ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

抜き書き 〜パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む

2018年05月01日 09時07分08秒 | 
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…抑圧し、搾取し、虐げる人びとは、力をもっているからといって、抑圧された人びとを、そして自分自身を、解放できるわけではない。被抑圧者の無力さから生まれでる力だけが、両者をともに解放するに足る強さをもちうるのだ。

…先に指摘したように、このような希求を抱くこと、それに即応する姿勢をとることそれ自体が、当時の社会秩序を突き崩す『行動』として機能していったのである
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「パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を読む」里見実、太郎次郎エディタス社

・自分の中にうまくいくから…生きづらいから…便利だから…ということで宿している日本社会によって、自分らしさを押し込めて苦しくなったりしているのであれば、そこに気が付くことが第一歩ということかな。それは日本人もそうじゃない人も一緒。自分もそうやな。
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