無風老人の日記

価値観が多様化し、自分の価値判断を見失った人たちへ
正しい判断や行動をするための「ものの見方・考え方」を身につけよう。

デモ

2016年05月17日 | Weblog
今度の選挙までに基本的なところで、あなたに理解してもらいたいと思って、私が今まで書いて来た事をなるべく分かり易くまとめた形で再掲しているのだが、話したいことが溜まってしまい欲求不満気味になっている。

そこで今日からしばらくは、全く脈絡は無いのだが、余談として最近の日本国の状況を書き連ねておくことにした。

今日は余談その1.デモについて

デモは国民に与えられた「抵抗権」であり、憲法の基本的人権=「表現の自由」「集会の自由」「結社の自由」「思想良心の自由」等、保障された国民の権利の一つである。

少し前になるが、文部科学省は「高校生の政治活動について」対応の文書を出した。(高校の生活指導関係者向け)

・違法行為に発展する恐れがあるデモに、生徒が参加する事態は可能な限り、避けねばなるまい。

・休日に政治活動ばかりして、学業に支障が出るのも問題だ。

・たとえ校外の活動でも、教育上の観点から、学校が把握しておく必要はあるのではないか。

関連記事

・文科省が高校生の政治活動について、校則で「届け出制にするのも校内禁止もOK」

・高校生デモ参加『届け出』でトラブル防ぎたい━━━━読売新聞社説(2016年2月29日)
←憲法違反(解説略)

上の理屈は「デモ暴徒化論」から来ている。

夕刊フジでは以前コラムで「大衆心理の明と暗」として、

オリンピックで大衆が熱狂するのが「大衆心理の明」であり、デモで群衆が暴徒化するのが「大衆心理の暗」だ。

と書いてあり、

デモに参加することにより、自分は手を出していなくても「暴徒」の一員として同罪となるのだから、そういった群集心理(大衆心理の暗)が働くデモ参加は避けたほうが賢明だ。

としていた。


また、海外から「極右新聞」として定評のある日本の五大新聞の一つの産経新聞は下のような記事を掲げる。

■安保法反対デモの若者はナチス青少年部や紅衛兵にソックリではないか…。(産経新聞2016年3月25日)

東京・渋谷の繁華街で安全保障関連法反対を叫びデモ行進する女子高生の制服が、《ヒトラー・ユーゲント》の若者が誇らしげに身を包んだ茶色の開襟シャツと重なった。
ヒトラー・ユーゲントは1920年代にナチス・ドイツが「製造」したナチ党青少年部(後に国家機関)で、最後は国防軍や武装親衛隊に編入され、戦場の露と消えた。
ナチズムの熱狂に引きずられた犠牲者だ。
民主/共産/維新/社民など安保関連法廃止を目指す野党が、学生団体《SEALDs(シールズ)》の若さを利用して今夏の参議院選挙で党勢拡大を謀る手口は、ナチ党に通じる。
安保関連法に反対する高校生組織《T-nsSOWL(ティーンズソウル)》が21日夕、多くの中高年に混じり「戦争反対!」などとラップ調で音頭を取り、参加者がシュプレヒコールを連呼する様を観てそう感じた。

ナチス青少年部を想起

若者の情熱や真剣さを政治利用する大人、とりわけ教育に携わる教授の「責任」は問われぬのか。
「糾弾」されるべきは若者の経験・学識・自省の積み上げ不足につけ込み「戦争反対!」の連呼で、戦争を防げると洗脳する大人どもだ。
でも現実は真逆。
人類史5000年で主要戦争は1万4000回以上、死者は50億人に達する。
過去3400年の内、平和な時代は250年に過ぎぬ。
数字は2004年当時で、シリア内戦やウクライナ紛争などでもっと増えている。
戦争と戦争の間《戦間期》で生きている悲しき現実が認識できないと、若者は頑迷な左翼の後継者に堕ちる。
戦史や開戦に至るメカニズム、その反省を基に引き出された抑止力といった教訓より若者を遠ざけ、大人がデモ参加を誘導したのなら、怖い。
大人の影響力は、大人の自覚以上に大きく実際、日本国の宰相を公然と呼び捨てにする山口センセイに学び?若者が「アベ」「アベ」と気勢をあげている。

弱りかけた権力を再興する際、腹黒い指導者が目を付けるのが若者だ。
ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)がそうだった。クーデター《ミュンヘン一揆/1923年》に失敗し逮捕され、党活動が禁止される。
だが、恩赦で釈放され、1925年にナチ党を再結成するや、ナチ党青少年部を復活させ、ヒトラー・ユーゲント(ヒトラーの若者)と命名した。
党勢回復には若者の悪用が最も手っ取り早い。
ヒトラーは得意の熱弁で「素晴らしき新生ドイツ建設」を説いた。
若者はつかれたごとく引きずられていく。

(この後、中国紅衛兵の話が続くが上と同じように『若者の悪用』の話なので略す)

