ふんでノート ~ちいきづくり・まちづくりと日本語教育

ちいきづくり・まちづくりと日本語教育をつなぐことを,「場づくり・人づくり」から進めていきたいと思ってつらつら書くノート

活動と場

2008年02月15日 23時42分12秒 | 人づくり・場づくり
最近思うこと。活動を作るのか、場を作るのか。どっちが絶対的にいいというわけではないけど、両方を使い分けることで人が生きたり死んだりするんやろうなぁと。日本語の教室であろうと、地域の日本語活動であろうと、町づくりであろうといっしょかなって思う。
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周り

2008年02月05日 12時02分38秒 | 人づくり・場づくり
先週の土曜日の語りについて考えたこと。

その人は6歳で来日し、さまざまな苦悩や葛藤を抱えて12歳で一人帰国した。学校で経験した苦しさや辛さ、周りから受けた「受け入れられないという態度」は確かに大変だったということは伝わった。子どものころのことだったので、忘れたこともたくさんあると言うけど。

でも、その日の淡々として軽快な語りからはどうしてもその時の苦悩や葛藤の中心に迫れないと感じた。言葉に出てこないこと、そこにどう思いを馳せるか、そして周りが決して立ち入ることはできないけど、でも、吸い寄せられるような闇に思いを馳せることは大事なんだろうなと思う。

ふと思い出したのは、ある研修生との会話。同僚のこと、仕事のこと、休みの日のこと、いろいろ楽しそうに話をしてくれるけど、仕事の話が中心になりだすと、ぱたと会話が止まり、急に話題が他のことへと移る。そこに何かあるんやろうなと思うけれども、絶対に触れず、会話はその周りをぐるぐる回るばかり。

信頼関係ということもあるかもしれないけど。でも、語ってしまった瞬間にそれは闇であったことが闇でなくなり、急に扱いやすいものに変質してしまうんじゃないだろうか。

だから知ることはできないというのは無責任のような気がするけど。でも、本質的にその立場に立つことはできないということ、同一化はできないということを頭に入れておくのは大事な気がする。

多文化共生、地域づくり、日本語支援、学習支援、いずれについて論じるときもそうかなと思う。それを受け止めた上でどうするかという話があってもええのかなと思った。
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セミナー

2008年02月03日 14時34分02秒 | 人づくり・場づくり
昨日、セミナーがあったんだけど。講師が話をするだけでなく、交流会でもそれぞれが聞きたいことを聞き、思いを語り、ほんまにええ場でした。ただ単に何かを批判するではなく、自分の歴史、出会い、思いを本当にぶつけてくれているというのが、じんじん伝わってくる集まりでした。講師の歩んできた歴史から始まり、いろいろ社会的な問題へのコメントもあり。

格差社会は今、日本人の間で大問題であるかのようにいわれているが、外国人のあいだではワーキングプアや格差社会はすでに何十年も前からあったこと。今、初めて問題であるかのように取り上げられることの意味を取り上げないといけない。子どもたちの学力問題が叫ばれているが、学力問題とは福祉の問題であるという指摘。なぜ、中国が今、ぎょうざの件でこれほどまでに取り上げられるのか。日本は近代の歴史の中で初めて自分たちと対等になろうとしている、あるいは追い抜こうとしている国と直面していること、これまでのアジア観が非常に貧しかったこと。子どもたちへの教育は単に居場所、逃げ場だけでなく、それにプラスして自分たちの置かれている状況を他者に根気づよく説明できるようになることが大事だということ、単に自分たちの生まれた状況を運命として受け止めるだけでなく、それがどういった社会的・歴史的背景の中で生まれたのか知ること、また、そのことにより人としての尊厳を持つこと、「教育はイデオロギーから自由にはなれないが、自由であろうと努力をすることは必要だ」という言葉。権利の調整などは対等な立場におかれているときは意味を持つが、対等でない場合は徹底して権利を侵害されている人の立場に立つこと...などなど。

根性論、精神論ではなく、思いがないと何もできないということを感じた。今までいろんな人の話を聞いてきたけど、昨日が一番心を動かされたかも。良かった。

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学びの『場』

2008年02月01日 21時23分40秒 | 人づくり・場づくり
エンパワメントって人が内に秘めている・あるいはそがれている力を取り戻すこと。それには体の構えがすごく関係する。場がどのような類いの「体の構え」を強いるのかということも大きく関係する。表情もことばも人との関わりも予定調和的に枠に押し込められる中では、どうやってもそこから出られなかったり、そこから出るためには一大決心が必要だったりするわけだけど。

