
今年2月『大阪マクベス』を作ってしまった岩崎正裕さんと太陽族の新作である。あの作品の後、もっともっと前のめりになり、より攻撃的な芝居を作ることも可能だった。しかし、岩崎さんはここでほんの少し足踏みをする。あわてることはない。彼らはもうベテランであり、長距離ランナーだ。今は立ち止り、視点を変えて芝居と向き合うことも必要だ。いつもいつも全力疾走することはない。ということで、今回の作品である。
今回は、まず新しいスタイルを模索する。泥臭い太陽族が、スタイリッシュでおしゃれな芝居を作ろうとするのだ。タイトルはなんと『S t y l i s h (仮)』である。ここまで、そのまんまで、中身のなさそうなタイトルをよくも平気で付けたものだ。まぁ、岩崎さんのことだから、それはそれで確信犯なのだが。
今回のテーマは、もう橋下徹でも、大阪市や大阪府の文化事業でもない。なんと、漠然と「夏」をテーマとする。青い鳥が『夏の思い出』を作ったように、これは太陽族の『夏の思い出』なのである。だが、エチュードを通して、役者たちに自由な芝居をさせ、そこから掬いあげたもので1本の芝居を作り上げるなんてことは岩崎さんはしない。
自由にイメージを広げるのは岩崎さんだけで、彼の脳内宇宙の冒険を9人の役者たちが体現する。とても個人的な夏の思い出(役者たちがアトピーで、腕を盛んに掻いていたり)のはずが、気付くと(というか、最初から意図的に)さまざまなイメージを内包しやがては戦争の話へとつながっていく。「夏の記憶」というお題が、8・15に集約されていくのは、彼にとっては必然のことなのであろう。そういう括りが出来た時、この芝居は恐れることなくいくつものイメージを持つことが可能になる。雑然と様々な問題をてんこ盛りする。童謡「ふるさと」を主題歌にして。舞台手前上手で、岩崎さんはギターを弾く。
夏の日の出会い、ひと夏の友だち。そこを起点にして、様々なピースを重ね合わせたり、バラバラにしたりすることで、物語を綴るもの、という普段の演劇の呪縛から離れて、イメージの羅列が偶然にも形作るひとりの男の内面のドラマとして帰結する。それは岩崎さん自身でもあり、もっと一般的な存在でもある。
今回は、まず新しいスタイルを模索する。泥臭い太陽族が、スタイリッシュでおしゃれな芝居を作ろうとするのだ。タイトルはなんと『S t y l i s h (仮)』である。ここまで、そのまんまで、中身のなさそうなタイトルをよくも平気で付けたものだ。まぁ、岩崎さんのことだから、それはそれで確信犯なのだが。
今回のテーマは、もう橋下徹でも、大阪市や大阪府の文化事業でもない。なんと、漠然と「夏」をテーマとする。青い鳥が『夏の思い出』を作ったように、これは太陽族の『夏の思い出』なのである。だが、エチュードを通して、役者たちに自由な芝居をさせ、そこから掬いあげたもので1本の芝居を作り上げるなんてことは岩崎さんはしない。
自由にイメージを広げるのは岩崎さんだけで、彼の脳内宇宙の冒険を9人の役者たちが体現する。とても個人的な夏の思い出(役者たちがアトピーで、腕を盛んに掻いていたり)のはずが、気付くと(というか、最初から意図的に)さまざまなイメージを内包しやがては戦争の話へとつながっていく。「夏の記憶」というお題が、8・15に集約されていくのは、彼にとっては必然のことなのであろう。そういう括りが出来た時、この芝居は恐れることなくいくつものイメージを持つことが可能になる。雑然と様々な問題をてんこ盛りする。童謡「ふるさと」を主題歌にして。舞台手前上手で、岩崎さんはギターを弾く。
夏の日の出会い、ひと夏の友だち。そこを起点にして、様々なピースを重ね合わせたり、バラバラにしたりすることで、物語を綴るもの、という普段の演劇の呪縛から離れて、イメージの羅列が偶然にも形作るひとりの男の内面のドラマとして帰結する。それは岩崎さん自身でもあり、もっと一般的な存在でもある。