生きる

一度しかない大切な人生!
自然の中に身をゆだねて、めぐり合ったもの達と、毎日を静かに、楽しく過ごしたい!

李方子さん

2009-10-24 11:15:08 | 日記
今読んでいる「ミン妃暗殺」の主人公ミン妃は1851年に生まれ1895年に暗殺された。丁度日清戦争が終わった年だ。彼女と26代高宗(コジョン)との間に生まれたのが後の27代(大韓帝国皇帝)純宗(スンジョン)でる。この時代は日本帝国が虎視眈々と朝鮮を属国とせんとしていた時代で、これを阻止すべく立ち上がったのがミン妃であった。
一方高宗の側室との間に生まれた英親王に嫁いだのが、旧梨本宮家の長女方子である。彼女は当時昭和天皇の妃の第一候補で、女子学習院に在学中に新聞で自分の結婚を知ったそうである。まさに政略結婚の犠牲者であった。さぞびっくりしショックであったと思う。しかし彼女の偉大さはその後にある。夫は留学の名目で当時人質として、11歳で東京六本木鳥居坂の李王邸に連れてこられていたのだった。この邸で結婚式が執り行われている。
二人は仲むつまじかったとある。
戦後帰国を希望したが、当時の大統領に拒否され、念願かなって帰国したのは夫には56年ぶりであったと言うから67歳になっていたことになる。しかも病に倒れての帰国であった。帰国後韓国政府からの生活費が出ていたそうだが、それも病院代と食費でぎりぎりであった。彼女は七宝焼きを教えたり、作品を販売する事で生活を支えたそうだ。そして知的障害児や肢体不自由児などを収容する施設を開設。韓国に大いに貢献し、韓国の人々から未だに尊敬されているそうだ。日本と韓国の友好に貢献した人物である。
韓国に帰化。1985年4月30日昌徳院で死去。韓国名 イ・パンジャ


彼女の子息は2001年死去。未婚であったので、韓国王朝最後の正統血脈は絶えた。


晩年の方子さん



 昌徳院内の彼女の終の棲家 楽善斎(ナクソンジェ)



 彼女の居室


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