
これはダメだ。見ていてこの手の映画の一番ダメな側面ばかりが目についた。安易にこの手の青春映画を作ってはいけない、とそんなことを思う。安上がりでそれなりに集客できるのかもしれないけど、簡単そうに見えてこれは難しい。同じ福本莉子が主演している『今夜、世界からこの恋が消えても』との落差は一目瞭然だ。もちろん三木作品の足元にも及ばない。
これは今年の2月に劇場公開された映画なのだが、もう配信で見れる。地味でブレイクしないのではないかと思われた福本莉子がこの夏三木映画に主演して注目されているが、これはその直前の作品だ。彼女にとっては「セカコイ」(というらしい)に向けてのウォーミングアップになったのかもしれないが、無残な映画である。
Yuki Saito監督は『古都』を見ているが、あれもまたかなりヤバい映画だった。川端康成の世界を現代によみがえらせていない。じゃぁ、なんのために映画化したのか、まるでわからない。今回も作者の意図がまるで見えてこない作品なのだ。これがただのティーン向けの甘いだけの安易な青春映画として企画されていたとしても、監督は(自分だけは、)これをする意味を持って挑んで欲しい。廣木隆一監督やもちろん三木孝浩監督作品を見れば一目瞭然であろう。
何度も同じ1日を繰り返す。恋人の死で終わるそんな1日をなんとかして回避しようとする少女。でも、どうしても避けられない。同じ日がなんと3度繰り返される。ふつうならそこをいかにスリリングに見せるかが腕の見せ所だ。この手垢についた設定をどうすれば新鮮に見せることができるのか、そこが監督の力量なのだが、ここまで無策なまま、終わらせるなんて唖然とする。たった1日。そのループの中で彼女がどう立ち向かうのか、そこも無策。これでは自分に与えられた1日を大切にしよう、なんていうメッセージすら嘘くさくなる。まるで努力してないやん、で終わる。嘘くさい演技も鼻につく。見ていてありえない、と何度思ったことか。高校生活を描く上でせめて細部の描写はリアルに描かなくては大筋の嘘を許せないのだ。なのに、安易なある種のパターンに収めて、まるで企業努力をしていない。
ラストクレジットを見て驚愕する。なんとそこには「三木孝浩と月岡翔」の名前が。協力とか何とかというような感じで。そんな「なんだかなぁ、」という曖昧な名目で。ふたりはどこでどうこの作品とかかわったのだろうか。謎。彼らのアドバイスは生かせなかったのか、生かさなかったのか。
老け顔の男子高校生たちが主役級で登場するのも、なんだかなぁ、と思う。冒頭の主人公の2人のシーンや、その後のわざとらしいセリフを吐く本編のお話に入ってから最初の登校風景からうんざりした。今この手の映画を作るのなら、それなりの仕掛けが必要だ。もう観客はこの手のパターンには飽きている。それでも作る覚悟がなくては、こんな無残なことになる。