
コナン100億越えの背後に隠れて、こういう地味な中国映画もひっそり劇場で公開されている。このGWは映画館を避けていたので、これが10日振りの映画館。相変わらずのテアトル梅田。そしてやはり力不足の映画。とても期待しただけに残念でならない。
淡々と描かれるドラマはあまりに淡く届かない。作り手の気持ちはわかる。監督はリウ・ジアイン。デビュー作とある卒業制作の『牛皮』から14年振りの第2作。
脚本家としては芽が出せず、失意のまま、弔辞の代筆業で生計を立てるウェン・シャン(フー・ゴー)。もう40歳になろうとしている。誠実に死者とその遺族に寄り添って、亡くなった彼らの想いを残された人たちに届けようとしている。
こんな仕事は実際にはなくて、これは監督による創作らしい。ここには知らない人の人生を代読するもどかしさが根底にある。だから彼はできる限りの取材をして誰もが納得する弔辞を作る。だけどそれはどこまで行っても彼の創作でしかない。主人公の抱えるもどかしさはこの映画自身のもどかしさであり、観客である僕のもどかしさでもある。
きれいな映画だし、この透明感は素敵だと思う。さまざまな人たちの生前の生き方に触れながら、ウェンがもう一度自分の生き方を見直し、再び夢に向かっていこうとするラストは爽やかな幸せにつながる。幻の同居人が消えてしまうラストも心地よい。ひとりでは生きられないから、もうひとりの自分である彼を作り出していた。だけどもう大丈夫だと思う。その時、静かに同居人のシャオインがいなくなる。それはウェンにはわかっていたことだ。
岩井俊二を思わせるとても好きなタイプの映画だったのに、だけどそれが僕までは届かなかった。やはりこれは残念でならない映画だ。