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映画・演劇のレビュー

『魍魎の匣』

2007-12-29 12:18:38 | 映画
 前作『姑獲鳥の夏』は雰囲気ばかりが先行して、内容が全く追いついてこない失敗作だったが、今回は原田眞人を監督に迎え、装いも新たに京極ワールドに取り組んだ。

 全編中国ロケ(上海である)で見せる昭和27年の東京は、うらぶれた風景が独得の雰囲気を漂わせており、そんな不思議な場所を舞台にして、猟奇的な連続殺人(箱の中に腕と足が入っている)の謎を追う京極堂(堤真一)たちの姿が描かれる。

 とても早いテンポが心地よく、どんどん作品世界が広がっていく中で、事件の核心にも近付いていく、という見事な作劇。複数の主人公たちが、それぞれのアプローチでこの事件を追いかけ、複雑に絡み合った迷路のような世界を旅していくことのなる。

 ロケーションとオープンセットの素晴らしさに目を奪われる。独自の世界観がなくてはこのとんでもなく無茶苦茶な世界にリアリティーを与えることは不可能である。原田監督はまず、視覚的に我々観客を虜にした上で、この荒唐無稽なお話に引き込んでいくのだ。ラストで巨大なハコ型の建物がひとつの生命体として機能し、そこでたったひとつの命を作り上げるために、ありとあらゆるものを注ぎ込むマッド・サイエンティストの悲哀を壮大なスペクタクルとして見せ切ってくれる。

 小さな嘘をリアルに描き、それがいくつも積み重ねていくうちに、壮大な嘘が、信じられるようなリアリティーを獲得する。この、映画ならではの超豪華な仕掛けに目を奪われるがいい。これこそがスペクタクル映画である。このまやかしとあやかしの世界を心から堪能して欲しい。「映画でしか表現できない幻想の世界」とはこういう作品のことを言うのだ。これはつまらないSFXと貧困なストーリーが横行するハリウッド映画なんて足元にも及ばない驚異のスペクタクル・ショーである。

 2時間13分はあっと言う間の出来事である。リアルなセットでは表現できないロケーションの見事さ。それをどこまで手を入れたのかと思うくらいにきちんと加工して見せる手間隙のかけかた。これだけ贅沢な娯楽映画が作られたことに、今の日本映画の懐の深さを実感する。

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