うまく場が作れれば、体もこころも表情もほぐされ、ことばも人との関わりも変わるんだなぁということを感じた。そこで初めて個が現れて、出会いが生まれると思った。

今日は、まだがちがちになってない小学生と受験を否が応にでも意識せざるを得ない中学生の出会いがあったわけやけど、中学生はいつもの枠から解放され、小学生は何年か後の自分たちの姿を中学生に見、おとなはおとなで子どもらのそういった姿に刺激を受け、可能性を感じ、改めて自分たちが子どもたちに用意してた枠の是非を問う。誰が誰から学ぶというわけでもなく、それぞれがそれぞれに何かを持って帰る「学びの場」ってええなと思った。

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バトン

2008年02月01日 21時00分15秒 | 人づくり・場づくり
今日は中学生の発表の日。...って何の発表かというと、総合の時間で自分たちが学んできたことを小学生に伝える日。

これは去年の暮れに近くの高校生が自分たちの学んできたことを中学生に伝えるというプログラムがあったんだけど。それに刺激を受けて、今度は中学生が総合の時間に自分たちが学んだことを小学生に伝えようというプログラム。基本的に学びって「知識や情報を受け取ること、吸収すること」とされるけど、それだけでなく自分が発信する側に回ろうというもの。

国際教育の流れでテーマが設定されたので、なかなか難しいものもあり。ぼくらは急きょ助っ人ということで「識字と学校」というテーマで勉強する子らのグループに入ったんだけど。ワークショップや作文や話をとおして、概略だけでなく、これまで出会ったこともなかった世界が身近なところにあるということを知ること、非識字の問題って遠い世界のかわいそうな話ではなく、自分たちの身近にあって、すでに出会ったりすれ違ってるかもしれないテーマかもしれないということを知るように。で、もって、僕は当事者じゃないけど、当事者と出会ったり関わってきたりした中で考えたり、感じたことをそのままに伝えること。少しでも実感を持てるようにということを意識してやってきたんだけど、途中、手応えがいまいちなことも多々あり(苦笑)。どうなるかと思ってたんやけど。

今日は正直、びっくりした。やるやんって。中学生がクイズをして場をあたためた後、中学生はペア、小学生はグループになり、写真を使いながら対話形式で小学生に説明したり(その時の表情が自信もあり、責任感もあり、楽しさもありといった感じでなんともいえんかった。小学生も興味津々って感じで体を乗り出して参加してたもんな)。最後はワークショップ。めっちゃ簡単な識字のワークショップやけど、やりよったなぁ。ワークショップに参加経験のある中学生は知ってるけど、ワークショップをやった中学生って。

最後、多少時間が余ってしまったけど、それはご愛嬌。

高校生、先生、ぼくらのような外部の人間、直接出会うことはできなかったけど学校に行くことができなかった・できない人、いろんな人から受け継いだバトンを次へ託す...まで言ったらおおげさやけど、何かをつないだんちゃうかな。世代や年は違うかもしれんけど、同じ地域に暮らす人たちが、こんな形で出会ったんはうれしかった。

休日返上で働いたかいがあったな(笑)


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フェーズ

2008年01月30日 20時57分31秒 | 人づくり・場づくり
今日も、また中学校へ。あと、今日を入れて2回行けば、終わり。最後は小学生に自分たちが勉強したことを発表して終わり。これまで「学ぶ」ってどちらかというと吸収する、獲得するという形で語られることが多かったけど、今回のプログラムはそうやって自分たちが得たものを人に伝わるようにいかに発信するかということ。楽しみ。

しかも、発信って人に伝えるだけでなく、そこで初めて知識が自分のものとなり、また、相手のリアクションをとおして練り上げられるってことがおこるもんな。

何を学びとするか、とても難しいけど、いろんなフェーズがあるんだろうな。

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反転。

2008年01月29日 12時08分22秒 | 人づくり・場づくり
その翌日。

前日に引き続き里見さんが今度はワークショップを実施。しかも、対象はごっちゃまぜ。普段,活動しているラテンの親、中国の親、フィリピンの男性やインドの女性、それとボランティア。

体をほぐし、開くワークショップの後、体を使って何かを表現したり、「言葉(ができるかできないか)」がキーにならないワークショップをいくつか。おもしろいのは、いつもはなんやかんや言って、中心になってる人がサポートの側に回ったり、逆にいつもは静かな人が中心的な存在になったり、いつもは見られないような人同士の会話が始まったりと。

場をかき回すだけなら、簡単かもしれないけど、場をかき回して、そこに新しい人と人のつながりや信頼感を生み出すのは、本当にすごいと思った。逆転とも違う、反転する学び、こういうことなのかな、
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対立構造

