
どうしてこんな凄い芝居を作れるのだろうか。発想のおもしろさと、その表現力。リズミカルな会話。心地よいリフレーン。まるで上質の音楽を聴いているように耳に心地よく響いてくる。そして流れるように芝居が展開していく。
今年に入ってこれでもう3本目の長編である。作、演出の山本正典さんは絶好調だ。向かうところ敵なしの勢いで快進撃を続ける。才能の泉はあふれかえり、次から次へと誰もが思いつきもしないアイデァが湧いてくる。ストーリーだけではなく、その表現スタイルの奇抜さも含めて、すべてが魅力的である。終演後、山本さんに向けて、「これは今年のベストワンですよ!」なんて興奮して言ってしまうくらいにすばらしかった。冷静に考えると、ベスト5までには入ると思う、というくらいの傑作なのだが、見た直後だったので、ついつい少し大袈裟になったようだ。でも、それくらい言ってもやはりまるで問題はないだろう。ラストのオチも含めて、ものすごく余裕のある作り方をする。憎らしいくらいだ。重くもなく、軽くもない。悠々自適のマイペースで、いつもまるで判を押したように105分という同じ上演時間にぴったりと収めてしまう。
ダッチワイフの女の子と彼女を購入した青年とのラブストーリーというのは、今までも映画で何度か描かれてきた。にっかつロマンポルノの傑作『いたずらロリータ』は金子修介監督作品だ。そして、昨年の是枝裕和監督の『空気人形』もすばらしかった。それから、あのクレイグ・ギレスピー監督『ラースとその彼女』。本作はそれらの映画と比較しても全くひけを取らない。山本さんの語り口はとても心地よい。
彼はこの限りなく残酷なメルヘンを美しく優しい音楽として奏でる。だが、それは甘いだけのものではない。とてもシビアで、クールな視線に貫かれている。主人公の青年すず(寿寿)は送られてきた機械仕掛けの人形である彼女が、あまりにリアルなことに戸惑う。それは本物の人間そのもののダッチワイフロボットである。彼女の名前はりりり(木下朋子)という。彼女は普通に喋るし、自分で考えて行動もする。どう見ても表面的には普通の人間でしかない。ただ彼女は電池で動く。電池交換をしなければ、あと2週間で動かなくなる。
すずには恋人もいる。偶然やってきた彼女、田尻タイ子(笠江遼子)がその「人形」に出会ってショックを受ける。浮気より衝撃的だ。自分という彼女がいるのに、どうして機械の性欲処理用の恋人なんかを購入するのか、と思う。プライドを著しく傷つけられる。
すずはりりりに一切手を出そうとしない。それは彼なりの誠実さ、なのだが、そのことが、りりりを苦しめる。だって「愛されない」ダッチワイフは、ダッチワイフですらないではないか。そのために作られたのに、そのために利用されないなんて、彼女には納得がいかないのは当然だ。自分になんらかの問題があるのではないか、と思う。だから、とても悲しい。
この芝居には、こんないびつな三角関係が見事に描かれている。ある日、タイ子はりりりを破壊しようとする。その時、自己防衛機能が働き、りりりはタイ子を反対に殺してしまう。この突然の展開がすばらしい。えっ、と思う。そして、そこからどんどん話はエスカレートする。
ここに書いたお話は実は、 紀元前4000年の神々の物語と、交互に描かれていく。だから、これだけではこの芝居の全貌ではない。もうひとつの「鯨を求めて旅する神々のお話」は、ドタバタでこれも楽しい。もちろんこのお話は前述の3人の話と微妙にシンクロしていくこととなる。更には、死んでしまったタイ子が人魚として、神々の話の方に登場することになる。ここでの登場シーンなんて、とてもチャーミングだ。
これはとても残酷で、エロかわいい。 りりりとすずのプラトニック・ラブは誠実に生きようとする男女の心の隙間に生じる甘えと弱さをとてもよく表現している。機械仕掛けのダッチワイフがたった2週間の人生を受け身になりながらも(だって、自分はただのダッチワイフだ。主体的な人生選択なんて出来ない。)少しずつ自分というものを見いだしていく。そこから起こる惨劇と、それを乗り切っていく姿はとても感動的だ。とまどい続けるすずと、たくましく生きるりりりのこの後の人生も見守りたい。そんな気分にさせられる傑作である。