笑える「反権力ごっこ」

 ところで、SEALDsやT-nsSOWLのデモは文字通りの「鳴り物入り」で、若者は楽しむ風であった。警察官は行き交う車より参加者を守っていた。官憲・権力の援助を受ける「官民協力デモ」には笑ったが、「民主主義を否定する暴挙!」などと、民主主義の象徴的風景の中で非難しても響かない。「戦争したがる総理はいらない!」「安倍は辞めろっ!」と、放言が許される日本社会に、参加者は感謝の念を抱かぬようだ。中国の軍事膨張や北朝鮮の核開発に、目を閉ざしているのだからムベなるかな。

血の粛清を好む中国を敵に回す恐怖心と闘いながら決起した台湾や香港の若者は「お気楽デモ」を見たら仰天するに違いない。…中略…
台湾・香港の若者は中国に利用されるのを恐れ立ち上がった。
片や、SEALDsの構成員が「野党や大人に利用されてはいない。自発的運動だ」と信じているのなら、それこそが「利用されている」証ではないか。

「反権力ごっこ」にうっとり、自己陶酔していると将来、ロクな大人にはなるまい。
デモの主力=中高年をじっくり観察・分析してみてはいかが…(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS)

これ以前の重要な「産経新聞記事」もついでに載せておく。

■「安保反対デモはヘイトスピーチ」産経ニュース2015年7月29日

(当時の連日盛り上がりをみせている安保法制反対デモについて)

「安倍は辞めろ!」と声を張り上げ、野党党首も参戦した。
多くのマスコミは「民意の巨大なうねり」などと好意的に報じたが、実態は安倍晋三首相に対する暴言も目立つ「反政府集会」の様相を呈していた。
「戦争したがる総理はヤメロ! 戦争したがる総理はイラナイ!」
「勝手に決めるな、屁理屈言うな!」
「なんか自民党 感じ悪いよね!」
衆院の特別委員会で安保関連法案が可決され、本会議での採決を翌日に控えた15日。
シュプレヒコールが国会周辺に響いた。
倫理的に問題のある「ヘイトスピーチ」といって過言ではない。

(参考)「国会周辺デモはテロと同じ」

(ブログのコメント)
どういうこと?「戦争したがる総理はヤメロ」が暴言? これが倫理的に問題のある「ヘイトスピーチ」?


この日の集会は、マスコミにより、おおむね好意的に報じられた。
そうした報道からは「善良な一般市民がその正義感から、横暴な安倍政権の抗議に集まった」との印象を受ける。
だが、デモ集会が異様な雰囲気であることはその場にいればわかる。
行き過ぎた演説やシュプレヒコールは、逆に「善良な一般市民」をデモから遠ざけるだろう。
←こういう本当の事も少し織り混ぜるのが洗脳の常套手段!


(ブログのコメント)

「総理やめろ!」も「勝手に決めるな!」も、さして厳しくもない単なる政権批判に過ぎずヘイトスピーチではない。
ヘイトスピーチを政府は(国連に言われて)取り締まるようにした。
産経新聞は「ヘイトスピーチ」という語の国民が抱くネガティブなイメージだけはチャッカリ利用して、安保法制反対デモの批判に用いているのだ。
仮に、もっと過激・強烈な表現が使われたとしても、それが、為政者(権力者)に向けられたものであれば、受忍されてしかるべきなのだ。
なぜならば、為政者に対して自由に批判できることが、民主主義国家としての絶対条件だからである。
実際、過去に裁判所は“首相などの公人中の公人と言える人物に関しては、厳しい批判や揶揄も「受忍すべき」”という判断をハッキリと下している。
デモで挙げられるシュプレヒコール(総理やめろ!戦争法を勝手に決めるな!)が口汚いヘイトスピーチだとして批判もできない取締対象となれば、それこそ産経が忌み嫌う、北朝鮮や中国のような言論統制国家になってしまう。
いくら産経が安倍政権の御用メディアだとしても、さすがにこの記事はトンデモ過ぎると言わざるをえない。


もう一つ、

■産経とフジが「デモ参加者は一般市民でない」「特定政党支持者」との世論調査発表

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が12日・13日(2015/9/12・13)に実施した合同世論調査で「安保法案に反対する集会やデモ」に関してアンケートをとったところ、
「最近注目を集める反対集会だが、今回の調査からは、『一般市民による』というよりも『特定政党の支持層による』集会という実像が浮かび上がった。」


(ブログのコメント)

この記事に、ネトウヨたちは大喜び。
「やっぱりあいつらは共産党だった」「反日政党支持者がデモを起こしている」などというコメントを拡散させている。

上の記事の根拠は安保関連法案反対のデモに参加している人に聞いたら、共産、社民、民主、生活各党など廃案を訴える政党の支持者が7割を超えたから、というもの。
マスコミの世論調査で普通に野党の名を答えただけで「一般市民」じゃなくなるのか?という疑問もさることながら、それ以前に、安保法案反対デモの参加者が、安保法案に反対している政党を支持するのは当たり前の話ではないか!

