と思うようになってしまった。
旧勢力・マスメディアの謀略に洗脳されているのです。」(筑波大学名誉教授・小林弥六氏)
官僚組織や大マスコミとグルになった自民党政治にオサラバし、やっとこれから政権交代の実が味わえる時が来たのに、また時計の針を元に戻そうとしている。
国民は“毒”が体中に回る前に、目を覚まさないとダメだ。(日刊ゲンダイ4月10日号引用終り)
途中ですが、用事が出来て書き続けられなくなったので「きょうはここまで」、またね。
そうそう、最初に学生達に「自分の理念や価値観を持ってもらいたい」と言ったのは、確か「小沢一郎」とかいう名前でした。念のため。
(某有名国会議員は)約50人の学生らに対し「自分の失敗を人のせいにしていては民主主義は成り立たないし、ろくな人生も送れない。自立した個人でなくてはいけない。」と訓示。
同時に、
「戦後社会で価値観は多様化したのではなく喪失された。
問題点はそこにある。
自分の理念や価値観を持ってもらいたい。」
と人生訓を説いた。
現代は、この政治家の言うように「価値観の喪失された時代」だ。
確かに昔のような「善か悪か」「勧善懲悪」「資本主義か共産主義か」といった一元的な見方は影を潜め、価値観によって違う考え方があってもいいではないか、という「価値観の多様化」意識は、現代の国民の価値観喪失に繋がった。
核家族化により「子育て」の伝承(“おばあちゃんの知恵袋”といった伝承)が無くなり、ブランド物の皮のバッグの様に子供を可愛がり(『雨に濡らしてはいけない』といったような過保護な扱い)、その結果として、しつけがされずに我儘に育った自己中心の、すぐキレる人間が大量生産された。
その結果の例として、バイクのバックミラーを取られた人が、取った女子学生を咎めたら「これが無いと私が困るのよ!」と言われたり、万引きして捕まった子供が「金払えばいいんだろ!」と居直ったり、電車で非を咎めた人が相手に“キレられて”刺されたり(従って見て見ぬフリをする世相)といった世の中になってしまった。
昔は「弱いものいじめをするな」「強きをくじき、弱きを助くるのが正義」と親や先生に一元的に躾けられ育ったため、いじめっ子は直ぐに女生徒から先生に通報「先生!A君がB君をいじめてます」、A君は職員室に呼ばれ「お説教」され、親を呼ぶぞ!との一言でA君は「もうしませんから、親に言うだけは止めて!」と泣き泣き謝ったものだ。
(余談)
当時の世相はイジメは絶対に許せないものであり、生徒も先生も(いわば世間が)許さない風潮によって「先生にチクる」のは当然であった。
いつから「一緒にいじめなければ、いじめられる」教育現場になってしまったのか。
横道に逸れたので、話を元に戻す。…余談終わり
そう、昔は「地震・カミナリ・火事・オヤジ」であり、当時の親父の権威は強く、子供に恐がられていた。
そうそう先生も尊厳・権威があった。「三歩さがって師の影を踏まず」である。
その小学校の師(先生)から言われた「君たちは“考える根っ子”(自分が物事を判断する基準)を持たなければならない。世の中の色々なことを知り、その中から自分の価値観を作っていく必要がある。その為にはもっともっと学ばなければならない。」が今でも私の記憶に残っている。
古い価値観だといって済まされることでしょうか?
古い奴だとお思いでしょうが、それでは今の世相の判断基準「勝った・負けた」は多様化した価値観と言えるでしょうか?
世の中「やっていいこと、悪いこと」は法律に照らすまでも無く、歴然と存在しているのです。
価値観が確立していないと「なんでもあり」の何をやってもばれなければいい、勝てば官軍といったジコチュウの考えになってしまいます。
さて、本題に入ります。
鳩山政権の支持率はテレビ・新聞の宣伝効果で、どんどん下がっている。
それに味をしめたテレビ・新聞等マスメディアの民主党政権攻撃はあからさまになってきた。
最近政府が打ち出した高速道路の料金体系にしても、そうである。
私の見ていたテレビ局は、この報道を「街の声」(M:これがクセモノ)で、「料金が上がるのでしょう?いやですね」(主婦)、と「私はETCをつけたから、今のままの方がいいですね」(所帯持ちのドライバー)の意見を流しコマーシャルに入ったが、コマーシャルが終わった途端、また政府に反対する「街の声」を2連発「政府は高速料金無料化と言いながら、いうこととやることが違う!」(年配男性)「無償にする、といっておいて!民主党政権はマニフェストを何も実行していない。これでは自民党と変わりない」(この男性も政府を貶す発言)と報道し、続いてJR東日本の「客足が電車から遠のく。どうしてくれるんだ、保障しろ。」やトラック業界の「反対」意見を報道。
もともと民主党は段階的に無償化にもって行きたい、とマニフェストで謳っており、半年で無償化するなどとは一言もいっていない。それなのに前原大臣が「1年間やってみて再検討したい」と言った事に言及しないで、反対!反対!