今年に入ってこれでもう3本目の長編である。作、演出の山本正典さんは絶好調だ。向かうところ敵なしの勢いで快進撃を続ける。才能の泉はあふれかえり、次から次へと誰もが思いつきもしないアイデァが湧いてくる。ストーリーだけではなく、その表現スタイルの奇抜さも含めて、すべてが魅力的である。終演後、山本さんに向けて、「これは今年のベストワンですよ!」なんて興奮して言ってしまうくらいにすばらしかった。冷静に考えると、ベスト5までには入ると思う、というくらいの傑作なのだが、見た直後だったので、ついつい少し大袈裟になったようだ。でも、それくらい言ってもやはりまるで問題はないだろう。ラストのオチも含めて、ものすごく余裕のある作り方をする。憎らしいくらいだ。重くもなく、軽くもない。悠々自適のマイペースで、いつもまるで判を押したように105分という同じ上演時間にぴったりと収めてしまう。
ダッチワイフの女の子と彼女を購入した青年とのラブストーリーというのは、今までも映画で何度か描かれてきた。にっかつロマンポルノの傑作『いたずらロリータ』は金子修介監督作品だ。そして、昨年の是枝裕和監督の『空気人形』もすばらしかった。それから、あのクレイグ・ギレスピー監督『ラースとその彼女』。本作はそれらの映画と比較しても全くひけを取らない。山本さんの語り口はとても心地よい。
彼はこの限りなく残酷なメルヘンを美しく優しい音楽として奏でる。だが、それは甘いだけのものではない。とてもシビアで、クールな視線に貫かれている。主人公の青年すず(寿寿)は送られてきた機械仕掛けの人形である彼女が、あまりにリアルなことに戸惑う。それは本物の人間そのもののダッチワイフロボットである。彼女の名前はりりり(木下朋子)という。彼女は普通に喋るし、自分で考えて行動もする。どう見ても表面的には普通の人間でしかない。ただ彼女は電池で動く。電池交換をしなければ、あと2週間で動かなくなる。
すずには恋人もいる。偶然やってきた彼女、田尻タイ子(笠江遼子)がその「人形」に出会ってショックを受ける。浮気より衝撃的だ。自分という彼女がいるのに、どうして機械の性欲処理用の恋人なんかを購入するのか、と思う。プライドを著しく傷つけられる。
すずはりりりに一切手を出そうとしない。それは彼なりの誠実さ、なのだが、そのことが、りりりを苦しめる。だって「愛されない」ダッチワイフは、ダッチワイフですらないではないか。そのために作られたのに、そのために利用されないなんて、彼女には納得がいかないのは当然だ。自分になんらかの問題があるのではないか、と思う。だから、とても悲しい。
この芝居には、こんないびつな三角関係が見事に描かれている。ある日、タイ子はりりりを破壊しようとする。その時、自己防衛機能が働き、りりりはタイ子を反対に殺してしまう。この突然の展開がすばらしい。えっ、と思う。そして、そこからどんどん話はエスカレートする。
ここに書いたお話は実は、 紀元前4000年の神々の物語と、交互に描かれていく。だから、これだけではこの芝居の全貌ではない。もうひとつの「鯨を求めて旅する神々のお話」は、ドタバタでこれも楽しい。もちろんこのお話は前述の3人の話と微妙にシンクロしていくこととなる。更には、死んでしまったタイ子が人魚として、神々の話の方に登場することになる。ここでの登場シーンなんて、とてもチャーミングだ。
これはとても残酷で、エロかわいい。 りりりとすずのプラトニック・ラブは誠実に生きようとする男女の心の隙間に生じる甘えと弱さをとてもよく表現している。機械仕掛けのダッチワイフがたった2週間の人生を受け身になりながらも(だって、自分はただのダッチワイフだ。主体的な人生選択なんて出来ない。)少しずつ自分というものを見いだしていく。そこから起こる惨劇と、それを乗り切っていく姿はとても感動的だ。とまどい続けるすずと、たくましく生きるりりりのこの後の人生も見守りたい。そんな気分にさせられる傑作である。