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映画・演劇のレビュー

ともにょ企画『おはようアフリカ』

2011-09-05 21:42:45 | 演劇
  なんだこの芝居は! とまずは驚く。役者がなんとちゃんと体中真っ黒に塗って、黒人の役をやっている。そんなの久しぶりに見た。昔は、外国人の役なら髪を金髪に染めたり、鬘とかして、演じるなんてのがよくあった。でも、今時そんなのは流行らない。最近は減ったけど、一時期はみんな髪を染め金髪になんかしていた。日本人の大半が金髪だった時代もある。(それは言い過ぎだが)そんなこんなでまず、この時代錯誤のオーソドックスなアプローチに驚いた。まぁ、そんなこんなの「どうでもいいこと」から、この芝居は始まる。

 その後、芝居が始まり、また驚く。この芝居の黒人はなんと、ちゃんと外国語をしゃべる。だから何を話してるのやら、わからない。まぁ、しばらくしたらさすがに日本語にしてくれたのだが。実はこれも「どうでもいいこと」だ。この芝居の本質からまるで離れている。だが、それらはわざとそうしているのだ。この目くらましがこの芝居の導入部だ。鈴木さんらしい。そして、僕は、この芝居について書く上でどこを切り口にしたらいいのか困る。摑みどころがない。

 芝居はとても単純な構造になっている。これもコトリ会議同様ダブルプロットだ。アフリカの政情不安な新興国と、この平和ボケした日本。2つのドラマを交互に見せながら、やがてそれが強引に重なることになる。こういうちょっと大胆不敵な展開なんて芝居ではままあることなので、誰も驚かない。そんなことより、黒人少年のうつろな目。彼は何を見ていたのか。それから日本のパートの主人公(一応)である女の不貞腐れた態度。まるで世間をなめたようなもの言いをし、行動をする。日本の話は、彼女だけではなく何人かの話が重なる構造になっている。新興宗教の男が教義の本の出版を依頼する。彼はスーパーの店長でもある。依頼を受けた編集者。その妻。その友人でスーパーで働く女。その同僚がスーパーのレジ係で先に書いたトラブルメーカーである主人公の女だ。彼女が開き直ってて行く部分はかなり面白い。 

 ステレオタイプだったアフリカの少年サイドのお話が、日本からやってきたドキュメンタリー監督(この男の変な正義感が嘘くさいし、胡散臭い)により意外な展開を見せる。彼は少年にインタビューをする。彼の介入により、そこから時空を超えて強引に今の日本での、どうでもいいような日常の話の世界と重なることとなる。彼らがアフリカから日本にやってくるのだ。そして、銃を乱射する。だが、銃声はスピーカーからの音だけで人は死なない。明りが点く。当然だが、ここは劇場だ。そのことを伝える。だが、アフリカ人の少年は最初のまま虚ろな目をしているばかりだ。

  アフリカの少年と日本のスーパーのレジの女、この2人が出会い、何かが始まる。そんなドラマを期待したのだが、それはない。なんだか肩すかしを食らう。作、演出の鈴木友隆さんは何がしたかったのだろうか。平和な日本に冷や水を浴びせかけるなんていうパターンなんていうのもなんだか違う。だが、開き直り不貞腐れる女のリアリティーは悲惨な黒人少年を上回る。そのアンバランスは凄い。

 チラシには最初に予定していたタイトルである『不幸なアフリカ』から現在のものに改題したとある。わざわざそんなことを明記することにある種の意図を感じる。『おはようアフリカ』というノーテンキにすら思えるタイトルにすることで突き抜けたものがこの芝居に生じる。そこを突き詰めてもらいたかった。惜しい。

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