ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

会議での発言 〜セーフティネットと人材の間〜

2018年02月08日 20時46分45秒 | 外国人支援
今日、参加した会議で外国人の日本語教育について、セーフティネットだけでなく、ステップアップのための日本語教育、階層間移動を実現するための日本語教育が必要だろうし、人材登用、人材育成としての観点が大事なのではないかという話が出て。

セーフティネットのための日本語教育はある程度理解が得られる、人材育成、人材登用と促進するための日本語教育については、多様な人材が社会や地域を活性化する、ダイバーシティやインターカルチュラルシティの観点からのストーリー、ロジックを広げていくことで、より理解を得られるのではないか…といった趣旨の発言をしたんだけど。

ふと思う。

人がよりよい生活を求めて、幸せを求めて、ステップアップを望むときに、それを「社会に役に立つか」「社会に貢献するか」といったロジックがないと理解が得られないなんて、何か変やな。

極端な話、セーフティネットの次には役に立つかどうかがはっきりせんと、社会はあなたたちをサポートすることはできないと言っているようなもんで。何か自分の言っていることは「違う」と言うか、何かにすでに絡めとられているような気がした。

思い出したのは、生活保護を受けている世帯の子どもが大学進学するのに関してなされていた議論。
構造的にはそれに似ているのかもしれないって思った。


日本語教育について、セーフティネット以上の部分については、使える社会資源も限られる。


飛んでしまっている間のつなぐこと、それは極めて当たり前のふつうの話だということ、それを感覚としてだけでなく、より説得力のあるストーリーでつないでいけるようにならないとあかんのやろうな。


セーフティネットと人材の間にある普通の希望や幸せ。それを抜かす自分は嫌やなって思った。
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