↓の続き。
今日は次のように連絡しまた。
「中学生はまだ全員報告ができていない。今日はできない場合は、全国出場を見合わせる。中学生なので本人の問題ですが、それでも子どもがやらない場合は、保護者が責任を持ってください。」
やらない日もあるだろう。それでもいい。
報告はすること。
報告を忘れることもあるだろう。それでもいい。
100%までは要求していない。
78%で最高が「ユダヤの法則」だから、70%できていればよしとしている。
でも70%もできていない(報告を)拳士がいる。これは、ダメだ。
次の点でダメ。
・長坂が指示をして「毎日報告すること。ひとりでもしない場合は大会には出ない」と決めてある。
・そのことに全員納得した。
・つまり、自分で決めたことになる。
・自分で決めたこと(納得したこと)をしないのはだめだ。
・そして、指導者がそれを許したら指導のボーダーラインをなくすことになる。
全員が報告を行うようになるまで長坂は指導しないと宣言してある。
だから、今日も指導しなかった。拳士たちはこの状況をわかつてきている。だから、きちんとそのことと向かい合おうとしている。それでいい。それができるからファイナリストなのだ。
そして、稽古後に、次のように話だけした。
「成果主義になってはいけない。結果が大切なのではない。
結果だけを追い求めたのが、今のボクシングの亀田家問題だ。
いまやっていること、いままでやってきたことが大会のあとにきみたちの「体と心と頭」に残るんだ。大切なのは、何が残るか。何を残すか。何を残せるか。
ルーティーンワークをやらせるのは、身体をつくって技をうまくすることが目的ではない。技ができていないからさせているのではない。
①なにかを続ける習慣をつけること。
②決めたことはきちんと最後まで行うこと。
それをきみたちに教えたいからだ。それが社会に出たときに必要になるからだ。
大会に勝つこと。それはあまり大したことではない。」
ここというときに、やるべきことをやれる人を育てたい。それが長坂の考え。
今まで、多くの拳士や生徒を見てきて・・法則がある。
・そんなにセンスがないように見えて伸びる人→いわれたことを素直にきちんとこなす。親が「長坂がやれ」と指示したことはきちんとやらせている家。
・ものすごくセンスがあるのに、予想以上に伸びない人→やらない(丁寧にやらない、最後までやらない、チャレンジしない。) 特に、最後までやるが一番キーポイント。
中学生になると本人と自覚がないとなかなかこれを克服できない。これは、長坂の指導責任でもある。
小学生のうちは、親の導きと指導者の導きで「やる拳士」を育てることができる。
幸い、いまの小学生はきちんとやる拳士が多い。親の指導の賜物だと思う。そして、大切な時期をいい指導で過ごしたことになる。
親が妥協していい場面とここは譲ってはいけないという場面があるはずだ。
そのたたかいに負けないでほしい。そこが拳士にとっての「山場」なのだ。そこさえ、クリアさせることができれば、あとは気がつけば、自律と自立ができる拳士に育っているはずだ。
それでも「またやらなくなる」かもしれない。しかし、一度山を登りきった人間は自分で軌道修正ややり直しをできるものを身につけているのだ。だから大丈夫。
その団体や組織の「ルール」を守らないならば、その場から立ち去るしかないということを拳士にも教えたい、教えてほしい。
拳士へ、なんでも「△」で許しもらえると思うな。○か×かの厳しい世界がきみたちがおとなになった社会には存在するのだ。若いときは、決して自分を甘やかせるな!
今日は次のように連絡しまた。
「中学生はまだ全員報告ができていない。今日はできない場合は、全国出場を見合わせる。中学生なので本人の問題ですが、それでも子どもがやらない場合は、保護者が責任を持ってください。」
やらない日もあるだろう。それでもいい。
報告はすること。
報告を忘れることもあるだろう。それでもいい。
100%までは要求していない。
78%で最高が「ユダヤの法則」だから、70%できていればよしとしている。
でも70%もできていない(報告を)拳士がいる。これは、ダメだ。
次の点でダメ。
・長坂が指示をして「毎日報告すること。ひとりでもしない場合は大会には出ない」と決めてある。
・そのことに全員納得した。
・つまり、自分で決めたことになる。
・自分で決めたこと(納得したこと)をしないのはだめだ。
・そして、指導者がそれを許したら指導のボーダーラインをなくすことになる。
全員が報告を行うようになるまで長坂は指導しないと宣言してある。
だから、今日も指導しなかった。拳士たちはこの状況をわかつてきている。だから、きちんとそのことと向かい合おうとしている。それでいい。それができるからファイナリストなのだ。
そして、稽古後に、次のように話だけした。
「成果主義になってはいけない。結果が大切なのではない。
結果だけを追い求めたのが、今のボクシングの亀田家問題だ。
いまやっていること、いままでやってきたことが大会のあとにきみたちの「体と心と頭」に残るんだ。大切なのは、何が残るか。何を残すか。何を残せるか。
ルーティーンワークをやらせるのは、身体をつくって技をうまくすることが目的ではない。技ができていないからさせているのではない。
①なにかを続ける習慣をつけること。
②決めたことはきちんと最後まで行うこと。
それをきみたちに教えたいからだ。それが社会に出たときに必要になるからだ。
大会に勝つこと。それはあまり大したことではない。」
ここというときに、やるべきことをやれる人を育てたい。それが長坂の考え。
今まで、多くの拳士や生徒を見てきて・・法則がある。
・そんなにセンスがないように見えて伸びる人→いわれたことを素直にきちんとこなす。親が「長坂がやれ」と指示したことはきちんとやらせている家。
・ものすごくセンスがあるのに、予想以上に伸びない人→やらない(丁寧にやらない、最後までやらない、チャレンジしない。) 特に、最後までやるが一番キーポイント。
中学生になると本人と自覚がないとなかなかこれを克服できない。これは、長坂の指導責任でもある。
小学生のうちは、親の導きと指導者の導きで「やる拳士」を育てることができる。
幸い、いまの小学生はきちんとやる拳士が多い。親の指導の賜物だと思う。そして、大切な時期をいい指導で過ごしたことになる。
親が妥協していい場面とここは譲ってはいけないという場面があるはずだ。
そのたたかいに負けないでほしい。そこが拳士にとっての「山場」なのだ。そこさえ、クリアさせることができれば、あとは気がつけば、自律と自立ができる拳士に育っているはずだ。
それでも「またやらなくなる」かもしれない。しかし、一度山を登りきった人間は自分で軌道修正ややり直しをできるものを身につけているのだ。だから大丈夫。
その団体や組織の「ルール」を守らないならば、その場から立ち去るしかないということを拳士にも教えたい、教えてほしい。
拳士へ、なんでも「△」で許しもらえると思うな。○か×かの厳しい世界がきみたちがおとなになった社会には存在するのだ。若いときは、決して自分を甘やかせるな!