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映画・演劇のレビュー

コトリ会議『桃の花を飾る』

2011-09-05 20:49:51 | 演劇
 space×drama2011 の共通チラシの紹介文を読んで、勝手にイメージしていたものとまるで違うのに驚く。少し長くなるがここに引用する。

 「夫婦はソファに座っています。落ち着く意味なんて、昔からまるでなかったかのような。光の筋が窓から見えてる。ガラスが角度を変えているから、いつまでたっても表情は明るい。午後。もうすぐ春がやってきます。花瓶の中には乾いた虫がこびりついているだけ。こんな平日の昼間から、ゆったりと座っていられるのは、二人に仕事がないからかもしれません。そんな時こそ落ち着いて、夫婦は明日の事を語りましょう。」


 まぁ、あくまでも勝手にイメージしたのは僕なのだから山本さんに騙された、というわけではない。単なる思い込みなのだ。でもあの文章を読めばかなりの人が時代錯誤の「静かな演劇」をイメージするはずだ。コトリ会議が小津安二郎に挑戦するのか、とドキドキしたのだが、まるで、そんな雰囲気はなく、どちらかと言えば、昨年の『びゅいーん瓶』の方がこれよりもかなり静かな芝居だった。まぁ、静かな芝居が見たいわけではないからそんなことはどうでもいいのだが。要は面白いか否か、で、今回もコトリ会議は面白いし、刺激的だから文句があるというわけではない。だが、あまりにイメージとかけ離れていてなんだか、驚いただけなのだ。夫婦の日常のスケッチではないかと思った。何も起きない2人の時間をただ静かに見せるだけで、でもそれがとてもドキドキするし、刺激的、そんな芝居を期待してしまったのだ。だが、これはそうではない。かなり動きのある芝居だ。これは従来のコトリ会議のタッチである。

 さらに、今回山本さんはダブルプロットに挑戦した。ひとつは劇中劇でもある。だが、完全な入れ子構造ではない。一応、作家が書く小説の中の夫婦のお話と、現実の作家夫婦のお話とが交錯していく。作家である妻は、現実からの逃避として小説を書く。だが、小説の中の夫婦も現実と同じように危険な状況にある。現実の作家の夫が小説の中に入り込み事態を収拾しようとする、なんて展開さえあるからややこしい。2つの話が入り組んでこの夫婦の危機が描かれる。幸福そうな夫婦だったが、夫の会社が倒産して、借金取りがやってくる。その借金取りがとてもいい人で、なんとかしてこの夫婦を助けようとする。自分で借金を肩代わりしたりもするのだ。小説の中の夫婦は身体の弱い妻の目を盗んで夫が妻の妹と関係を持ってしまうところから話が始まる。パターンにはならない。

 こうしてストーリーだけ見ると、なんだかとても騒がしくて大変な話なのだが、山本さんはそれをとても楽しそうに書く。確かに夫婦の話だし、テーブルで2人が向き合う話ではあるから嘘はない。犬と猫が出てきて、話をリードしていくのも、悪くはないし、いかにもコトリ会議らしい。今回の芝居は、かなり「いかにもコトリ会議」って感じが満載されている。彼らが好きなパターンで、いかにもやりそうなことばかりをしている。セルフパロディーに見えるほどだ。

 そんな中から、作、演出の山本正典さんは何を描こうとしているのか。実は、一番大事なそこがよくわからないのだ。家族劇に挑戦し、夫婦だけの生活を描くのだが、何もない日常のスケッチから夫婦の哀歓を描くのではなく、なんだかとても慌ただしいドタバタを見せる。最後の子供の誕生を巡る騒動もそれまでの展開から考えるとあまりに安直でなんだかなぁ、と思う。夫婦の危機とその再生だなんて、あんまりイージー過ぎる。

 いつものタイトルの付け方ではなくなんだかとても普通のタイトルなので、これはどういう心境の変化か、と、そこも気になっていたのだが、それはあまり関係なかったようだ。テーマは「花瓶とそこに活けられた桃の花」に象徴されてある。だが、それだけでは物足りないのも事実だろう。その先が見たかった。

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