フジ・サンケイグループはデモに参加しているのは「特定政党を支持する活動家」という様な「デマ」に誘導しているだけなのだ。

更に産経新聞はアンケートでデモに参加したことがあると答えた人は60代以上の「60年安保」「70年安保」を経験した老人が圧倒的に多く、安保法制反対集会へ参加したことがない人は96.6%で、このうち今後とも参加したいと思わない人は79.3%だった、とデモを矮小化して報道している。

だが、どれだけ安倍政権の御用メディアが詐術を使ってマイナス情報を喧伝しても、デモの具体的な映像を見れば、デモに老若男女、あらゆる世代が参加し、多くの人が特定の党派と関係なく集まっていることはすぐにわかるだろう。そして、何より、国民の大多数が戦争法案の廃案を望んでいることも、各種の世論調査を見れば明らかだ。


以上が、日本を代表する五大全国紙の一つで海外から極右新聞と評されている産経新聞の「デモ」に関する記事と、それに対するブログのコメントである。

今日書こうと思ったのは、ここからの話。

国家権力によるデモに対する国民弾圧(デモ規制・国民統制)のことだ。

下の3枚の写真を見て欲しい。










元々、警察(警官)が出動するのは、届け出て許可されたデモ行進は車道を使用できるので、デモの間、車(交通)を規制し、デモ参加者の安全を確保するのが主な役目なのだ。

マラソンのコースを警官隊がその時間確保し交通規制しているように。

写真に写っている国会前の数百メートルの道は、ある一定時間車の通行禁止にしても全く問題ない箇所だ。
つまり、警察が状況に応じて自己判断で交通規制(他の道への誘導)が出来るのである。
だから、①の様に、デモ参加者がバリケードを倒して車道に侵入したからといって問題にするようなことではない。
写真で見ても分かる様に、この方が②③の状態よりもデモ参加者の安全が確保される気がする。
勿論、デモへの警察官投入はデモ隊が暴徒化し国会乱入等に備える為の備えの意味もあるが、今の政党色のない、老弱男女・子供や赤ちゃん連れの主婦・家族連れ等のデモ参加を写真で見ると、今のデモが暴徒化する危険性は少ない。

私は、現場を見ていないのでデモ隊が倒して車道に乱入したというバリケードは、

こんなのかな?

何れにせよ、こんなデモ規制では役に立たない、と考えた国家権力は警察に対し規制強化を実行させた。

それが、②の写真。しかし、それでも、写真の様に、警察車両の隙間を縫ってデモ隊が車道に「乱入」。(しかし、こんな警察車両の中を車が通行しようと思うか? 私だったら絶対避けるね。)

そこで、1ヶ月後のデモ③では警察車両をビッシリ詰めて、人(デモ参加者)が通り抜けられない(車道に出られない)様にした。

これは、デモ規制であり、デモ参加者が少なくなった様に国民に思わせる効果もある。

③の時、車道に乱入した?デモ参加者は道路交通法違反で逮捕され、数日間勾留された。

こんなことを書くと「デモには参加したくない。クワバラ・クワバラ」と思ってしまうかもしれないが、国家権力の国民統制は、小型トラックの上で許可された街頭デモ演説をやっていた人を国家権力はその小型トラックが動き出した途端に、待ってましたとばかり、道交法違反(荷台に人を乗せて走ってはいけない)で逮捕した。
又、当時首相だった麻生邸を見に行こうとネットで呼びかけた3人はその前に警察官と話をしており「許可されたデモではないので歩道を歩いて下さい」との注意を受けていた。30人ほどが集まり、「それじゃ行きますよ」と声を掛けてスクランブル交差点(勿論歩道信号青になり)に入った途端に「公妨だ」「公妨だ」との掛け声と共に公安警察に取り押さえられ10数日間にわたって拘留された。(公妨=公務執行妨害のこと)

この様に、国家権力の横暴は日増しにその度合いを深めている。

よく出てくる、ナチスドイツ時代の牧師さんの話。

ナチスは共産主義者・社会主義者を弾圧してきた。

でも私は共産主義者・社会主義者でなかったので何の行動も起こさなかった。

つぎに、ナチスはユダヤ人を迫害してきた。

でも私はユダヤ人ではなかったので私には関係ないと思っていた。

さらにナチスは学生・労働組合・報道機関等に弾圧を加えてきたが、私はそれでも行動しなかった。

そして最後にナチスは教会を弾圧してきた。

私は牧師だったので抵抗し立ち上がったが、その時は遅かった。

すべてが遅すぎたのだ。


ここで、安倍首相がゴールデン・ウィークに訪英した時に起こった英国でのデモについて載せておこうと思ったのだが、コピペして取っておいた記事が見当たらない。
警官とデモ隊の和気あいあいとした会話を載せておこうと思ったのだが・・・、日本のデモ隊と警察官の関係と大違い、なのだ。

見当たらなかったので残念ながら、今日はここでオシマイとします。

またね。