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映画・演劇のレビュー

『一年之初』

2009-09-23 19:00:13 | 映画
 チェン・ヨウチェ(鄭有傑)監督の長編映画デビュー作。偶然だが、この10月から東京では劇場公開もされるらしい。台湾土産でうちの嫁さんが買ってきたDVDを時間を見つけてずっと見てきたが 、実におもしろい映画ばかりで、あと少しで終わるのが残念だ。ここ1,2年に台湾で公開された映画で日本では未公開映画ばかりをリストアップして購入してきたのだが、けっこうどんどん日本でも公開されていくのに驚く。この見知らぬ若い監督の世界にいささか戸惑う。悪い映画ではない。だが、果たしてこれでいいのか。かなり微妙だ。 それにしても、これなんか06年作品なのに、今年の東京国際映画祭でも上映されたようだ。なんで今頃?

 映画自体は、なんとも不思議な映画で、摑みどころがない。パッケージには「岩井俊二と北野武を融合してなんたらかんたら」って書かれてある。(中国語なので詳しくはわからない。だいたい映画自体も、全部日本語字幕なしで見てるから中国語字幕に頼らざる得ない。しかもこれがまた、日本にはない漢字ばかりなので、よくわからないし。)でも、なんとなくわずかにわかる漢字と状況から、内容を想像しながら見ていくのにも慣れてきた。映画は字幕がわからなくても、それなりにはわかるものだ。(まぁ、それも映画の種類にもよるのだが)

 5つの話が交錯する。ばらばらの話が最後にはひとつに重なる。タイトル通りに1年の初めの24時間(12月31日から描かれるので、1月1日前後の24時間だが)がさまざまな人たちのドラマとして、オムニバススタイルで描かれていく。だが、それらは微妙に重なり合うことになる。現実とも空想ともとれる不思議なタッチで、ばらばらで、時間軸も前後し、混沌とした断片としてそれらは提示される。しかもまとまりがない。

 感覚的な映画だからこれでいいのだ、と言われれば納得するしかないが、ちょっと我がままで、ひとりよがりな映画だ。言葉がわからないから余計に混乱するのかもしれないが、それにしてもこれでは全体の整合性はないと言わざる得ない。夢幻的な映像で魅了するのが、ねらいだろうが、主人公の映画監督の視点から全体をまとめた方がすっきりしたのではないか。視点のぶれはこれも作者の狙いだろうが、幻惑的ということで納得するにはちょっと芸がなさすぎる。

 どこまでが現実でどこまからが空想なのかその境界線が曖昧で、その曖昧さを作品のカラーにしているのだが、そこを受け入れれるか、否かが評価の分かれ目となるだろう。僕はこれでは甘過ぎると思うのだが。

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