一番見たかった映画だ。制作が決まったときから、こんなにも待ち遠しいと思った映画は近年ない。原作は、川本さん自身が、封印してきた体験を綴った記録だ。朝日ジャーナルの記者として、ある過激派学生と接したことで、関わることになった事件を描く。評論家としての川本さんの大ファンだった僕にとって、あの本が描く川本さんの暗い影は衝撃的だった。70年代の川本さんの文章の背後にはこういう気分はあったのだ。出版された当時、この本を読んでそのことに初めて気付いた。
本作のラストは79年に設定される。映画評論家の川本さんが、試写室で柳町光男の『19歳の地図』を見たあと、偶然入った居酒屋で、あの頃取材で出会った男と再会する。1969年、映画の冒頭のエピソードだ。川本さんがカウンターで延々と泣くあのラストシーンに胸締め付けられた。一緒になって泣いていた。ある時代を精一杯に生きたこと。この国を変えることが出来ると信じた。日本に革命を起こす。誰もがそんな夢を見た時代。そんな時代に翻弄されて、自分の正義にために立ち上がろうとした若者たち。同時に底辺であがく人もいた時代。「人類の進歩と調和」なんていうお題目に乗せられて、明るい未来を夢見た時代。まだ若い川本さんが、自分の信念のために闘った時代の記憶。それがここには詰まっている。
川本さんと書くには、間違いだ。これはあくまでも事実をもとにしたフィクションである。主人公の名前も川本三郎ではなく、沢田とされている。映画と現実をごっちゃにしてはならない。だが、僕はこの映画をそんなふうに客観的に見ることは出来ない。同時代をリアルタイムで体験してきたからだ。もちろん世代的にはずっと若いから、あの頃僕はまだ、小学生だった。だから、実体験ではない。大阪の小学生は安田講堂陥落よりも、大阪万博やアポロの月面着陸に夢中だった。なにも知らない子供だった。ただ、映画のラストの時間ではそうではない。79年、川本さんと同じように柳町光男の『19歳の地図』を見た。その時、僕はもう20歳である。
まだ若い記者だった彼が、500円を片手にドヤに入って、いろんな人たちと出会う。これは取材だ。身分を隠して、(彼らを騙して、ということになる)共に生活し、そのことを雑誌の記事にする。何とも後ろめたい行為だ。映画はここからスタートする。あの時代が、暗い時代のように描かれる。でも、そこにはたくさんの夢があった。高度成長期に突入し、日本はどこまでいくのか、想像もつかない時代。でも、同時に学生運動が迷走していく時代でもある。日本人はこのあと、もう夢なんか見なくなる。そんな時代がこのドラマの背景だ。というか、そんな時代そのものがテーマである。
とてもリアルに時代の空気が切り取られていく。映画は、主人公である沢田(妻夫木聡)の視点からだけで全体を構成すべきだったのに、時代の気分をきちんと伝えるため、全体の構成に気配りし過ぎて、その結果、梅山(松山ケンイチ)のドラマを膨らませてしまったようだ。そのせいで、映画としては失敗している。松山演じる過激派学生が、あまりにバカすぎて、そんな彼を取材して、自分を見失ってしまう沢田がまるで道化に見えるからだ。この視点のぶれが命取りになった。山下敦弘監督は、この困難な映画を実に丁寧に丹念に見せてくれただけに残念だ。
本作のラストは79年に設定される。映画評論家の川本さんが、試写室で柳町光男の『19歳の地図』を見たあと、偶然入った居酒屋で、あの頃取材で出会った男と再会する。1969年、映画の冒頭のエピソードだ。川本さんがカウンターで延々と泣くあのラストシーンに胸締め付けられた。一緒になって泣いていた。ある時代を精一杯に生きたこと。この国を変えることが出来ると信じた。日本に革命を起こす。誰もがそんな夢を見た時代。そんな時代に翻弄されて、自分の正義にために立ち上がろうとした若者たち。同時に底辺であがく人もいた時代。「人類の進歩と調和」なんていうお題目に乗せられて、明るい未来を夢見た時代。まだ若い川本さんが、自分の信念のために闘った時代の記憶。それがここには詰まっている。
川本さんと書くには、間違いだ。これはあくまでも事実をもとにしたフィクションである。主人公の名前も川本三郎ではなく、沢田とされている。映画と現実をごっちゃにしてはならない。だが、僕はこの映画をそんなふうに客観的に見ることは出来ない。同時代をリアルタイムで体験してきたからだ。もちろん世代的にはずっと若いから、あの頃僕はまだ、小学生だった。だから、実体験ではない。大阪の小学生は安田講堂陥落よりも、大阪万博やアポロの月面着陸に夢中だった。なにも知らない子供だった。ただ、映画のラストの時間ではそうではない。79年、川本さんと同じように柳町光男の『19歳の地図』を見た。その時、僕はもう20歳である。
まだ若い記者だった彼が、500円を片手にドヤに入って、いろんな人たちと出会う。これは取材だ。身分を隠して、(彼らを騙して、ということになる)共に生活し、そのことを雑誌の記事にする。何とも後ろめたい行為だ。映画はここからスタートする。あの時代が、暗い時代のように描かれる。でも、そこにはたくさんの夢があった。高度成長期に突入し、日本はどこまでいくのか、想像もつかない時代。でも、同時に学生運動が迷走していく時代でもある。日本人はこのあと、もう夢なんか見なくなる。そんな時代がこのドラマの背景だ。というか、そんな時代そのものがテーマである。
とてもリアルに時代の空気が切り取られていく。映画は、主人公である沢田(妻夫木聡)の視点からだけで全体を構成すべきだったのに、時代の気分をきちんと伝えるため、全体の構成に気配りし過ぎて、その結果、梅山(松山ケンイチ)のドラマを膨らませてしまったようだ。そのせいで、映画としては失敗している。松山演じる過激派学生が、あまりにバカすぎて、そんな彼を取材して、自分を見失ってしまう沢田がまるで道化に見えるからだ。この視点のぶれが命取りになった。山下敦弘監督は、この困難な映画を実に丁寧に丹念に見せてくれただけに残念だ。