ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

場。

2006年09月01日 19時16分53秒 | 人づくり・場づくり
気が付いたらもう9月。早い...。

地域日本語活動って外国人にターゲットがおかれる。活動形態が教えること中心だろうとおしゃべり中心だろうと、そこで外国人が何を得るかということに焦点が置かれる。

でも、本当にそれって多文化共生なんかなって思う。このあいだミーティングで「場のポテンシャルが大事」というコメントをした人がいたんだけど、じわじわきてます。何を教えるか、何を話すか、そこで個々人がどう変わったかということも、もちろん大事なんだろうけど。そこの場が全体として、どういう変化の可能性や利用の可能性、外国人にとっても日本人にとっても学びとなる可能性を持っているかということが大事なんだろうな。

今日も新しく9月にスタートする事業の話をしてて、つくづく感じました。細かい部分しか見ていないと場が硬直して何も新しいものが生まれなくなるしね。

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2 コメント

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Unknown (しんじ)
2006-09-08 22:00:20
言語教育って教師とネイティブの立場が、ボランティアだとそれに無償でしていると言う事で恩着せがましくなる事が多いのかもしれませんねえ、、、最近は学習者側より、教師側の意識改革の方が大切なような気がしてきました。
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Unknown (やまきゅう。)
2006-09-10 21:58:38
教師側の意識改革が必要というのはすごく同感です。日本語教師やボランティアの現場では教師側もいろいろ学べるという話がよく出ると思うんですけど。よくよく聞くと、相手の食生活であったり、文化の違いを知るということが大半なような気がします。でも、そうやって違いを知る時って学ぶ「もの」を対象化してて、本当に多文化共生だったり、相手とコミュニケーションしていく中で学ぶということとは違うような気がします。知るだけでは自分が学ぶ必要はないわけだし。



知るって学ぶとは違うんだろうなぁ。
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