マスメディア報道を見ている国民はよっぽど民主党政権が悪いことをしているのだな、と思ってしまう。
「上限2000円」と報道している画面には「これにより上限1000円は廃止」の大文字が長い間出され続けた。
もう、マスメディアの犯罪といっていいだろう。
政権交代が実現し、政府が「国民の為の政治」を打ち出しているのに、マスメディアは「癒着した政官財」の旧勢力のまま「国民の為の報道」をしていない。
旧体制に必死で戻そうとしているマスメディアは、それでもかなりの成功を収めている。
「たちあがれ日本」の新党結成に対しても、「立ち枯れ?」等、いろいろな揶揄を面白おかしく報道しているが、国民にとって、そんな事はどうでもいいことなのだ。マスメディアは、その新党が国民の為にどういうことをやってくれる党なのか、を主眼に報道しなければならない。(国民の知る権利に奉仕しなければならない。)
すなわち、国民の為に自主憲法を創ろうといっていることとか、国民が選んだ民主党を倒そうとしていることとか、財政再建の為に消費税を増税しようとしていることとか、をもっともっと大々的に報道し「このままでは日本はダメになってしまう」との発言に「何故ですか?」と、国民が疑問に思っていることを質問しその回答を引き出したり、新党が「企業献金全面禁止」に賛成なのか、反対なのか、「天下り」への賛否、私が一番知りたいのは「自主憲法制定」で新党がどこをどのように変えようとしているのか、つっこんで新党に質問しているマスメディアは皆無なのである。
国民は故人政治家の思惑や政治駆け引きなどに興味は無い。国民は自分の生活が成り立つように党が何をしてくれるかが切実な問題なのだ。
マスメディアは政府が行なった施策について、充分に国民に説明していない。
高校授業料の(実質)無償化などは「歴史に残る」出来事であるのにマスメディアは、国民の反対のほうが多い世論を作り上げたのだ。
マスメディアはバラマキといって批判しているが、自民党政権時代の「定額給付金」と比較して国民に解説したマスメディアは私の記憶に無い。
■国民は、民主党が政権をとる前に自民党政権が暗礁に乗り上げていた(13年ほったらかしの)「普天間問題」を知っていたのか。
それなのに民主党政権になったとたんに毎日毎日「普天間」「普天間」である。
何を、国がひっくり返るような大騒ぎをしているのか。「日米同盟に亀裂」だと、ハッ!
(またまた、日刊ゲンダイ4月10日の記事を脚色引用)
…だが、選挙民(国民)は、ここが考え時だ。
ハッキリ言えることは、ここで選挙民(国民)が民主党政権を見限ったら、喜ぶのは自民党や官僚組織、テレビ・新聞等大マスコミ、といった旧勢力ということだ。
半年程前の総選挙でこの「旧体制のあこぎな支配」を打破したくて行動を起こしたのではなかったのか。
それを再び、みずから進んで彼ら旧体制派の軍門に下ろうとしている。
それでは、単なるアホ、愚民である。
本当にそれでいいのか。
「民主党政権は頑張っているといえます。予算を年内に成立させ、さらに子供手当てや高校無償化で国民に直接、税金を還元させることによって社会に安心感を与え景気の底割れを防いでいる。
官僚支配に対しても公約どおり徐々に権力を剥ぎ取っていますし、米国従属外交から自主外交に舵を切る努力もしている。
たった半年にしてはよくやっている。
それを多くの国民が冷静に評価出来ないのは、すべてテレビ・新聞等大マスコミの偏った報道のせいです。
民主党の官僚打破や政治主導に猛反発する官僚機構と検察が仕掛けた「政治とカネ」の問題をことさら大事件のように報じた。
最初から全部の公約を実現できるはずも無いのに、ちょっと遅れると「公約違反だ」と騒ぎ立てて叩く。
この3~4ヶ月は、悪意に満ちた報道の連続です。
国民は、そんな“毒”を毎日飲まされた結果、毒が体に回ってしまい。「自民党も民主党もダメ」と思うようになってしまった。
旧勢力・マスメディアの謀略に洗脳されているのです。」(筑波大学名誉教授・小林弥六氏)
官僚組織や大マスコミとグルになった自民党政治にオサラバし、やっとこれから政権交代の実が味わえる時が来たのに、また時計の針を元に戻そうとしている。
国民は“毒”が体中に回る前に、目を覚まさないとダメだ。(日刊ゲンダイ4月10日号引用終り)
途中ですが、用事が出来て書き続けられなくなったので「きょうはここまで」、またね。
そうそう、最初に学生達に「自分の理念や価値観を持ってもらいたい」と言ったのは、確か「小沢一郎」とかいう名前でした。念のため。
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