宮地尚子さんの『トラウマの医療人類学』の中から。
「不在によって存在にあり方があぶりだされる、ということがある。本来そこにあるはずのものが、そこに見当たらないことほど、雄弁に存在のありようを示す方法はない。けれども、そこに何かがあるはずだということに気付かない人たちの中では、その不在はまったくの無に帰されてしまう。そこには新たな暴力が発生する。この暴力はあふれすぎるほどあふれている。その暴力が蔓延することを、今か今かと待っている人たちもいる。存在を不在に追いやり、自分たちの罪をも存在から不在に追いやりたい人たち。アーレントの言う「忘却の穴」は確実にある。」
「質問は難しい。ポジティブなことを聞こうとすると、まるで傷の深さをわかってないようだし、かといってつらかったことや苦しかったことを聞けば、傷を逆なでするような気がしてしまう。どちらにしろ、長い前置きで質問を正当化したくなってしまう。」
主張すること、説明することが大事なのは分かるし、それを良しとする風潮も確かに理解できなくはないんだけど。それだけではないということやんね。
「不在によって存在にあり方があぶりだされる、ということがある。本来そこにあるはずのものが、そこに見当たらないことほど、雄弁に存在のありようを示す方法はない。けれども、そこに何かがあるはずだということに気付かない人たちの中では、その不在はまったくの無に帰されてしまう。そこには新たな暴力が発生する。この暴力はあふれすぎるほどあふれている。その暴力が蔓延することを、今か今かと待っている人たちもいる。存在を不在に追いやり、自分たちの罪をも存在から不在に追いやりたい人たち。アーレントの言う「忘却の穴」は確実にある。」
「質問は難しい。ポジティブなことを聞こうとすると、まるで傷の深さをわかってないようだし、かといってつらかったことや苦しかったことを聞けば、傷を逆なでするような気がしてしまう。どちらにしろ、長い前置きで質問を正当化したくなってしまう。」
主張すること、説明することが大事なのは分かるし、それを良しとする風潮も確かに理解できなくはないんだけど。それだけではないということやんね。
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