2008年01月24日 20時11分21秒 | 人づくり・場づくり
今日は朝、ボランティアと来週の会議と活動の進め方の打ち合わせ。こんなんもできる、あんなんもできると盛り上がって、結構楽しい時間に。cocoroom、philocafeなどなど、本当につながるところまでもうちょいって感じ。うまくいくつか活動がスタートするとええな。

昼からは会議。会社とのつながり作りはなかなか進まないけど、それでもひょこっとチャンスがたまに顔を出すので、おもしろい。...なかなか、うまくつかみきれないことも多いんやけどね。多文化共生を担う主体を地域でどれだけ増やすか、またどれだけ有機的につなぐか。生き物みたいでつかみどころがないけど、だからこそ、おもろいのかな。

それが終わってから、あるグループにちょっとしたアンケートの依頼に。でも、一気に対立構造ができそうな雰囲気に。市民活動に関わって思うことやけど、対立構造って作ってしまったら終わりやなぁと。これまでの付き合いが長いだけに、何も起こらずにすんだけど(苦笑)。もちろん、時と場合によっては、そういう構図に持ち込まざるを得ないこともあるんやけど、できればお互いに実がとれる構図を作りたいなと。

ゆっくり席に座ってる時間、ほとんどなかったけど、おもろかった。
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ぼちぼちと。

2008年01月19日 23時33分36秒 | 人づくり・場づくり
さっき天気予報を見てたけど、明日夕方から雪が降るらしい。大阪でもこのあいだちらほらと雪が舞ったけど。明日も寒いんやろうなぁ。

今日は午後から隣の市のボランティアのミーティングに参加。活動を作り上げるって本当に難しいなぁということを実感。別になにか悪いわけでもないんだけど。活動が周りに認知され、人が集うようになり、また社会の中での位置づけを意識した上で働きかけができるようになるまでは、やっぱり3年くらいかかるのかな。その活動だけががんばってできるようなものではなく、周りとのつながりや関係ができるまで時間がかかるもんね。うまく軌道に乗せるために、最初にやっぱり1年くらい下準備、下調べも欲しいところやもんな。

それに一番大事な人が育つのに、すごく時間がかかるもんな。こういう市民活動って知識とか情報だけで成り立つものではなく、そういった知識が身体化されて初めて社会的な意味を持つようになる気がする。

それを考えたら、今日の活動は始まって1年経ってないけど、ええんやろうな。もちろん、全てが順調に来たわけではないけど。

なんてことを考えながら、ちゃりんここいで帰ってきました。今日はほんまに寒かった。
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「日本語」の恐さ

2008年01月18日 21時22分10秒 | 人づくり・場づくり
今日、会った人は来日5年。3年前に子どもが日本で生まれて。で、日本語は全然分からない。友だちもほとんどいないらしい。夫も一緒にいて、夫はわりと日本語ができるんだけど。大変やったろうなと思う。夫が店を経営しているので、そこでずっと一生懸命店を手伝い、子どもも一生懸命育ててきたとのこと。

この間政府が検討していた「日本語力」でビザの更新や入国に条件を加えるというのはラテンの日系人を考慮に入れてるのは分かるけど。今日、出会った人たちにも課せられるんやろうか。日本語のできるできないだけで、家族がばらばらになったり、望まない帰国を強制されたり。そうならないように必死に日本語を勉強したり。

う~ん。考えてしまう。
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中学校

2008年01月15日 21時18分59秒 | 人づくり・場づくり
今日は午後から出勤。で、ちょっと作業してから大阪、南にある中学校へ。自分の職場で試んでいることで貴重な駄目出し(苦笑)をいくつか受ける。ボトムアップ、現場から積み上げることの重要性は分かってても、やっぱり現場を持っていないと視点がずれてくるんだなぁと痛感する。特に学校は閉鎖的なので、そこと一緒に仕事をするってどういうことかいろいろ説教を受ける。めっちゃ勉強になりました。

中学校って3年間しかなく、しかも授業の内容も高度になり、抽象度もぐんぐん増す。外国にルーツを持つ子どもが、これを生き延びて高校へ進学するのは本当に至難の技だなと思う。年少者の日本語教育って小学生を対象にしているケースが多いような印象を受けるんだけど、中学って本当に大事だと思う。ここをどう過ごすかによって将来が大きくかわってくるもんな。ただ、日本人の子どもでも学力の差がぐんぐん出てくる時期なので、少しくらい成績が悪くても、そのままにされてしまうことも多いらしい。差が出て当然といって感じなんやろか。

