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映画・演劇のレビュー

『レボリューショナリー・ロード  燃え尽きるまで』

2009-09-22 22:51:21 | 映画
 サム・メンデスが自身の妻、ケイト・ウインスレット主演で送る破滅的な夫婦の物語。どこかのインタビューでサムがケイトが主演した『リトル・チルドレン』をこき下ろしているのを読んだ。そこには「自分ならあんな映画にはしない」なんて書いてあった。あんなにも凄い傑作をそこまで言うか、と思ったので記憶に残っていた。ずっrと気になっていたのだがようやくこの映画が見れて嬉しい。

 彼がこの映画で同じようなテーマをどう捉えたのか、お手並み拝見気分で見たのだが、なんとも消化不良の映画だった。

 この映画は、郊外で暮らす主婦の欲求不満を描いたという意味では、扱う問題はよく似ているのだが、『リトル・チルドレン』の対極を行くような映画だ。サムによるアンサームービーなんだろうが、これでは僕には納得がいかない。

 こういう大作として、50年代のアメリカを背景にして、壊れゆく2人の夢を描いたこの映画に普遍性はない。これではあの時代の気分が上っ面でしか捉えられてないのではないか。時代を描くのではなく普遍的な夫婦の姿を描いた、とメイキングでサム・メンデスは語るが、なんか納得しない。凄い数のエキストラを使った都心のの描写や駅のシーンは確かに凄い。そして、郊外の閑静な住宅地との対比を通してこの映画のテーマは明確になる。

 だが、そんなことで彼らの孤独が描けたとはとても思えない。自分たちの描いた夢が壊れていく。結婚して、郊外の住宅地に小さいけれども素敵な家を買う。子どもが出来て、誰もが羨むような幸せな夫婦生活を送る。なのに、ふたりの心は冷え切っていく。若い頃に抱いた夢とはかけ離れた現在にいらだつ。仕事は順調だし、子どもたちはかわいい。なのに、何かが違う。最初は妻の方から不満をぶつけた。女優を夢見たのに、こんなつまらない主婦になっている。あなたもただのサラリーマンでしかないし、そんなつまらない男ではないはず、と。2人で(子どもも連れてだが)パリに行こう、と言う。2人はそんなバカバカしい夢を現実にしようとする。そうすることで冷え切っていた2人の生活は生き生きする。

  トッド・フィールドが描いた痛ましい映画と比較しても、まるで天と地の差がある。こんなのただの絵空事にしか見えない。『アメリカン・ビューティー』の時も上手い映画だとは思ったがここには切実さがない、とも思った。今回も同じだ。どんなに丁寧に撮っても綺麗ごとにしか見えない。ディカプリオ演じる夫の苦悩も、失われた2人の夢もただのお話にしかみえないから、この映画の世界に乗れない。丁寧に作られた50年代の見事な意匠が浮いてしまう。

 監督が舞台出身だからというわけではあるまいが、リアリティーのない芝居に見える。なぜここまで絵空事の世界になったのか、よくわからない。不思議だ。ただ言えることは、監督自身が、主人公たちの子供っぽさを批評せず肯定し、素直に受け止めるバカ正直さにリアルがないから、愚鈍な映画にしか見えなかったという気もする。

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