ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

ぼく。

2006年10月30日 02時04分26秒 | もろもろのこと
先週から新聞を二紙取り始めた。読んでるとすごく面白い。取り上げる記事が違うというのがあるし、取り上げ方ももちろん違う。

最近ぼくが目にする研究では、構築主義的な観点から言説がどのように構築されるかというプロダクトあるいはプロダクトの過程に視点が置かれることがわりと多いのかなという気がするんだけど。最近、過程も興味があるけど、プロダクトの視点にすごく興味がある。ある視点からものが書かれるからこそ、逆にプロダクトされなかったものがあるわけで。こういうのってnew ethnographyの領域においては結構議論されてるのかな。

ま、それはさておき、視点の違いを出してくると、完全な相対主義になってしまいそうな気がするけど。事実がどうかなんて分からないし、視点が無数にとり方があるように事実の捉え方も無数にあるはず。おそらく事実という概念そのものに対する態度を保留する戦略なんだろうと思うし、そんなことは結論が出ないんだろうなという気がする。むしろ、じっくりと見ないといけないのはどうしてその視点が取られたのかというところなんだろうな。

そうなると何日か前のブログでも取り上げたけど、やっぱり杉原達雄の一言が気になる。

「ここでおさえておくべきは、植民地支配の結果として故郷を離れることを余儀なくされるという『客観的な背景』が、島を出ようとする人々の主観にあっては、所得や文明なるものを求めてという形での『主観的選択』として表出せざるを得ないという落差の構造である。その意味をこそ、掘り下げねばならないであろう」

こういったことを考えると、結局、実践にしても研究にしても自分のよってたつ立場、自分をじっくりと振り返らないとだめなんだなということを痛感する。ぼくはどこのどいつ何やろな...。改めて振り返るとするか。
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