よくよく考えたら、明日も中学校で識字の授業の見学。一応、プランをたてただけに、うまくいくかどうかがすごく楽しみ。ま、明日はとりあえずウォーミングアップという感じなので、成功も失敗もあんまりないかなとは思うんだけど。

最近、中学校に入り浸りやね(笑)

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人づくり、場づくり

2008年01月14日 10時28分46秒 | 人づくり・場づくり
昨日はちょこっと寝て。うどん食べて。そしたら頭痛治った。今日は祝日やねんなぁ。何か静か。

そうそう、昨日の続き。最近、活動がええ感じ。多分、その理由の一つにボランティアがあるのかなと。以前は、自分で「こう進めたい」「こういう形を作りたい」というのが強すぎたみたいで、結局、ボランティアが動きにくい部分もあっただろうし、動く気になれないという部分もあったと思う。去年の終わり頃から、任せる、で、任せて終わりではなく、任せるけどきっちり思ったことは話をして、ボランティアも話せるような関係を作ろうということを意識し出したところ...一人一人の関わり方が変わってきたもんな。積極的になってきたと思うし、いろいろと考えてくれてるのが分かる。それぞれが「自分の関わっている活動」という意識を持ち出したのかなと思う。そしたら、よけいに任せる部分を増やそうと思えるし、話も実りあるものになるもんな。

一人一人の意識が変わっていくと、場も変わるし、外国人の集まり方も変わっていく。結果として活動が活気のあるものになっていくな~と。結構、当たり前のこと、普通のことかもしれないけど、それを実感してうれしくなってます。

やっぱり人づくり、場づくりって大事やな。
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識字

2008年01月12日 23時46分41秒 | 人づくり・場づくり
識字についていろいろ調べてる中で、寿生活館のHP、寿識字学級のHPを発見(興味のある人、「ようこそ寿へ」で検索したら、すぐヒットします)。去年、寿に行くときに、HP見てから行けば、もっと話できたかなと。

大沢敏郎さんのインタビューや文章も掲載されてるんだけど、おもしろいです。
「識字の中でいろいろな人に出会っていくわけなんですけれど、その人のからだの中に持っている一番いい部分を、もし皆の前に出してくれるなら識字の意味はある、ということを思いましたね。」
「本当に必死になって自分の体の中からひっぱりだしてくることばを…書きことばになったり話しことばになったりすると思うんですけれど。それを、聞いていくことのできるちからを、僕自身つけていきたい。」
「僕は学校教育を受けてしまっているから、僕の中から学校教育を排除するというのはなかなか難しいけれど、少しずつやりきっていきたいなあということは思っていますね。」

前後の脈絡ない形で書いたので、ぴんとこないかもしれないですけど。

識字に限らず、日本語教育にも通じる部分があるだろうし、学校教育にも通じる部分がたくさんあるんだろうなって思う。
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中学校

2008年01月11日 23時34分06秒 | 人づくり・場づくり
なぜか激疲れ。7時くらいに家に帰ってきたんだけど、とりあえず8時には寝ることに。でも、11時ちょい前に目が覚めた。う~ん、中途半端な感じ。

今日は中学校で先生と話。50分6コマを使って、『学校と識字』というテーマでどう進めていくかの作戦会議。いろいろな人がいる、大変な状況におかれている人がいる、とても可哀想な人がいる。それに比べると自分は幸せなので、もっとがんばらないといけない...という話ではなく。自分が知らなかっただけで、身の回りにも非識字の人たちがたくさんいる、そういった人たちの想いや、その人たちにとっての文字を知ること、とても身近な問題だと感じてもらうこと、自分に何ができるかというところに無理につなげる必要な全然なく。これまでにはなかった視点を持つことができれば、それでいいんちゃうかな、それこそが国際だろうという話に。

「知る」というのと「視点を持つ」というのは違うよな。

とても楽しみ。それにしても中学生って元気よな~。
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学び合い

2008年01月10日 22時44分25秒 | 人づくり・場づくり
北九州の「青春学校」。いろいろ資料を見ているけど、学ぶってどういうことなのか、人の学びに関わるってどういうことなのかということを根本から突き付けられる。すごくシンプルに、学び合いの生まれない教育や学習の場って、「ちゃうんちゃうか?」って。ぼくの住む地域にも、こういう場を作りたいなって、すごく思う。

ただ、流行りの協働学習とは全然違うのは何なんやろ。説明できないけど、直感的に全然違うって思う。何やろか。よく分からんけど、「学び」が全然ちゃうんかな。
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