習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『王の男』

2006-12-12 00:08:11 | 映画
 二人の旅芸人の自由への逃避行が描かれる。自由を求めて、座長まで殺し、逃げ出してきたのに、気付けばまた、元の檻の中に入っている。宮廷に閉じ込められて、身動きがとれない。同じ事の繰り返しだ。どこに行っても本当の自由なんてものはない。
 
 時の権力者である王のもとで、宮廷芸人として取り立てて貰うが、そんなことは幸福でも何でもない。豊かな食事を与えられても綺麗な衣服を与えられても、それが自由ではない。官位まで与えられたからといっても、結局は王の奴隷でしかないからだ。

 芝居を通して権力に盾をつき、王を笑い飛ばした罪で捕らえられ、王の前で王を揶揄する芝居を演じさせられ、王を笑わせることに成功する。ここまでを1本の映画として見せても、充分成立する内容なのだが、当然そんな単純な話ではない。

 ここからが始まりなのである。2人の芸人と王、という図式の中で、この3人のそれぞれの思いが入り乱れていく。何でも可能な王が本当は何一つ自分の望むことが出来ていないという展開は、まぁ想像の範囲内だが、彼の高官たちへの粛清がエスカレートしていく中で、徐々に彼の愚かさと混乱ぶりが見えてくるという構造が面白い。映画は単純な図式やテーマには収まらない。後半に入ると、ますます混沌を極めていく。特に王の狂気と正気の境目の分かりにくさが映画を魅力的にする。2人の芸人たちの愛をホモセクシュアルには持っていかないのもいい。

 自由を希求しても叶わない焦燥。そんな中で、芸を見せることの充実感の中にしか本当の自由はないことを悟っていくラストシーンの美しさ。

 決して超大作ではないのに、韓国で1000万を超える動員を記録したのは、この圧倒的なスケールの人間ドラマが、人間の生の肉体と魂のぶつかり合いから生じるスペクタクルを見事に見せてくれるからだろう。映画ならではのダイナミズムはペラペラのCGでは生まれない。韓国映画の底力は、こういう頭で作るのではなく力で捩じ伏せてしまうような映画を作れるところにある。

 

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