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映画・演劇のレビュー

村上春樹『1Q84』②

2009-10-08 20:18:06 | その他
 予定通り4日間でBOOK1を読んでしまった。もっとゆっくり読みたかったのだが、そうはいかない。どうしても先が気になってしまって、ついついページをめくってしまうし、その結果スピードがあがる。仕方ないことだ。もちろん読書は基本的には通勤時間しかしない方針なので、電車が駅に着いてしまったなら、自動的に本は閉じるしかないのだが、それでもエスカレーターに乗りながら少し読んでしまったり、眠る前に30分くらい読んでしまったりする。気になると言うことはそういうことなのだ。

 『アンダーグラウンド』で地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューを通してオウム真理教に迫った村上春樹が『約束された場所で』を経て、今一度、今度は小説という彼本来のグラウンドに戻り、感じたことをこの作品の中で描いてみせたのだということは明白だ。新興宗教団体の話という意味では園子温の『愛のむきだし』にも通じる。もちろん村上春樹と園子温ではまるでアプローチは違う。ただ、同じようにラブストーリーという意匠をまとい宗教を語るという意味では共通している。

 前半を読み終えたところで、2人の主人公はまだ出会わない。だが、天吾にとって青豆は100%の女の子であり、青豆にとっても当然彼は100%の男の子である。彼らはきっと4月のある晴れた日に偶然再会するはずだったのだ。なのに、彼らは出会わない。

 この小説は4月から始まり、そこでは2人は出会う可能性の片鱗すら感じさせないまま話は進展する。4月から6月までが書かれたBOOK1の後、BOOK2は7月から9月とあり、まだ刊行されていないBOOK3はきっと10月から12月の話だろうから、2人は出逢わないまま終わるのではないかなんて思う。だいたい2人はもう20年近くも逢ってないのだから、1984年に再会する可能性は限りなくゼロに低い。

 もちろん今大事なのは、これがこの2人のラブストーリーであるということではない。『空気さなぎ』という小説のことや、リトル・ピープルのこと。そして、今、ふかえりは何処にいるのか。さらには、「さきがけ」という教団がいったいどんな組織で、そこでは今何が起きているのか、といったこの小説自体の本質に関わる問題のほうがずっと大事なことだろう。さらには、青豆が「さきがけ」のリーダーを殺すことができるのか、とか、そうすることでどうなるのか、とか。問題はてんこ盛り。

 だけれども、これは村上春樹の小説である。エンタメではないし、ただの純文学なんかでもない。だから、僕は静かに、天吾が今週末もガールフレンドとセックスをして、相変わらず週に3回予備校で数学を教えているのを見守るしかないし、青豆だって、毎日、インストラクターの仕事を黙々とこなし、呼び出されたなら老婦人のところに行き、いつものようにストレッチやトレーニングを手伝い、食事をしたりするのを見守るしかない。そんなふうにしているうちにきっとお話は進展していくのだろう。だいたい月が2つあって、何かが変わっていることに気がついているのも関わらず、青豆は淡々と日々を過ごすのだ。自分が1Q84に迷い込んでいるという事実を彼女は静かに受け入れ、今までと同じように生きる。

 いつものように変わりない日々が続く。そんな中で何かが、少しずつ動いていく。と、いうことで、ようやく今からBOOK2である。

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